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魔女編

7:百合の君(1)

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 午後からメルセデスは、自らの侍女に案内されて、教育係の愛妾の部屋を訪ねた。

 控えの間から居室へ案内される。居室に入ると、部屋の主の女性が立ち上がってメルセデスを迎えた。
 メルセデスは王国でも正式な礼儀作法等は学んだことがなかった。下働きは礼を取るべき高貴な人間の前に姿を見せないから、必要なかったのだ。万が一視界に入れば、相手が立ち去るまで端に退き頭を下げて待つだけ。だから帝国式の作法との違いに慣れないというよりは、何の下地もなかった。そのため、今からどうにかなるものなのかと頭を悩ませた。

 そんなことを部屋に入るまでずっと考えていたのだが、出迎えた女性を見てすべての思考は吹き飛んだ。

「ようこそ。レディ・メルセデス」

 薄桃色の花びらのような唇から、上品でありながら甘やかな声が紡がれる。

「わたくしはシュザンヌ。あなたと同じ、帝国の外から来た愛妾よ」

 彼女はそう言って、ドレスの裾をつまみ軽く腰を落とし礼を取った。
 光を受けて輝く、宝玉のような緑色の瞳がメルセデスを見つめる。

 メルセデスは驚愕で言葉を失っていた。これまで見たどの人間よりも美しい。

 目を丸くしているメルセデスに、彼女は首を傾げた。
 その拍子に、耳へかけていた白銀の髪が一筋こぼれて、彼女の白いうなじにかかる。涼やかな音を立てる、纏め髪の簪の装飾も、彼女の些細なしぐさまでも、全てが彼女の美しさを際立たせている。精巧な人形のように完璧で、しかし人形のような無機質さはなく、生き物のまま至高の美を体現している。

「……どうなさったの?」

 そこでようやくメルセデスは、慌てて自分も礼のまねごとをした。やはり手枷で上手くいかず、無様に鎖が音を立てるだけだった。

「し、失礼いたしました。レディ・リリィ。どうぞよろしくお願いします」

 シュザンヌのことは事前に侍女から教わっていた。
 先帝の最後の愛妾で、その美貌から大変な寵愛を受けただけでなく、社交界の花としても尊敬を集める女性だそうだ。先帝が彼女の白皙の美貌を称えて、帝国で最も可憐と尊ばれる花である百合の花、リリィの二つ名を与えたという。通常皇帝が代替わりすれば子供のいない側妃と愛妾は修道院へ行くが、彼女に限って、当代の皇帝が希望して後宮へ残らせたらしい。

「どうか親しみを込めてシュザンヌと呼んで。さ、こちらへおかけになって、メルセデス」
「は、はい。シュザンヌ様」

 促されてテーブルに着くメルセデス。シュザンヌはメルセデスに笑いかけながら向かいの椅子へ座った。

 メルセデスは、なるべく彼女と目を合わせないように、自分の手元へ視線を落とした。
 同性であっても、長く見つめていると心を奪われそうだ。先帝の頃、即ち十年以上前から後宮にいるはずだが、この乙女のような清廉な容貌は一体どうしたことだろう。純粋無垢の花言葉である、百合の花の精なのかもしれない。

「うふふ……。呼び捨てになさって結構でしてよ」

 緊張するメルセデスの様子が面白いようで、シュザンヌは鈴の音のような笑い声を漏らす。眼差しは優しげで、後宮にやってきたときの愛妾たちの嘲笑とは異なると分かる。

「い、いえ、シュザンヌ様……。本日は、私のためにお時間をくださって、ありがとうございます」

 彼女を呼び捨てにする勇気は、メルセデスにはない。

「お気になさらないで。新しく来られた方皆にお声をかけているのよ。早くこの国に馴染めるように、少しでもお手伝いをしたいと思って。ああでも、帝国式の作法をお教えするけれど、この後宮では各々の祖国での作法に則ってもよいことになっているから、染まる必要はないのよ」

 彼女は最初に、メルセデスと同じく外国から来た愛妾だと言った。かつては彼女にも、帝国式の礼儀作法などで困ったことがあったのだろうか。

「これから一ヶ月、戦勝祝いの宴まで、わたくしが先生の役をしますわ。でも、その前にお友達になりましょう。授業以外の時は、友人としてお茶飲んだり、お喋りしましょう。砕けた口調で構わないわ」
「はい。あ、ええ、ぜひ。……すみません。慣れないので、このままにさせてください」
「ふふ。無理のない範囲でいいわ」

 微笑んで細められたその目に、メルセデスは母を思い出していた。こうやって優しく笑いかけられたのは、それぐらい昔のことだったのだ。
 こうしてシュザンヌの授業の日々が始まった。
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