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5.金栄
しおりを挟む今夜こそ、と思ったのは今日のことだというのに、夜半、金栄は泣きそうになりながら寝床に入っていた。
結局あのあと、泰然は戻ってこなかった。彼も他で用があるのだし、夕餉の時に話をしようと思っていた。それなのに泰然は姿を現さず、湯浴みを終えても、しばらく待っても来なかった。
明日は年が明けると同時に干支神として東奔西走しなければならない。もう今夜しか話す時間はないと思っていたのに泰然は戻らず、しびれを切らしてどこへ行ったのかと使用人に聞くと、今宵は社の方で潔斎をしたいと申し出があったので、そちらへ行ったと言われた。ということは、もう今夜は戻らないだろう。
潔斎は確かに必要なことだ。けれど、今の金栄は悪い方向にしか捉えられない。
(俺に愛想を尽かしたんだ……あんな払い方をしたから)
こちらから結婚してほしいと縁を結んだというのに、満足に触れ合うことができないどころか、少し触っただけではねのけるような相手では、疎ましがられても仕方がない。
神だなんだと言われても、結局自分は意気地なしで情けないだけだ。果たしてこんな自分が立派に干支神など勤めきれるのだろうか。自分には荷が勝ちすぎているのではないか。
考えれば考えるほど悲しくなって、視界がにじむ。そうしてつらつらと考えては涙ぐんでいるうち、いつしか金栄は眠っていた。
穏やかな眠りは夢を連れてくる。優しい夢の中で、金栄は泰然に触れられていた。
―――金栄様。……金栄。
夢の中で、泰然は金栄を呼んでくれる。これは夢だ。金栄は気付いていた。
たまに見る、とてもいい夢。触れられても怖くないし、びくっともしてしまわない。だからなのか、泰然は金栄に触れていた。
頭を撫でて、頬に触れて、手を繋いでくれる。
―――泰然、ごめん。ごめんなさい。
声がうまく出ない。ふわふわして、眠っているのに更に深い眠りのはざまに落ちてしまいそうだ。けれど声は届いたのか、泰然はふだんは真一文字に結んでいる口元を和らげて笑った。
―――あのことなら気にしてません。俺の方こそ、謝らないといけない……。
―――謝るって、なにを?
―――………俺は、……
すうっと、眠りが色濃くなって、吸い込まれるように金栄の意識は途絶えた。
「……あっ…」
一度深く沈んだ意識を引き上げられるように、急速に目が覚めた。
どこにいるのか一瞬わからなかったが、金栄と泰然が寝るために使っている座敷だ。隣には泰然のための布団が敷かれていて、そこに手を滑らせてみると、冷たいままだった。
やはり夢は夢だ。泰然は戻らず、大晦日の朝になった。けれど、夢の中で金栄は泰然と触れ合えていた。あれは金栄の欲望の夢だが、あんなふうになりたい。たとえ体が震えてしまっても、泰然とまっすぐ向き合いたい。
金栄は起き上がるとぐっと拳を握り締めた。
干支神としての加護のためという建前があったが、それよりも金栄自身が泰然と触れ合いたい。ちゃんと、見合いをしたからではなく昔から好きだったのだと告げて、泰然がその気になれるのなら自分を抱いてほしいと言おう。
(いまは恥ずかしいかもしれないけど、でも、なにも出来ないよりはずっといい)
布団を片付けて、金栄はせわしなく座敷を出た。
今日は潔斎に干支神の引き継ぎがある。身支度だけでなく打ち合せもある。子の干支神を出迎えることもしなければならないし、継ぎの宴が終われば、すぐさま眷属たちと分担して社巡りが始まる。
迷っている時間もためらっている暇もない。泰然も金栄の伴侶として忙しい一日になるだろうが、その前に告げなければ。
そう意気込んで、井戸で顔を洗い、ひとまず着替えた金栄は屋敷中を歩き回った。
屋敷には、まだ朝早いのでそれほど人はいない。これから徐々に人出が増えて、あれやこれと騒然としはじめる。出来るなら、その前に泰然を見つけたかった。
(昨日の夜は潔斎すると言っていたし、お堂にいるかな……それとも、もう本邸にいる?)
うろうろと歩き回り、瞑想をしたり潔斎に使ったりと神事に欠かせないお堂へ向かう途中だった。
敷地内には蔵がいくつもある。そのそばを通ろうとして、金栄は足を止めた。
蔵の壁に、金栄と同じ撫で牛の眷属が立っていた。清真という名の撫で牛だ。金栄とも顔見知りで、撫で牛として力を貸したこともあった。
二人は金栄に気付いた様子はない。話をしているなら、終わるまで待とうかと思った時だった。
泰然の手がすっと伸びた。清真は動かない。
「……え…」
押し出されたような、嗄れた声がわずかな音になって金栄の口からこぼれた。
泰然の手が、清真の胸に触れた。二度三度撫で、そのままするりと滑って下に流れる。清真は少し笑っているようだったが、泰然の顔は見えなかった。そして、下に降りた泰然の手は清真の前の方に触れた。
(うそだ)
清真の頭が、泰然の肩にもたれる。とっさに、金栄は踵を返していた。早足があっという間に駆け足になって、金栄は無我夢中で走った。
見つからない場所に行きたい。誰にも見られず、関わられず、一人になれる場所へ行きたい。早くしないと、もう大声をあげて泣き出してしまいそうだった。
冬の朝の、まだ陽が昇ったばかりの澄み切った静かな空気の中をひた走る。幼い日に追いかけまわされて逃げた時より、もっとずっと遠くへ行きたいと願った。
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