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3.金栄
しおりを挟む(眠い……)
普段は布団に入って三分で眠れるというのに、昨夜はどうにも眠れず、結局寝付いたのは明け方になろうかという時間だった。眠りも浅く、泰然が起きた音で目覚めてしまい、今に至る。
うつらうつらとしながらも運ばれてきた朝餉を平らげ、今日はこれから社の大掃除だ。
「ふわあ……」
「金栄様」
「わっ、あ、はいっ」
あくび交じりにはたきで鴨居をはたいていた金栄は、背後からかけられた声に飛び上がった。振り返ると、たたんだ布を持った泰然が立っていた。
「た、泰然……」
泰然とは祝言をあげた夫婦の仲だが、あまり話はしない。金栄はなにを話せばいいかわからずに一人で考え込んでしまうし、泰然はもともと寡黙なたちで、話しかけてくることも滅多になかった。
そんな泰然が声をかけてくるのだから、なにかあったろうかと体も向かせると、ずいっと布を差し出された。
「これを」
「これは……前掛け?」
受け取ったものを広げると、腰から下を覆う前掛けだった。掃除をするからと上半身はたすきがけをしているが、下半身は裾をたくし上げただけだ。膝までまくってはいるが、もしかして汚れたか、と見てみたが、小さな綿埃がついているだけだった。
「俺にですか?」
「はい」
「あ……ありがとうございます」
今は汚れていなくとも、金栄は自分がどこか抜けているのを自覚している。そのうち汚すだろうと思い至ったが、まさか泰然がそれを気にしてくれるとは思わなかった。
顔がどんどん熱を増していくのがわかる。嬉しくてたまらない。
夫婦であるというのに普段は物陰からそっと見てみたり、向かい合って摂る食事の席で、一緒に「いただきます」と手を合わせることで、お揃いだ……と勝手に喜んでいるほどなのだ。まさか自分のことを気にしてくれているなんて、夢のような出来事だ。
自分のために持ってきてくれたのだからと、金栄はそそくさと前掛けをつけた。濃紺の、しっかりとした生地の前掛けだ。どこから持ってきたのかは知らないが、細帯で腰をきゅっと絞って腹の前で小さく留めると、へそのあたりにちょうちょ結びができた。
「ありがとうございます、これで汚れずに……」
「違います」
「え」
首元がちょっと暑い、と思うほど火照っていたのに、金栄はさっと血の気が引くのを感じた。
前掛けだと思ったのでつけてみたが、もしかして前掛けではなかったのだろうか。それともつけ方が違ったのだろうか。とたんに不安になって、縮めたところで小さくなりはしない肩を竦めていると、ふいに手が伸びてきた。陽に焼けた、耕牛らしい大きな手だ。
あ、と思った時にはもうその手がちょうちょ結びに触れていた。とん、と指の背が何枚かの布越しに触れる。
「ああっ」
思わず声をあげてしまったのは、軽く触れられただけで、そこからぶわっと痺れるような感覚が走ったからだ。大きな声が無意識にあがり、体は震えあがってしまった。とっさに両手で口を押えた時には、泰然はどんぐりのような大きな黒い両目を見開いていた。
「あっ、ち、違う、あの、泰然っ」
「………っ」
反射的に手を引っ込めた泰然は、ぐるりと踵を返すとなかば駆けるような早足で座敷から出て行ってしまった。
あとに残されたのは金栄だけだ。遠ざかり、すぐに聞こえなくなってしまった足音に、今更そろそろと手が伸びた。
嫌じゃない。それなのに、どうしても体が反応してしまうのだ。絶対にあられもない姿をさらしてしまうという恐怖と羞恥、それから泰然に触れられるという歓喜。
大好きなのにと、金栄はもう何度も思った後悔に、眼のふちがじわりと湿るのを感じた。
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