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第五章・帝国の王女

648.Side Story:Others

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「──これ以上、我が同胞に手を出さないでいただきたい」
「……彼が大人しく言うことを聞いてくれたならば、私とて暴力に訴える必要はなかったのだ。勝てぬ相手と分かっていながらも抵抗したのは、彼だとも」
「貴殿が我々を見逃せば、血は流れなかったのでは?」
「何故、私がそなた等を見逃さなければならないんだ? 我が領土を荒らし、未来ある信徒達からその可能性を奪ったそなた等に──この私が、自ら情けを賜わす必要があると? そう、本気で宣うか」

 妖しい男とロアクリードは、互いに一歩も引かぬ姿勢を見せた。
 一年程前に連邦国家ジスガランドの領土内で多発した、幼子の誘拐事件。その犯人一派は、彼等こと【大海たいかい呑舟どんしゅう終生しゅうせい教】だった。当時は、祖国たる神聖教国ジスガランドにて真面目に皇帝業と教皇業に追われていた為、ロアクリードは勿論彼等のことを知っているし、例の事件の顛末も把握している。

(実際に事件に対応したのは誘拐事件が起きた場所を領土に待つ国で、私は幾度か報告を受けただけだが……この異教徒共がうちの信徒を手にかけたのは、紛れもない事実だ)

 その為、機会こそ逃したものの。彼は連邦国家ジスガランドの宗主として、そしてリンデア教の教皇として。己の民から未来を奪ったかの異教徒へ激しい怒りを覚えていた。
 ──もしがあれば。その時はこの手で嬲り殺してやる。
 そう、密かに決意していたのだ。

「…………あれは、とても痛ましい事件だ。我らは、我らが神へ祈りを捧げたいと望む子らを導いただけに過ぎぬというのに。貴殿らリンデア教が、憶測で我らを悪と断じ、おぞましい狩りをはじめた。それにより我らは信心深き同胞を十七人も失ったのだ。悪しき神を崇める愚か者共が我らを蹂躙し、見せしめにその首を掲げた事、忘れたとは言うまい!」

 夜明け色の髪の男は、その胸に手を当てて、訴えかけるように主張する。

「そなたがどのように主張しようが、私の見解は変わらん。そなた等が、我が国の民を──ひいては幼き隣人達をかどわかし、自分勝手にもその将来を奪い去った。それが、私の知る“事実”だ。そなた等の主義主張など知らぬこと。ただ厳かに、そなたは与えられし罪状を受け入れるがいい」
「……っ!!」

 一歩も退かぬどころかどんどん膨れ上がる殺意に、男は冷や汗を滲ませ、喉を上下させた。
 当然のように子供達を慈しむ彼にとって。未来ある子供達が傷つき、犠牲になるという事件は──……

(まあ。大人しく罪を認めたところで)
「──私は決して、そなた等を許さない」

 特大の地雷なのだ。
 ロアクリード=ラソル=リューテーシーが持つ、ほんの・・・二つ・・の地雷。一つ、聖人ミカリア・ディア・ラ・セイレーン。二つ、子供達の未来が奪われること。
 彼等──【大海たいかい呑舟どんしゅう終生しゅうせい教】は、見事にロアクリードの地雷を踏み抜いてしまったのだ。

「……ジスガランド教皇よ。ここは貴殿の国より遠く離れた地。騒ぎを起こすなど、得策とは言えまい」
(──“浄化の儀”の前に、帝国に目をつけられるような真似は避けたいのだが……この男、人の・・話を・・聞いた・・・上で・・話が・・通じ・・ない・・。一番関わってはならない系統の非常に厄介な人間だ。……いざとなれば、力を行使するしかあるまい)

 男は焦燥から鼓動を早くし、首にかけた祈祷用の数珠──ローザを握り締め、眉尻を上げた。

「私だって好きで騒ぎを起こす訳ではないさ。だがそなた等が、よりにもよって此処で悪巧みをしているようだから。この国に手を出すのであれば──私も、黙っているわけにはいかないのだよ」
(他の何でもなく、フォーロイト帝国に固執している……? 一体、この国に何があるというのだ)
「──仕方あるまい。我々とて、同胞を手にかけられたのだ……このまま黙っていては、彼らも浮かばれぬというもの。お覚悟を、ジスガランド教皇」

 ロアクリードが見せたフォーロイト帝国への並々ならぬ執着に戸惑いつつも、男は祭服の袖から何本もの大毒針を抜き、その両手に構えて地面を蹴った。
 意外にも抗戦を選んだ男に少し目を丸くするも、ロアクリードは即座に聖笏せいしゃくを呼び出し、大毒針による刺突を受け流した。

(! なんだ、この膂力は。付与魔法エンチャント……は使われていないな。付与魔法エンチャント特有の魔力の揺らぎが見られない。ならば身体能力が高い亜人か……?)

 およそ人の域を超えた膂力にロアクリードは瞬き、聖笏せいしゃくをくるりくるりと操りながら軽く飛び退く。

(いや、違う。この不快感と、無条件に湧き上がる嫌悪は──……。……成程な。この男は聖人と同様に、ありえざる存在から脅威的な寵愛を賜っている。──どうやらはこいつ・・・は、私とは違う、向こう側の人間らしい)

 ロアクリードは苦笑した。たまたま目についた虫が、己の人生を狂わせる原因となった男と同じ、選ばれた側の人間だったものだから。思わず笑いがこぼれたのだ。

(上位存在の寵愛は想像を絶する。その筆頭たる聖人相手に勝ち星を上げることすら叶わぬ今の私では、聖人以下と思しきこの男を打倒する事とて叶わなかろう。業腹だがここは一度身を引き、後日改めてベールと共に──……)

 と、そこまで思考して。

「…………やめだ。もう、考えるだけ時間の無駄だろう。どれだけ足掻こうが──私は所詮、凡人なんだから」
「!!」
(──得物を投げた!?)

 ロアクリードは聖笏せいしゃくを投擲した。その聖なる遺物の恩恵と付与魔法エンチャントにより、音を置き去りにする速度で放たれた身の丈程あるその杖は、男の足元を穿ち土煙を巻き上げた。
 その直後、ロアクリードは煙に紛れて突撃し、男の脇腹に鋭い正拳突きをお見舞いしようとした──が、

「ッ、噂に違わぬ凶暴さだな、ジスガランド教皇……!」
「五月蝿い。黙れ。私はお前達のような人間が一番嫌いなんだ。だからさっさと死んでくれ」
「それが……貴殿の本性か!」
「凡人の醜悪な本質などどうでもいいだろう。私は今、お前を目の前から消し去りたくて仕方がないんだ」

 間一髪。男はロアクリードの拳を受け止め、問答を繰り広げた。

(凡人? この男が? 狂人の間違いではないか! 道理であのような惨い真似が出来る……! ロアクリード=ラソル=リューテーシー…………この男は、完全に狂気に呑まれている!!)

 逃げるように飛び退きつつ瀕死の同胞を一瞥し、男は目を釣り上げる。
 彼の見解は確かに正しい。
 ロアクリードはとうの昔、父親の悲願──聖人に打ち克つ為の道具にされたあの時から、既に狂っていた。狂わ・・ないと・・・正気を・・・保てぬ・・・、彼は死と絶望の掃き溜めに身を置きすぎたのだ。
 正気を捨て、悪食になり、数多の命を踏み躙って、なんとか生きてきた。そんなロアクリードが穏やかな善人に見えるのは、ひとえに彼の努力の賜物だろう。
 密かに狂いながらも“こうなりたかった”という夢想の姿──『優等生』で在ろうとした彼の努力そのものと、狂ってもなお失われなかった善性による、陽炎のごとき奇跡の瞬き。
 それこそがアミレス達の知る、『ロアクリード=ラソル=リューテーシー』なのだ。

「──神に捧げ、神に祈り、神に誓い、神に願う。果てなき明日を夢見て先をも見えぬ闇を往く旅人に、幸福あれと。禁欲を呑み、穏和を呑み、活力を呑み、飢餓を呑み、無欲を呑み、羨望を呑み、謙虚を呑み、唯一なる舟に乗り現世うつしよおおいし大海を、我らは渡る。……──我が神よ! あなた様の子供たるオーディウムが願い奉ります。どうか、狂気に呑まれしこの憐れな者に救済を……!!」

 夜明け色の髪の男──オーディウムがローザを手に聖句を唱えると、彼の周囲では紫黒しこくの海水が揺らぎ舞う。それは大蛇のようにとぐろを巻き、荒波となりロアクリードへと襲いかかる。
 それに対抗するかのように、彼もまた、厳かに言葉を紡いだ。

「……主よ。煉獄逝きたるこの私を、まだ、あなたの子と認めてくださるのならば。どうかこの咎多き身に、あなたの愛を──……僅かな慈悲を、施してくださいませ」

 ──鐘が鳴る。どんな聖歌よりも美しく清らかな祝福の音が、どこからともなく響いた。
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