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第四章・興国の王女

342.キョーダイの約束4

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「死よりも深い、絶望? 何を言って……」
「だってそうでしょう。あなたの復讐は憎悪から来る正当な八つ当たりです。これまでされてきた酷い仕打ちに対する復讐をお望みなら、ただ人類を滅ぼすだけだなんてツマラナイじゃないですか」

 私はミシェルちゃんのような聖人君子じゃない。寧ろそれとは真逆──悪逆非道冷酷無比な氷の血筋フォーロイトだ。だから、憎悪に狂う黒の竜の傷を癒して鎮める事など出来やしない。
 そもそも私は、自分勝手な人々の欲望に縛られ、人としての尊厳を奪われ、全ての責任と役目を負わされた人間の紛い物おにんぎょうだった。
 そんな私に、道徳や倫理なんてものは端から無い。ただ、いつかの日にあのひとから教わった因果応報……それを彼に教えてあげる事しか私には出来ない。

「だから、どうせやるなら少しでもあなたの憎悪が晴れるような、そんな復讐をしましょうよ。あなたが受けた仕打ちの何百倍も苦しみ悲しむような復讐を! あなたのような竜種からすればたった一瞬で終わる人類の殲滅なんてツマラナイ復讐ではなく、何十年何百年と、あなたの受けた苦しみの長さだけ人間を蝕み呪い続ける愉しい復讐などは、いかがでしょうか?」

 この竜が人間への憎悪を捨てきれず、いずれ必ず人間を滅ぼすつもりなのであれば。そのいずれをとことん先延ばしにするしか道はない。
 そして、その何百年という猶予の間に……黒の竜の憎悪が消えるか、人間が竜の呪いに対抗する術を見つけたならば、人類滅亡は避けられる。
 とにかく。今すぐ人間を滅ぼしたいと事を急く黒の竜を落ち着かせる事が、今の私の一大ミッションなのだ。

「戦争、病、自然災害、環境変化、飢饉……人類を長期に渡り死よりも深い絶望に落とし苦しめる手段なんてまだまだあります。それなのに何故、ほとんど苦しまずに終わってしまう『死』という手段を選ぼうとするのですか? 人類が滅ぶ──たったそれだけの事で、あなたは満足出来るんですか?」

 今度は私から、じっとクロノを見つめる。見開かれたその黄金の瞳は、やがて目尻の皺を作る程細められて。

「くっ、はははははっ! ああ、そうだ。確かにそうだ……僕達をあんなにも苦しめた人間共が、一瞬の苦しみで終わりを迎えるなんて不公平だ。僕達が味わった深い絶望まで、人間共を叩き落としてやらないと気が済まないだろう」

 はぁ…………と大笑いの余韻で息を吐き、クロノはナトラの頭を撫でた。そして柔らかく微笑み、

「ねぇ、ナトラ。君のお気に入りの人間はとても面白いね。そしてとても頭がおかしい」

 何故か私の事を罵倒してきた。

「そうじゃろう、アミレスは面白くて頭がおかしいのじゃ!」

 ナトラ、そこは否定するところでしょう!?

「……君は楽しい事や面白い事も好きだもんね。ナトラがあの娘を気に入った理由が分かった気がするよ」
「むふふっ! 兄上もアミレスのいい所を理解してくれたようで嬉しいのじゃ」
「フフ、まさかあんな事を人間から提案されるなんて思わなかったよ。だけど……うん、とても魅力的な提案だ」

 クロノの視線がこちらに向けられる。右手をナトラの頭に乗せたまま、クロノは口を切った。

「君の言う、人間共を深い絶望に落として苦しめる手段……それを教えてくれ。君の提案を飲み、僕は人間共が苦しみ絶望する様を眺めていく事にしよう」
「つまり、今すぐ人類を滅ぼしたりはしないと……そう、誓ってくださるのですね?」
「ああ。人間の意見に賛同するのは少し癪だけど、君の意見には一理あるからね。ただ人間共を殺すだけでは、僕達への裏切りの償いに到底及ばない。これから何百年もの時を使い、じっくりと痛めつけてやる事にしたから」

 真顔で恐ろしい事を述べたクロノは、それに、と補足するように続けた。

「緑……ナトラと約束したから。とりあえず、暫くは人間を殺さないって」
「成程。では私は、偉大な黒の竜たるあなたの誇りと、大事な友達たるナトラを信じて……その約束が守られる限り、あなた達を人間から守ると誓います」

 今までナトラを匿ってこれたのだ。多分、一体ぐらい竜が増えたってバレないバレない。もし万が一、世間に二体の存在がバレたとしても、あの手この手で全力で守るつもりだ。
 だから安心してくれと。ナトラを人間社会に連れて行くと決めたあの日のように、決意と共に宣言した。

「──守る? 君が、僕達を?」

 クロノは鋭い黄金の瞳を檸檬のように丸くしていた。

「はい。これでも一応、それなりの支配者階級の人間なので。ある程度民衆を黙らせる力ぐらいはあります。戦闘能力もそれなりにはあり、対人戦も経験があります。なので、もし民衆があなた達を襲うような事があれば、私がそれを何とかします」
「……ふむ、他には?」

 なんだろう、この面接のようなやり取り。
 少し緊張感の漂うこの空間で。私は、固唾を呑んで更に続ける。

「ナトラと一緒に、人間体のまま生活されるのでしたら……そうですね、三食昼寝付き、日当り良好な個人部屋とフカフカの寝台ベッド。他にも欲しいものがあれば都度ご用意します」
「…………うん? まぁ、続けて」
「基本的にうちは人が少ないので、時と場合にもよりますが、私が生きている限りは人間との接触を最低限度に済ませる事も可能かと思います」
「それは助かるな……」
「何かやりたい事があれば、希望してくださった理想に限りなく近い形でそれを実現します。ちなみにナトラは自ら侍女業を買って出て、その働きに見合う俸給も毎月与えております」
「俸給……? ナトラ、働いてるの?」
「当たり前じゃ。今どきオトナが無職なんてこの人間社会では有り得んからの」
「そ、そうなんだ…………」

 ナトラが侍女の仕事をしている事を知り、クロノは少しショックを受けたらしい。しゅんと俯くその表情がとても寂しげだった。

「それで、いかがでしょうか。ナトラと共にこちらに住まわれるのでしたら、手回し等はこちらで済ませますよ」
「……断る理由が今の所見つからないから、その提案を受けよう。ナトラ共々、これからよろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 こうして、クロノは東宮に住むようになった。
 部屋はナトラの部屋から扉で続いている少し小さめの部屋。個人部屋を用意するつもりだったのだが、本人の熱い希望でナトラの隣の部屋に。
 我が東宮の使用人居住区画。元々空き部屋ばかりだった東宮だが、ハイラの不在を埋める為の侍女達や、私が連れて来たシュヴァルツやナトラ、更にイリオーデにアルベルトと……どんどん住み込む人が増えて来たので、そういった人達の個人部屋はひと区画に集中させたのだ。
 私関連で、訳ありな客やそもそも人間じゃない客が多い東宮では、突然見知らぬ人が現れてもいつもの事。私への忠誠心が何気に高い侍女達は、『あぁ、またよく分からないお客様ね』と慣れた表情でクロノを歓迎した。
 元々人間じゃない存在に耐性のあった東宮メンバーも、ナトラの橋渡しの甲斐もあってクロノとすぐに仲良くなった。……仲良くなったと思っているのは、こちらだけな可能性が高いけど。
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