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雪解けを待つ ⑺

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王都からリーズリー領までは、馬で駆けて三日ほど。馬車を使用すれば一週間はかかる道のりだ。リズはデストロイと距離を保ちながらも、初めての馬車旅に慣れようと奮闘していた。
宿ではアンが変わらずまめまめしく世話をしてくれるが、ずっと馬車に座っていたために腰も痛ければ尻も痛い。決して男性陣には言えないことだが、お尻が痛くて痛くてたまらないのだ。リズは半ば半泣きになりながらアンにマッサージをしてもらっていた。

「お可哀想に、お嬢様。明日はお尻にクッションを敷きましょうね」

「は、恥ずかしいからアスベルト殿下とかには言わないでちょうだいね……」

半泣きでリズは枕に顔を埋めた。
アスベルトならまだいい。
デストロイに知られようものなら、あの男は何を言うか分からない。また食えない顔をして偉そうな顔をするに違いない。
リズの懇願にアンは笑みを浮かべて頷いた。

「もちろんでございます。男性に、お嬢様のお体についてお話するはずがありません」

「ありがとう……。もうそろそろ食事よね?」

アスベルトとデストロイとは、一時間後に階下の食事処で合流する手筈となっている。この宿は食事も併設されているのだ。
リズの言葉にアンは頷いた。

「そうですね、そろそろ行きましょうか」

リズとデストロイ、アスベルト、アンのほかに護衛は十人ほどリーズリーの邸宅から連れてきている。安全面を考え、リズが滞在する宿も値の張る高級宿だ。
十数人が突然宿を使いたいと申し出たので、宿の主人は思わぬ臨時報酬にほくほく顔だった。
安全面を考え、リズはアンと、デストロイアスベルトと同室だが、それでも一室の料金はそこらの宿を数日泊まれる程度。

アンのマッサージを終えたリズが階下に戻ると、そこにはアスベルトの姿しか無かった。
リズが不思議そうにしていると、エールを手に持っていたアスベルトが柔和な表情でリズを招いた。

「きみのそういう格好を見るのは初めてかも。意外と似合うね、リズレイン嬢」

「そういうアスベルト殿下も板についたご様子で」

今ふたりは、身分が露呈しないようにそれぞれ町娘と平民の姿に扮装している。アスベルトは慣れた様子でほつれの目立つ、麻の服を着崩して着込んでいた。
変わらず仮面は被っているので、違和感はぬぐえないが。

「あの、デストロイ様は?」

「ああ、彼なら馬車旅に疲れたから少し寝るって」

……尻を痛めたのは、どうやらリズだけではなさそうだった。
アスベルトは旅に慣れていると自分で言っただけあり、あまり疲れていないようだ。
リズはアンと共に、アスベルトの対面に座った。

「リズレイン嬢は何食べる?ここは魚料理が有名だよ」

「……いえ。あの、アスベルト殿下は……」

リズは言葉を探した。
今は、アンはいるもののデストロイは不在だ。
アスベルトになにか尋ねるなら絶好の機会だ。リズは悩みながら彼を見た。
アスベルトは、リズの言葉を待っているのだろう。エールを呷る手を止めている。

「知り合いが突然、豹変したらどうしますか?」

突然の言葉に、アスベルトは驚いたようだった。しかし、リズが突然話を切り出すことに慣れつつあるのか、彼は真剣に彼女の質問を考え始めた。

「えー?豹変?それは悪い意味で?」

「そうですね」

「……それが、政治に悪影響を及ぼすものなら、止めたいと思うよ。でも、それでも変わらないというのなら、僕が引導を渡す。これでも僕には責任があるからね」

アスベルトは場所が場所だから言葉を選んだようだった。
アスベルトらしい言葉だとリズは思った。
だけどリズが求めているのはそうした具体的な方針ではない。
リズは膝の上で手を組み、自身の指に触れながら尋ね直す。

「人間性についてはどう思います?どうして豹変してしまったか、とか」

「ああ、そういう話」

アスベルトもリズが何を聞きたいのか理解したのだろう。そして彼は行儀悪くもテーブルに頬杖をつきながら、視線を斜め上に逸らし、思案する様子を見せた。

「……ま、豹変に感じるのはこちらの勝手かもね。もともとそういう人間だったのかもしれないし」

「………」

「それか、それはその人自身でない可能性もあるよね」

「え?」

思わぬ言葉にリズは顔を上げた。
ぱちりと視線が交わる。
アスベルトは口角をあげて、なにか企むような顔になった。

「僕らの世界ではよくある話だよ?その人だと思ったら、騙されてた、とかね」

「だま、され……」

リズは目を見開く。

大雨のあの日。
リズは確かに彼を見た。

彼の、あのアリスブルーの・・・・・・・髪を見たのだ・・・・・

(でも……私)

リズが目にしたのは、後ろ姿。
珍しい髪色と、髪の長さでヴェートルだと彼女は確信した。
それに、ベルロニア公爵とも彼は呼ばれていた。
だから彼女はヴェートルに違いないと思っていた、のだが……。
愕然とした表情で黙り込むリズに、アスベルトも何の話か気になったのだろう。
エールを片手に持ちながら彼は首を傾げた。

「ヴェートルの話かな」

「………」

リズは否定も肯定もしなかったが、彼はヴェートルの話だと確信したようだった。

「とにかくきみたちには会話が足りないんだよ。ヴェートルに会ったらまずは話し合うこと。つまらないすれ違いなんて解消した方がいい」

そういうと、アスベルトはエールを一気にあおり、中の酒を飲み干すと近くを通った従業員を呼び止めた。

「これ美味しいね、もう一杯貰える?」

「え?あっ、ああ、わかりました」

従業員はアスベルトの仮面を見て少し怯んだ様子を見せたものの、すぐに酒を取りに厨房に引っ込んだ。リズはその様子を見ながら、ふと考えた。

(……アスベルト殿下はいつも顔半分を隠す仮面をされているけど、どうしてかしら)

意味もなくつけているわけではないだろう。
なにか理由がある。しかし、その理由をリズは知らない。
その日は馬車旅一日目ということもあり、疲労回復のため早々に部屋に戻った。
入浴を終え、ベッドに入るとすぐさまリズは眠りに落ちてしまった。
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