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過去への回帰 ⑵
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まともに言葉が返ってきたことにリズは驚いた。ひとの精気を奪って長らえる吸血鬼だとか、人肉を食らうアンデッドだとか、はたまた人間に化けた狐だとか言われても彼女は信じていただろう。
はくはくと口の開閉を繰り返す彼女に、先に反応を示したのは彼の方だった。
未だに一糸まとわぬ彼女は、肌を隠そうとするどころか、目を見開いて彼を見ている。
まるで、幻の動物のツチノコでも目にしたかのような顔だ。
しかし残念ながら彼──ヴェートルは、未確認生物でもなければ、魔物の類でもなかった。
「服を着てください。まず話はそれからです」
静かに彼女に言った。
紳士的にも、ていねいに彼は後ろを向いてリズを待つ。
彼が背中を向けてようやく──ほんとうにようやく、彼女は彼が魔物でも吸血鬼でもゾンビでも、はたまた狐でもないと知ると、劈くような悲鳴をあげた。
「っ、きゃあああああ!」
すぐさまメイドが飛んできて、近くに立つ彼を見て同じように悲鳴をあげた。
メイドは、リズの替えの服に不足分があったことに気がつき、城まで取りに戻っていたのだった。
「この湖は、リーズリー公爵が一般の方の立ち寄りを禁じております。公爵の許可はございますか?」
メイドが強気にも彼に詰め寄ると、彼はちらりとメイドを見て疲れたような、困ったような、そんな顔をした。
「……リーズリー公爵から勧められて来てみたのですが」
「え」
「どうやら、行き違いがあったようですね」
彼が苦笑をしたところで、どうにかひとりでドレスの着付けを終えたリズが彼の元にきた。
彼女は、いまさらながら彼がひとりの──人間の男性だということに気が付き、羞恥のために頬を赤くしていた。
初めて異性に肌を見られたのだ。
婚前の娘が、婚約者でもない異性に!
(なんてこと!なんてこと!なんてことなの!!)
それがどんなにたいへんなことか、公爵令嬢のリズは毎日、口うるさく教師から教えられたために知っている。
リズは怒りのままにキッと彼を睨みあげた。
「あなた、無礼じゃない!私の林浴を見たわね!」
「故意ではありません。偶然です」
「そんな話はしてないのよ!問題は、あなたが私の肌を見たということ」
彼女が声をとがらせて彼を責めた。
年下の少女に責め立てられた彼は眉を寄せた。
「……不可抗力です。ですが、あなたの肌を見てしまい申し訳ありません」
「………」
素直に謝られてしまえば、悔しいことにリズもそれ以上は責めることができない。
メイドとの話を聞くに、父親である公爵がこの地の立ち寄りを許したのだろうから。リズは父に、今日湖に足を運ぶことを伝えていない。リズが湖に向かうのはいつも唐突で、予定を決めて向かう、なんてことはしないからだ。
くちびるを引き結んでそれ以上何も言えなくなった彼女を見て、気の毒に思ったのだろうか。
彼は首を傾げて、宥めるように彼女に言った。
「遠目でしたし、背中しか見えていませんよ」
「……そう」
それだけでも、見てしまったのは確かなのだ。
リズは眉を寄せて彼を睨みつけた。
これ以上言葉を持って彼を責めることはできないとリズにもわかっていたので、ただ睨むだけに留めたのだ。そんな彼女を見て、彼がまたぽつりと言葉をこぼす。
「まるで女神の林浴のようですね」
「私が女神のように美しいと言いたいの?お上手ね」
昔から他者に傅かれ、褒められて育ったリズは疑わずにそう受け取った。
しかし、彼は無表情で彼女の言葉を否定した。
「いえ……林浴を目撃されて逆鱗に触れる女神に似ているな、と。猟師アクタイオーンと女神ディアナの話はご存知でしょう」
「………」
つまり、リズは女神さながらお高く止まっていると言いたいのだろうか。
無表情の男はなにを考えているのか全く分からない。表情がなければますます生気に欠けていて、人間離れしていた。
「……鹿に変えられなくてよかったじゃない。私が人間であったことを喜ぶのね」
「……そうですね」
(あ、今のはわかるわ)
彼はほんの少し眉を寄せたが、きっとリズのことをめんどくさいと思ったのだろう。
彼がいくつなのかはわからなかったが、リズの周りのどの男性とも違う。彼はあまりにも失礼で、リズに対して忖度などしなかった。
リズの周りにいる人間は誰もが彼女に気遣い、遠慮し、慮るというのに。
「……鹿に変えられたいの?」
彼のそんな無礼な態度にさらにむっとした彼女が覗き込むようにして彼を見ると、彼は驚いたように目を見開いた。
「いいえ。……そうですね、鹿に変えられて猟犬に食い殺されなかっただけ、幸運だと思うことにします。私は令嬢と接することがあまりありませんので……礼を失していたら申し訳ありません」
青年が非礼を詫びると、ようやくリズも腹の虫が納まった。
令嬢とふだん関わりのない湿気た生活をしているのなら、多少の無作法も仕方ないわね、とリズは幼い少女ながらも寛大な心で彼を許したのだった。
その代わりに、気になったのは彼の素性だ。
彼はさっき、公爵に勧められて、と話していた。
ということは。
「あなた、だれなの?お父様のお客様?」
「ご挨拶が送れました。私は、ヴェートル・ベロルニアです。お見知りおきを、お嬢さま」
「ベロルニア……って、あのベロルニア公爵!?」
名前を繰り返した彼女は、目を見張って彼を見た。
ベロルニア公爵といえば有名だ。
リズはまだ社交界デビューをしていないため、目にしたことはなかったが、ベロルニア公爵の息子──次期公爵を約束された彼は、残酷で無慈悲、人殺しをなんとも思わない冷酷な人間だと昼のお茶会で、既にデビューを果たしている令嬢から聞いたことがあったのだ。
目を合わせただけで相手を凍らせる眼力を持つ、『雪女』の末裔。
ひとを呪うことはお手の物で、夜な夜な怪しげな儀式に取り組んでいるという。
人間の血が通っておらず、ひとの気持ちを理解しえない。
公爵家で造られたホムンクルスという説すら浮上しているほどだ。
リズはそれを聞いて、どんな化け物なのかと脳内で恐ろしい牙とツノを持つ魔物を思い描いていたのだが──まさか、目の前の青年がまさにその残酷無慈悲と噂される公爵子息とは。
(噂もたいがいあてにならないものね……)
はくはくと口の開閉を繰り返す彼女に、先に反応を示したのは彼の方だった。
未だに一糸まとわぬ彼女は、肌を隠そうとするどころか、目を見開いて彼を見ている。
まるで、幻の動物のツチノコでも目にしたかのような顔だ。
しかし残念ながら彼──ヴェートルは、未確認生物でもなければ、魔物の類でもなかった。
「服を着てください。まず話はそれからです」
静かに彼女に言った。
紳士的にも、ていねいに彼は後ろを向いてリズを待つ。
彼が背中を向けてようやく──ほんとうにようやく、彼女は彼が魔物でも吸血鬼でもゾンビでも、はたまた狐でもないと知ると、劈くような悲鳴をあげた。
「っ、きゃあああああ!」
すぐさまメイドが飛んできて、近くに立つ彼を見て同じように悲鳴をあげた。
メイドは、リズの替えの服に不足分があったことに気がつき、城まで取りに戻っていたのだった。
「この湖は、リーズリー公爵が一般の方の立ち寄りを禁じております。公爵の許可はございますか?」
メイドが強気にも彼に詰め寄ると、彼はちらりとメイドを見て疲れたような、困ったような、そんな顔をした。
「……リーズリー公爵から勧められて来てみたのですが」
「え」
「どうやら、行き違いがあったようですね」
彼が苦笑をしたところで、どうにかひとりでドレスの着付けを終えたリズが彼の元にきた。
彼女は、いまさらながら彼がひとりの──人間の男性だということに気が付き、羞恥のために頬を赤くしていた。
初めて異性に肌を見られたのだ。
婚前の娘が、婚約者でもない異性に!
(なんてこと!なんてこと!なんてことなの!!)
それがどんなにたいへんなことか、公爵令嬢のリズは毎日、口うるさく教師から教えられたために知っている。
リズは怒りのままにキッと彼を睨みあげた。
「あなた、無礼じゃない!私の林浴を見たわね!」
「故意ではありません。偶然です」
「そんな話はしてないのよ!問題は、あなたが私の肌を見たということ」
彼女が声をとがらせて彼を責めた。
年下の少女に責め立てられた彼は眉を寄せた。
「……不可抗力です。ですが、あなたの肌を見てしまい申し訳ありません」
「………」
素直に謝られてしまえば、悔しいことにリズもそれ以上は責めることができない。
メイドとの話を聞くに、父親である公爵がこの地の立ち寄りを許したのだろうから。リズは父に、今日湖に足を運ぶことを伝えていない。リズが湖に向かうのはいつも唐突で、予定を決めて向かう、なんてことはしないからだ。
くちびるを引き結んでそれ以上何も言えなくなった彼女を見て、気の毒に思ったのだろうか。
彼は首を傾げて、宥めるように彼女に言った。
「遠目でしたし、背中しか見えていませんよ」
「……そう」
それだけでも、見てしまったのは確かなのだ。
リズは眉を寄せて彼を睨みつけた。
これ以上言葉を持って彼を責めることはできないとリズにもわかっていたので、ただ睨むだけに留めたのだ。そんな彼女を見て、彼がまたぽつりと言葉をこぼす。
「まるで女神の林浴のようですね」
「私が女神のように美しいと言いたいの?お上手ね」
昔から他者に傅かれ、褒められて育ったリズは疑わずにそう受け取った。
しかし、彼は無表情で彼女の言葉を否定した。
「いえ……林浴を目撃されて逆鱗に触れる女神に似ているな、と。猟師アクタイオーンと女神ディアナの話はご存知でしょう」
「………」
つまり、リズは女神さながらお高く止まっていると言いたいのだろうか。
無表情の男はなにを考えているのか全く分からない。表情がなければますます生気に欠けていて、人間離れしていた。
「……鹿に変えられなくてよかったじゃない。私が人間であったことを喜ぶのね」
「……そうですね」
(あ、今のはわかるわ)
彼はほんの少し眉を寄せたが、きっとリズのことをめんどくさいと思ったのだろう。
彼がいくつなのかはわからなかったが、リズの周りのどの男性とも違う。彼はあまりにも失礼で、リズに対して忖度などしなかった。
リズの周りにいる人間は誰もが彼女に気遣い、遠慮し、慮るというのに。
「……鹿に変えられたいの?」
彼のそんな無礼な態度にさらにむっとした彼女が覗き込むようにして彼を見ると、彼は驚いたように目を見開いた。
「いいえ。……そうですね、鹿に変えられて猟犬に食い殺されなかっただけ、幸運だと思うことにします。私は令嬢と接することがあまりありませんので……礼を失していたら申し訳ありません」
青年が非礼を詫びると、ようやくリズも腹の虫が納まった。
令嬢とふだん関わりのない湿気た生活をしているのなら、多少の無作法も仕方ないわね、とリズは幼い少女ながらも寛大な心で彼を許したのだった。
その代わりに、気になったのは彼の素性だ。
彼はさっき、公爵に勧められて、と話していた。
ということは。
「あなた、だれなの?お父様のお客様?」
「ご挨拶が送れました。私は、ヴェートル・ベロルニアです。お見知りおきを、お嬢さま」
「ベロルニア……って、あのベロルニア公爵!?」
名前を繰り返した彼女は、目を見張って彼を見た。
ベロルニア公爵といえば有名だ。
リズはまだ社交界デビューをしていないため、目にしたことはなかったが、ベロルニア公爵の息子──次期公爵を約束された彼は、残酷で無慈悲、人殺しをなんとも思わない冷酷な人間だと昼のお茶会で、既にデビューを果たしている令嬢から聞いたことがあったのだ。
目を合わせただけで相手を凍らせる眼力を持つ、『雪女』の末裔。
ひとを呪うことはお手の物で、夜な夜な怪しげな儀式に取り組んでいるという。
人間の血が通っておらず、ひとの気持ちを理解しえない。
公爵家で造られたホムンクルスという説すら浮上しているほどだ。
リズはそれを聞いて、どんな化け物なのかと脳内で恐ろしい牙とツノを持つ魔物を思い描いていたのだが──まさか、目の前の青年がまさにその残酷無慈悲と噂される公爵子息とは。
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