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それは贖罪か、罪滅ぼしか
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未婚でありながら、処女性を失うなど有り得ない。醜聞を嫌う社交界では、有り得ない失態だ。
もしこれが外部に漏れれば、私はもちろん、ヴァネッサ公爵家への悪評も広がるだろう。
もともとヴァネッサ公爵家をよく思っていない貴族たちはここぞとばかりに石を投げるはずだ。
王太子を体で篭絡した毒婦、と悪口を叩かれることは間違いない。
だけど私はそれを覚悟の上で、媚薬を飲んだ。
彼が責任を覚える必要はない。
そう思ったが、きっと彼は私の言葉を聞かないだろう。
既に、陛下とお父様に話を通していると言っていたのだから、尚更。
それは、贖罪だ。
愛ではない。
彼は罪滅ぼしに、私を幸せにすると言う。
私が彼のために媚薬を飲んだと、知っているから。
私のことを愛してもいないのに、まるで愛しているかのように振る舞い、求婚し、幸福を約束した。
ひどいひとだ。
残酷なひとだ。
そして──可哀想なひとだ、と思った。
だって彼は、その罪悪感から私に縛り付けられるのだから。
自分の色恋よりも、妹のような存在の私を優先するという。
周りに目を向ければ、きっと彼が好む娘もいるだろう。
だけど彼はそれらには目を向けず、私を愛する努力をするという。
私の処女を奪ったから。
その責任を負うために。
──可哀想。
罪悪感に囚われる彼を、私は解放するべきだ。
婚約破棄をするなら、私が十六になってから、と考えていた。
だけど──私はほんとうに、十六で死ぬのだろうか。
未来が変わっているなら、私の死の運命もまた、変わっているのではないか。
私は、Xdayを乗り越えたら、婚約破棄をするつもりだった。
今はまだ、婚約破棄をすることはできない。
彼を庇って、私は死ぬ可能性がある。
それはつまり、彼の命もまた、狙われる可能性が高い、ということ。
私は彼の盾にならなければならない。
だから今は、彼のために、彼の命を守るために、婚約破棄はできなかった。
しかし、自覚する。
未来が変わったかもしれない、今になって、ようやく。
彼のため、じゃない。
私は、私はきっと。
そうやって理由付けをして、彼のそばに少しでも長くいたかったのだ。
彼のため。
その言葉で自身の欲を覆い隠していた。
ほんとうは、私のため。
私が、彼と共にいたかっただけなのに。
ずるい私は、彼のためという大義名分を使用して、自身の抱える欲求を隠していた。
なにが、彼のためなのだろう。
リュアンダル殿下のためを考えるなら、いますぐ。
私はゆっくりと顔を上げた。
彼の腕に包まれたこの場所が、いちばん好きだ。
でも、もう手放すべきだ。
未来が変化している可能性がある以上、十六という年齢にこだわる必要はなくなったのだから。
私は、自分から、彼の胸をそっと手で押した。
距離が空く。
隙間が生まれる。
それが、今後の私たちに必要な空間。
リュアンダル殿下が、怪訝そうに私を見る。
「シュネイリア?」
その瞳の穏やかさに安堵する。
ああ、私が好きになった瞳だ、と。
私が恋をした、春を写し取ったような色の瞳。
「……殿下」
言うなら、今しかない。
今を逃せば、それを実行するのは厳しくなるだろう。
私は、あなたを愛しているけど、愛しているからこそ。
誰よりも幸福を、甘受してほしいと思っている。
王太子の責務に囚われず、真実、こころに想うひとと結ばれて欲しいと思っている。
そこに、私の入る隙はない。
……もともと、なかったのだ。
だって私と彼は、そんな関係ではなかった。
私は、リュアンダル殿下の白藍色の瞳を見つめた。
春の空のように、薄い青の瞳。
雪解けを迎えた春の湖面のような色合いの瞳。
優しさと甘やかさが混ざった、柔和な顔立ち。
王妃陛下によく似ている、美しく綺麗な顔かたちは、高貴さや気品も感じさせた。
ふわりと香る白檀の優しい香りが好きだった。
きっと、一目惚れだった。
だけど、憧れは憧れのままにしておくべきだったのだろう。
だって、情景を恋情に変えた途端、欲してしまう。
ひとは欲深いから、求めるだけでは飽き足らず、相手にも同じものを求めてしまう。
「今ならまだ、間に合うのではありませんか」
「なにが」
平坦に彼が言う。
いつもの私なら、多少たじろぐのかもしれないが、今、私は覚悟を決めている。だから、淀みなく、言葉にできた。
「……この婚約は、破談にしませんか。昨夜のことは、なかったことにするのです。まだ、間に合います」
彼は、優しいからきっと、その選択を許さない。
だから私は、嘘を吐く。
「あなたが、嫌いです。心底。反吐が出るほど、嫌いです。どうか、私を思うなら──私のためだとおっしゃるなら。この婚約は、破談にしてください」
彼を傷つけるひどい嘘だ。
でも、これで良いと思った。
きっと、こうでもしないと、彼は私を手放さない。
その、責任感の重さから。義務感から。
彼は、優しいひとだから。
だから、私から、手放すの。
この立場を。
彼の隣にいる権利を。
私が吐いた毒は、彼だけでなく私の舌もまた、びりびりと痺れさせた。
遅効性の毒は、ゆっくりと体内を巡る。
リュアンダル殿下が、息を呑む。
その美しい瞳が傷つくさまを見たくなくて、私はまつ毛を伏せた。
──ヴィーリアの友好国、マーセル国の訪問が突如決定する、三日前のことだった。
【第一章 完】
もしこれが外部に漏れれば、私はもちろん、ヴァネッサ公爵家への悪評も広がるだろう。
もともとヴァネッサ公爵家をよく思っていない貴族たちはここぞとばかりに石を投げるはずだ。
王太子を体で篭絡した毒婦、と悪口を叩かれることは間違いない。
だけど私はそれを覚悟の上で、媚薬を飲んだ。
彼が責任を覚える必要はない。
そう思ったが、きっと彼は私の言葉を聞かないだろう。
既に、陛下とお父様に話を通していると言っていたのだから、尚更。
それは、贖罪だ。
愛ではない。
彼は罪滅ぼしに、私を幸せにすると言う。
私が彼のために媚薬を飲んだと、知っているから。
私のことを愛してもいないのに、まるで愛しているかのように振る舞い、求婚し、幸福を約束した。
ひどいひとだ。
残酷なひとだ。
そして──可哀想なひとだ、と思った。
だって彼は、その罪悪感から私に縛り付けられるのだから。
自分の色恋よりも、妹のような存在の私を優先するという。
周りに目を向ければ、きっと彼が好む娘もいるだろう。
だけど彼はそれらには目を向けず、私を愛する努力をするという。
私の処女を奪ったから。
その責任を負うために。
──可哀想。
罪悪感に囚われる彼を、私は解放するべきだ。
婚約破棄をするなら、私が十六になってから、と考えていた。
だけど──私はほんとうに、十六で死ぬのだろうか。
未来が変わっているなら、私の死の運命もまた、変わっているのではないか。
私は、Xdayを乗り越えたら、婚約破棄をするつもりだった。
今はまだ、婚約破棄をすることはできない。
彼を庇って、私は死ぬ可能性がある。
それはつまり、彼の命もまた、狙われる可能性が高い、ということ。
私は彼の盾にならなければならない。
だから今は、彼のために、彼の命を守るために、婚約破棄はできなかった。
しかし、自覚する。
未来が変わったかもしれない、今になって、ようやく。
彼のため、じゃない。
私は、私はきっと。
そうやって理由付けをして、彼のそばに少しでも長くいたかったのだ。
彼のため。
その言葉で自身の欲を覆い隠していた。
ほんとうは、私のため。
私が、彼と共にいたかっただけなのに。
ずるい私は、彼のためという大義名分を使用して、自身の抱える欲求を隠していた。
なにが、彼のためなのだろう。
リュアンダル殿下のためを考えるなら、いますぐ。
私はゆっくりと顔を上げた。
彼の腕に包まれたこの場所が、いちばん好きだ。
でも、もう手放すべきだ。
未来が変化している可能性がある以上、十六という年齢にこだわる必要はなくなったのだから。
私は、自分から、彼の胸をそっと手で押した。
距離が空く。
隙間が生まれる。
それが、今後の私たちに必要な空間。
リュアンダル殿下が、怪訝そうに私を見る。
「シュネイリア?」
その瞳の穏やかさに安堵する。
ああ、私が好きになった瞳だ、と。
私が恋をした、春を写し取ったような色の瞳。
「……殿下」
言うなら、今しかない。
今を逃せば、それを実行するのは厳しくなるだろう。
私は、あなたを愛しているけど、愛しているからこそ。
誰よりも幸福を、甘受してほしいと思っている。
王太子の責務に囚われず、真実、こころに想うひとと結ばれて欲しいと思っている。
そこに、私の入る隙はない。
……もともと、なかったのだ。
だって私と彼は、そんな関係ではなかった。
私は、リュアンダル殿下の白藍色の瞳を見つめた。
春の空のように、薄い青の瞳。
雪解けを迎えた春の湖面のような色合いの瞳。
優しさと甘やかさが混ざった、柔和な顔立ち。
王妃陛下によく似ている、美しく綺麗な顔かたちは、高貴さや気品も感じさせた。
ふわりと香る白檀の優しい香りが好きだった。
きっと、一目惚れだった。
だけど、憧れは憧れのままにしておくべきだったのだろう。
だって、情景を恋情に変えた途端、欲してしまう。
ひとは欲深いから、求めるだけでは飽き足らず、相手にも同じものを求めてしまう。
「今ならまだ、間に合うのではありませんか」
「なにが」
平坦に彼が言う。
いつもの私なら、多少たじろぐのかもしれないが、今、私は覚悟を決めている。だから、淀みなく、言葉にできた。
「……この婚約は、破談にしませんか。昨夜のことは、なかったことにするのです。まだ、間に合います」
彼は、優しいからきっと、その選択を許さない。
だから私は、嘘を吐く。
「あなたが、嫌いです。心底。反吐が出るほど、嫌いです。どうか、私を思うなら──私のためだとおっしゃるなら。この婚約は、破談にしてください」
彼を傷つけるひどい嘘だ。
でも、これで良いと思った。
きっと、こうでもしないと、彼は私を手放さない。
その、責任感の重さから。義務感から。
彼は、優しいひとだから。
だから、私から、手放すの。
この立場を。
彼の隣にいる権利を。
私が吐いた毒は、彼だけでなく私の舌もまた、びりびりと痺れさせた。
遅効性の毒は、ゆっくりと体内を巡る。
リュアンダル殿下が、息を呑む。
その美しい瞳が傷つくさまを見たくなくて、私はまつ毛を伏せた。
──ヴィーリアの友好国、マーセル国の訪問が突如決定する、三日前のことだった。
【第一章 完】
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