9 / 71
死んでいいひと、だめなひと
しおりを挟む
また、夢を見た。
男性が、女性を抱きしめている。
黒髪の娘──ファラビアは、泣いているようだった。
彼は、彼女をしっかりと抱きしめていた。
離さないように。彼女が、逃げないように。
彼の白金のまつ毛は伏せられて、その空色の瞳を僅かに隠す。
甘やかな顔立ちをしているのに、今はとても冷たく見えた。
冷えるような、氷のような空気感を持つ男だ。
だけどその声は、確かに優しさを滲ませていた。
「……シュネイリアは、私にとってかけがえのない存在だった」
その言葉に、王女の肩がぴくりと跳ねる。
それを慰めるように彼は彼女の背を撫でる。
彼は僅かに微笑した。
それだけで、氷のような雰囲気は溶け、春を迎えた陽だまりのようなあたたかさを醸し出す。
彼が彼女を見る瞳は、とても優しかった。
とても、優しい瞳だった。
「だけど、シュネイリアは、私の初恋ではない」
王女は答えない。
彼は、彼女の背を撫でた。
背に流れる黒髪を指で梳き、遊ばせる。
「妹のように思っていた、彼女のことを。幼い頃から知っているし、私によく懐いてくれた。だから……」
彼はここで言葉を区切ったが、過去に思いを馳せていたことは容易に知れる。
王女が顔を上げる。
青い瞳は、涙に濡れていた。
彼が苦笑した。
「私が好きなのは、ファラビア。あなただけだ。あなたが私に愛を教えてくれた。シュネイリアを……過去の、思い出にしてくれた」
リュアンダル殿下が王女の手をすくいあげるように持ち上げて、その手の甲に口付けを落とした。王女は恥ずかしげにまつ毛を伏せる。
「──愛してる」
☆
「シュネイリア嬢?」
はっと我に返る。
寝不足のせいか、昨日見た夢に囚われていた。
顔を上げると、リュアンダル殿下は、訝しげに私のことを見ていた。
ロイド伯爵家を訪ねた翌日、リュアンダル殿下がヴァネッサ公爵家を訪れた。
前々から約束していたのだ。
次の【祝福の日】の打ち合わせをするためだった。
この国には、魔獣が出現する。
魔獣は森の奥深くで生まれると言われていて、物理攻撃は効かない。
基本、特性攻撃を振るわなければ倒せないのだ。
魔獣の出没時期は、夏から秋にかけて。
そろそろ魔獣討伐の隊が組まれる頃合いだろう。
それに先がけて、魔獣討伐の成功を願い、【祝福の日】が定められた。
年に一度のこの行事は、ヴィーリアでもっとも大切にされている儀式で、必ず貴族は参加しなければならない。
ヴァネッサ公爵家の庭園で、季節の花を見ながら彼と話をしていたのだ。
だけどいつの間にか、意識が散漫になってしまった。
……昨日は、あまり眠れなかったから。
「ごめんなさい。……ええと、衣装のお話でしたね。私は殿下の瞳の色に合わせようと思います」
「……うん。ねえ、シュネイリア嬢。さいきん、悩み事があるんじゃないかな」
すらりとした長い足を組み替えながら、リュアンダル殿下が私に尋ねた。
ラウンドテーブルを挟み、対面に座った彼が珍しく眉を寄せ、厳しい顔をしていた。
私は慌てて首を横に振ろうとして──それが不自然であることに気が付いた。
ここで嘘を吐けば、聡い彼にはきっと気付かれる。
彼はひとの表情の機微に聡い。
彼は物心がついた時から刺客に命を狙われ、特性が発現するまではとても苦労したと聞く。
彼が幼い頃は暗殺未遂が日常茶飯事だったようだ。
それも、特性が発現するまで、だが。
特性を得てなお、暗殺未遂は数は激減したものの、完全になくなったわけではない。
信じていた従僕、騎士、メイドが裏切り彼の命を狙ったり、拐おうとしたことは過去何度もあったようだ。
それもあってか、彼はひとの本心を見抜く力に長けているように思う。
自身を裏切っているか、裏切っていないか。
彼は穏やかで落ち着いていて、柔和な印象を受けるが──その実、誰よりも冷静に相手を見ているのだ。
いや、観察、と言った方が正しいだろう。
私は言葉を選びながら、偽りの中に僅かな真実を混ぜることにした。
偽りを口にする時、真実を少しでも混ぜれば、信ぴょう性が増すとどこかで聞いたことがあったから。
「……あまり眠れていなくて」
「そうなんだ。だから、顔色が悪いんだね」
「え……あ」
私は思わず自身の頬に手をやった。
確かに昨日、予知夢を見てから全く眠れずに朝を迎えたのだ。
夢から覚めた時の目覚めは変わらず最悪で、外は大雨が降っていた。
土砂降りの雨も悪影響して、頭痛が絶え間なかったのだ。
結果、まんじりともせず朝を迎えてしまったせいで、くまが酷い。
だけどそれはメイドの手によって化粧を施され、綺麗に隠されたはずだ。
少なくとも、日中、陽の下では分からない程度には。
狼狽えて目尻に触れる私に、彼がにっこりと笑う。
少し威圧的な、なにかしらの意図を含んだ微笑みだった。
「気付かないと思う?さいきんきみは顔色も悪いし、今日は隈まである。……どうしたの」
「夢……見が悪くて」
彼は私のセカンド特性を知っている。
予知夢だと気付かれたらどうしよう。
恐れる心を隠して彼に言う。
リュアンダル殿下に、私の予知夢を言うことは出来なかった。
一年後に私が死ぬことを知ったら彼は、きっとそれを阻もうとする。
私を救おうと、助けようとする。
だけど、それではだめなのだ。
私は【無効】の特性を持っているからこそ、死ぬ。
つまり、彼を守って死ぬ可能性があるのだ。
その可能性がある以上、彼に守られるわけにはいかない。
もし仮に、私が助かったとして、彼が死んでは意味が無い。
彼は、何よりも大切なひとなのだから。
ヴィーリア国にとって、失われてはならない存在だ。
王家の直系は彼しかいない。
彼が失われれば、世の秩序が乱れる。
彼は失われてはならないひと。
彼は、守られなければならないひと。
だから、リュアンダル殿下には言えない。
男性が、女性を抱きしめている。
黒髪の娘──ファラビアは、泣いているようだった。
彼は、彼女をしっかりと抱きしめていた。
離さないように。彼女が、逃げないように。
彼の白金のまつ毛は伏せられて、その空色の瞳を僅かに隠す。
甘やかな顔立ちをしているのに、今はとても冷たく見えた。
冷えるような、氷のような空気感を持つ男だ。
だけどその声は、確かに優しさを滲ませていた。
「……シュネイリアは、私にとってかけがえのない存在だった」
その言葉に、王女の肩がぴくりと跳ねる。
それを慰めるように彼は彼女の背を撫でる。
彼は僅かに微笑した。
それだけで、氷のような雰囲気は溶け、春を迎えた陽だまりのようなあたたかさを醸し出す。
彼が彼女を見る瞳は、とても優しかった。
とても、優しい瞳だった。
「だけど、シュネイリアは、私の初恋ではない」
王女は答えない。
彼は、彼女の背を撫でた。
背に流れる黒髪を指で梳き、遊ばせる。
「妹のように思っていた、彼女のことを。幼い頃から知っているし、私によく懐いてくれた。だから……」
彼はここで言葉を区切ったが、過去に思いを馳せていたことは容易に知れる。
王女が顔を上げる。
青い瞳は、涙に濡れていた。
彼が苦笑した。
「私が好きなのは、ファラビア。あなただけだ。あなたが私に愛を教えてくれた。シュネイリアを……過去の、思い出にしてくれた」
リュアンダル殿下が王女の手をすくいあげるように持ち上げて、その手の甲に口付けを落とした。王女は恥ずかしげにまつ毛を伏せる。
「──愛してる」
☆
「シュネイリア嬢?」
はっと我に返る。
寝不足のせいか、昨日見た夢に囚われていた。
顔を上げると、リュアンダル殿下は、訝しげに私のことを見ていた。
ロイド伯爵家を訪ねた翌日、リュアンダル殿下がヴァネッサ公爵家を訪れた。
前々から約束していたのだ。
次の【祝福の日】の打ち合わせをするためだった。
この国には、魔獣が出現する。
魔獣は森の奥深くで生まれると言われていて、物理攻撃は効かない。
基本、特性攻撃を振るわなければ倒せないのだ。
魔獣の出没時期は、夏から秋にかけて。
そろそろ魔獣討伐の隊が組まれる頃合いだろう。
それに先がけて、魔獣討伐の成功を願い、【祝福の日】が定められた。
年に一度のこの行事は、ヴィーリアでもっとも大切にされている儀式で、必ず貴族は参加しなければならない。
ヴァネッサ公爵家の庭園で、季節の花を見ながら彼と話をしていたのだ。
だけどいつの間にか、意識が散漫になってしまった。
……昨日は、あまり眠れなかったから。
「ごめんなさい。……ええと、衣装のお話でしたね。私は殿下の瞳の色に合わせようと思います」
「……うん。ねえ、シュネイリア嬢。さいきん、悩み事があるんじゃないかな」
すらりとした長い足を組み替えながら、リュアンダル殿下が私に尋ねた。
ラウンドテーブルを挟み、対面に座った彼が珍しく眉を寄せ、厳しい顔をしていた。
私は慌てて首を横に振ろうとして──それが不自然であることに気が付いた。
ここで嘘を吐けば、聡い彼にはきっと気付かれる。
彼はひとの表情の機微に聡い。
彼は物心がついた時から刺客に命を狙われ、特性が発現するまではとても苦労したと聞く。
彼が幼い頃は暗殺未遂が日常茶飯事だったようだ。
それも、特性が発現するまで、だが。
特性を得てなお、暗殺未遂は数は激減したものの、完全になくなったわけではない。
信じていた従僕、騎士、メイドが裏切り彼の命を狙ったり、拐おうとしたことは過去何度もあったようだ。
それもあってか、彼はひとの本心を見抜く力に長けているように思う。
自身を裏切っているか、裏切っていないか。
彼は穏やかで落ち着いていて、柔和な印象を受けるが──その実、誰よりも冷静に相手を見ているのだ。
いや、観察、と言った方が正しいだろう。
私は言葉を選びながら、偽りの中に僅かな真実を混ぜることにした。
偽りを口にする時、真実を少しでも混ぜれば、信ぴょう性が増すとどこかで聞いたことがあったから。
「……あまり眠れていなくて」
「そうなんだ。だから、顔色が悪いんだね」
「え……あ」
私は思わず自身の頬に手をやった。
確かに昨日、予知夢を見てから全く眠れずに朝を迎えたのだ。
夢から覚めた時の目覚めは変わらず最悪で、外は大雨が降っていた。
土砂降りの雨も悪影響して、頭痛が絶え間なかったのだ。
結果、まんじりともせず朝を迎えてしまったせいで、くまが酷い。
だけどそれはメイドの手によって化粧を施され、綺麗に隠されたはずだ。
少なくとも、日中、陽の下では分からない程度には。
狼狽えて目尻に触れる私に、彼がにっこりと笑う。
少し威圧的な、なにかしらの意図を含んだ微笑みだった。
「気付かないと思う?さいきんきみは顔色も悪いし、今日は隈まである。……どうしたの」
「夢……見が悪くて」
彼は私のセカンド特性を知っている。
予知夢だと気付かれたらどうしよう。
恐れる心を隠して彼に言う。
リュアンダル殿下に、私の予知夢を言うことは出来なかった。
一年後に私が死ぬことを知ったら彼は、きっとそれを阻もうとする。
私を救おうと、助けようとする。
だけど、それではだめなのだ。
私は【無効】の特性を持っているからこそ、死ぬ。
つまり、彼を守って死ぬ可能性があるのだ。
その可能性がある以上、彼に守られるわけにはいかない。
もし仮に、私が助かったとして、彼が死んでは意味が無い。
彼は、何よりも大切なひとなのだから。
ヴィーリア国にとって、失われてはならない存在だ。
王家の直系は彼しかいない。
彼が失われれば、世の秩序が乱れる。
彼は失われてはならないひと。
彼は、守られなければならないひと。
だから、リュアンダル殿下には言えない。
685
お気に入りに追加
1,366
あなたにおすすめの小説


【完結】彼の瞳に映るのは
たろ
恋愛
今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。
優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。
そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。
わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。
★ 短編から長編へ変更しました。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。
藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。
何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。
同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。
もうやめる。
カイン様との婚約は解消する。
でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。
愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません!
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる