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二章:賢者食い

名前がないならつけてしまばいいじゃない

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もう一刻の猶予もない。切羽詰まった様子の私に、男が狼狽える。

「とにかく話は後にしましょう!あなたの雇い主が追いかけてきてるから!早く逃げてくれる!?」

「えっ、は?俺?」

「あなた以外いないでしょ!ほら早く立って!ちなみに私を連れ戻したら、本気で『あなたも共犯者だ』って騒ぎたててやるから!」

「えー……」

「ほら早く!」

そのまま男の肩を掴んでがくがく前後に振る。
彼は黙って揺すられていたが、やがて深いため息とともに私の腰を抱き上げた。

「うわぉっ」

突然視界が高くなり、バランス感覚が狂う。
咄嗟に男の首に捕まった。

「はー……しゃーねぇ……。よく掴まっていてくださいね」

「おっ、落とさないでね!!」

「うわ、落としませんからそんなしがみついてこないでくれます!?首っ、首しまってますって!」

そうして、私と謎の男、テオはようやくその場を離れたのだ。

男は、さすが何でも屋(何でも屋ってそもそも何なんだろう)をやっていただけあって、ひとひとり抱えているとは思えないほどの速さで森を駆けた。
私がテオと進んでいた時よりもずっと早い。きっとテオは私の足に合わせてくれていたのだろう。

テオと男は、そのまましばらく無言で森を駆けていた。

私は──男の背におぶわれながらも、時々、木々の葉や小枝が顔面を直撃するので、仕方なく顔を伏せている。最初の方は、それでも頑張って顔を上げていたのが、結構な速さで小枝や葉がぶつかりその度に「ぐえっ」「ほぎゃっ」と奇声を発する羽目になったので、今では完全に顔を伏せていた。

『少しは私に気を使ってよ!』と男に抗議したが『はあ!?そこまでは無理ですよ!』と言われた。そのため、諦めて顔を伏せている。

そのままどれほど森の中を駆けただろうか。
やがて、ふわりと強い風が前方から振ってきた。
続いて、ザザン……と波の音。
その音に誘われ、私は顔を上げた。
恐る恐る顔を上げれば、幸い木の枝は顔に引っかからずに済んだ。

顔を上げ──私は目を瞬かせた。

(海だ……!)

海岸に辿り着くと、そのままそこでテオと男に魔法契約を結んでもらった──のだが、ここでひとつ問題が発生した。

それは。

「オレ、自分の本名わかんないだよね」

と言ったのはテオ。

「俺も、名前ってないんですよ。その時その時で呼ばれる名前が違うっていうか」

とは、男の言葉。

私はふたたび頭を悩ませる羽目になった。
まず、男だ。私は彼の胸元をがくがくと揺さぶった。男は、フードが取れてしまったことでふたたび顔を隠す必要はないと思ったのか、素顔は露わのままだ。ぱっちりとした緋色の瞳は優しげなのに、実は王家の【何でも屋】──いや、おそらく【暗部】なんて、人間わからないものだ。
少し長めの前髪は銀の髪シンプルな留めで留られている。
私は男に尋ねた。

「名前がないって、どういうこと?」

「だから……その時その時、オレの名前は変わらんですよ。ああでも、いちばん呼ばれる割合が多いのは【五番】かな」

それは彼の所属する部署に割り当てられた番号かなにかなのだろう。
私はふたたび頭に手を当てた。

「……ご両親につけてもらった名前は?」

尋ねると、男が私の言葉を笑い飛ばした。

「は、そんなのありませんよ。オレ捨て子だったんです。物心ついた時には貧民街で暮らしていて──その時から、名前なんてありません。いくつか、呼び名には心当たりありますけど、魔法契約に使用できるかはわかりません」

私は男の言葉に驚いていた。軽く頷きを返しながら男を見た。

「あなた……素直なのね」

「は?」

「だって、そこまで話してくれるとは思わないじゃない?実はあなた、結構いいひと?」

私の言葉に、男は面食らった様子を見せた。
それから疲れたようにため息を吐き、物言いたげに私を見る。

「それで?どうするんですか?魔法契約はなしで構いませんか?」

「えっ、魔法契約はするわよ、もちろん。テオ、こっち来て!」

地図を片手に方角を確認していたテオを呼び寄せ、私はふたりに魔法契約を結んでもらうことにした。ほんとうは私が、この男と魔法契約を結びたいのだが魔力が失われている今、それはできない。

テオには何かと迷惑をかけている。なにかお返ししないと……!そうは思うも、今の私にできることなどたかが知れている。
おそらく、旅はテオの方が圧倒的に慣れているだろう。炊事洗濯も、一から火を起こしたり川で洗濯……?そんな物語みたいなこと、今までやった試しがない。

私は全て魔法頼みだったのだ。

(だって魔法があれば困ることなんてないと思ってたし……!)

情けないことに、魔法があれば何とでもなると思っていた……。実際今まではなっていたし……。
魔法でどうにかこうにかするには、そのためにまず、テオの知り合いの専門医に会う必要があるだろう。
本格的に彼にお礼をするのは、きっとそれからになる。

(もちろん、道中私にもできそうなことがあれば何でもやるわ!)

根性だけが取り柄なので!
火起こし、川での洗濯、慣れれば結構簡単かもしれない。何事もやってみなきゃわからない。そう思うと、元気が出てきた。
私はそんなことを考えながら男に話しかけた。

「よし、決めました!あなたの名前は私が決めます!」

「えっ?」

「名前がないのは不便だもの。少なくとも、あなたには私の怪我が治るまでは私の面倒を見てもらう必要があるんだし……。これから、あなたはこう名乗るといいわ!……【ファーレ】って、良い名前だと思わない?響きとか!」

「は?ファーレ?」

男──ファーレが、戸惑った様子を見せる。
それに私は頷いて答えた。
いくつか呼び名はある、と答えた男にその呼び名とやらを聞いてみたのだが、正直そのどれもがまともな名前とは思えなかった。
だって、プシエールとかヴィスとかなんだもの。

私は男──ファーレを見て人差し指を一本ぴしり、と立てた。

「文句はない?それなら魔法契約に進むわよ?」

「……いいですけど、ファーレって」

「あなたには、私の旅における希望の光になってもらわなきゃ困るもの。そういう期待を込めて、の命名よ。いやなら他の名前を考えるけど?候補は他にもあったのよね、貴族の娘なだけあって、そういう知識は豊富よ?」

私の言葉に、ファーレは未だ唖然としていたがやがて諦めたように苦笑いを浮かべた。どうやら、異論はないようだ。

テオは私たちの話がまとまると、手早く魔法陣を展開した。
そして、今、名前をつけられたばかりのファーレと、本名不詳のテオに契約を結んでもらったのだが──正直、どこまで強制力があるのかわからない。

魔法契約は本来、本名で交わすものだ。完全ではない状態で、どこまで契約が行使されるか。そもそも魔法契約が結べるかどうかも実は不安だったのが、それは問題ないようだった。テオの描いた魔法陣は淡い煌めきとともに宙に溶け、魔法契約が成立したことを知らせる。
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