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一章:お幸せに、婚約者様。
お幸せに、婚約者様。
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それは、テール様に対してもそうだし、エレイン・ファルナーとして、貴族社会で生きていくこともそうだ。
色々な意味で、あの日のお茶会は人生を左右する転機となった。
私はにっこりと笑った。
外から差し込む夕暮れを浴びて、塔の中は茜色に染まった。
「お幸せに、婚約者様」
その言葉を発したと同時。
私は、石造りの手すりに乗り上げていた。
テール様の目が大きく見開かれる。
彼が駆け寄ってくる前に、私は一気に叫んだ。
「私も私で、幸せになりますので!」
そのまま、私は飛び降りた。
塔の最上部から飛び降りるのはなかなかの勇気が伴ったが、エレイン・ファルナーはここで死ぬのだ。
貴族のエレインは死ぬのだから、これくらいはしなければならないと思ったし、そうすべきだと思った。何よりも、私のために。
けじめをつけるために。
私は、清水の舞台から飛び降りるかのごとく身を翻した。
──下は、一面の湖。
アーロアの王城および城下町は、高い崖を切り崩して作られている。
崖の下は、一面の湖。
そして、この塔は城下町の端に建てられているのだ。
塔は結構の高さがあって、落ちている途中「うへぇぇぇ」という情けない声がこぼれた。
このままでは、水面に直撃してほんとうに死んでしまう。
私は、エレイン・ファルナーとして、貴族令嬢として死ぬつもりであって、私個人は死ぬつもりがないのだ。
「αναπτυχη──άνεμος!」
口早に口上を述べて、魔法陣を展開する。
水面に直撃する直前、魔法の展開が間に合った。
ふわり、と柔らかい風が体を包む。そのまま、足先からゆっくりと私は水中に入った。
(さっ……む!冷た!!)
全身が水に包まれる感覚に、冬でないとはいえ、鳥肌が立つ。
いきなり水風呂に飛び込んだ感覚だ。
私は、貴族としての名を捨てた。
エレイン・ファルナーは、ここで死ぬ。
ファルナー伯爵家にも、トリアム侯爵家にも手紙を手配済みだ。
予定通りにいけば、明日の朝にでも両家に連絡がいくことだろう。
ファルナー伯爵家には、貴族の名を捨てることの謝罪、私は死んだものとして扱って欲しいと記し、このような行動に出た背景には、王女殿下の言動にある、と記載しておいた。
アーロアに残った、最後の王女。
体の弱い彼女を、貴族はみな心配している。
両親は婚約者に蔑ろにされる私を見て怒るどころか、『王女殿下の体調がいいのは喜ばしい』とコメントする始末だった。
過去、【王女殿下にテール様の婚約者を辞するよう言われている】と相談した時のお父様の言葉は
『王女殿下はお可哀想に、今までとても苦労されたから心細いのだろう。穏やかな心で見守ってさしあげなさい』
……というものだった。
その時、違和感を抱いた。
あの時は分からなかったが、前世の記憶を取り戻してようやく不明瞭だった感情を、ようやく言語化することができた。
病弱なら、今まで苦労したなら、他人に迷惑をかけても許されるのか。
悪意をぶつけられても、悪態をつかれても、された方は我慢しなければならないの?
王女殿下は、【可哀想】だから?
だから、私は抗議の権利すら奪われる、というの?
……地獄すぎない?
あれは、社交界デビューをした直後の頃の話だ。その頃にはもう、テール様はエリザベス王女殿下の近衛として仕えていて、彼女にチクチク嫌味を言われる日が続いていた。
私は限界を迎えて、ついにお母様に『エリザベス王女殿下に責められるのは苦しい』、『王女殿下とお会いしたくない』と零した。
母は、そんな私を叱責した。
『王女殿下は生きるのがやっとなのよ。それなのにあなたは、どうしてそんなことをいうの?お母様は、あなたをそんな思いやりのない、王家への忠誠心を持たない子に育てた覚えはありません。何が不満なの?彼が殿下のそばにいることで体調が安定しているなら、何よりじゃないの』
……と、まともに取り合ってすらくれなかったのだ。
厳しい母の言葉を受けて、私はショックを受けた。お母様の言うことは絶対だと思っていたから、おかしいのは私なのだ、とも思ったのを覚えている。
それでも、一言くらい、少しでいいから、私に寄り添った返事がほしかった。
縋るように、私はお兄様にも相談した。
だけど兄は兄で、要らぬ嫉妬を抱くな、と私に諭すだけだった。
やっぱり、私がおかしいんだ。
元々引っ込み思案だった上に内気だった私が彼らに言い返せたはずがない。
家族全員からそう言い含められた私は王女殿下の言葉を、行動を受け入れるのが当然なのだと思った。
【仕方ない。だって、王女殿下はお体が弱いのだもの】
不満を抱く私の方がおかしいのだと思っていたし、そう思い込むようにしていた。
……けれど、それでも、苦しいものは苦しいのだ。
家族よりも王女を気遣い、彼女の幸のためなら、私は蔑ろにされていても構わないと彼らは思っているのだ。
いや、私が蔑ろにされている、という自覚はきっと、彼らにはない。
だってあのひとたちは、王女殿下の言動を微笑ましいワガママと受け取っているのだから。いちいち目くじらを立てる私がおかしい、と。
家族の認識がおかしいのではなく、アーロアの貴族界自体がその考えなのだ。
社交界でだって私は【王女が必要とする侯爵令息を、婚約で縛り付ける令嬢】として見られていた。
王女殿下のためなら、私はその汚名をも呑み込まなければならないのか。
それが、当然の振る舞いなのか。
家族が、私に寄り添ってくれないのは、棘のような痛みを私にもたらした。
私よりエリザベス王女殿下の方が大切なのだといわれているようで、悲しい。
ファルナー伯爵家の当たり前は、アーロア国の貴族界の常識は。
私には、息苦しい。
だから──全て、手放したのだ。
色々な意味で、あの日のお茶会は人生を左右する転機となった。
私はにっこりと笑った。
外から差し込む夕暮れを浴びて、塔の中は茜色に染まった。
「お幸せに、婚約者様」
その言葉を発したと同時。
私は、石造りの手すりに乗り上げていた。
テール様の目が大きく見開かれる。
彼が駆け寄ってくる前に、私は一気に叫んだ。
「私も私で、幸せになりますので!」
そのまま、私は飛び降りた。
塔の最上部から飛び降りるのはなかなかの勇気が伴ったが、エレイン・ファルナーはここで死ぬのだ。
貴族のエレインは死ぬのだから、これくらいはしなければならないと思ったし、そうすべきだと思った。何よりも、私のために。
けじめをつけるために。
私は、清水の舞台から飛び降りるかのごとく身を翻した。
──下は、一面の湖。
アーロアの王城および城下町は、高い崖を切り崩して作られている。
崖の下は、一面の湖。
そして、この塔は城下町の端に建てられているのだ。
塔は結構の高さがあって、落ちている途中「うへぇぇぇ」という情けない声がこぼれた。
このままでは、水面に直撃してほんとうに死んでしまう。
私は、エレイン・ファルナーとして、貴族令嬢として死ぬつもりであって、私個人は死ぬつもりがないのだ。
「αναπτυχη──άνεμος!」
口早に口上を述べて、魔法陣を展開する。
水面に直撃する直前、魔法の展開が間に合った。
ふわり、と柔らかい風が体を包む。そのまま、足先からゆっくりと私は水中に入った。
(さっ……む!冷た!!)
全身が水に包まれる感覚に、冬でないとはいえ、鳥肌が立つ。
いきなり水風呂に飛び込んだ感覚だ。
私は、貴族としての名を捨てた。
エレイン・ファルナーは、ここで死ぬ。
ファルナー伯爵家にも、トリアム侯爵家にも手紙を手配済みだ。
予定通りにいけば、明日の朝にでも両家に連絡がいくことだろう。
ファルナー伯爵家には、貴族の名を捨てることの謝罪、私は死んだものとして扱って欲しいと記し、このような行動に出た背景には、王女殿下の言動にある、と記載しておいた。
アーロアに残った、最後の王女。
体の弱い彼女を、貴族はみな心配している。
両親は婚約者に蔑ろにされる私を見て怒るどころか、『王女殿下の体調がいいのは喜ばしい』とコメントする始末だった。
過去、【王女殿下にテール様の婚約者を辞するよう言われている】と相談した時のお父様の言葉は
『王女殿下はお可哀想に、今までとても苦労されたから心細いのだろう。穏やかな心で見守ってさしあげなさい』
……というものだった。
その時、違和感を抱いた。
あの時は分からなかったが、前世の記憶を取り戻してようやく不明瞭だった感情を、ようやく言語化することができた。
病弱なら、今まで苦労したなら、他人に迷惑をかけても許されるのか。
悪意をぶつけられても、悪態をつかれても、された方は我慢しなければならないの?
王女殿下は、【可哀想】だから?
だから、私は抗議の権利すら奪われる、というの?
……地獄すぎない?
あれは、社交界デビューをした直後の頃の話だ。その頃にはもう、テール様はエリザベス王女殿下の近衛として仕えていて、彼女にチクチク嫌味を言われる日が続いていた。
私は限界を迎えて、ついにお母様に『エリザベス王女殿下に責められるのは苦しい』、『王女殿下とお会いしたくない』と零した。
母は、そんな私を叱責した。
『王女殿下は生きるのがやっとなのよ。それなのにあなたは、どうしてそんなことをいうの?お母様は、あなたをそんな思いやりのない、王家への忠誠心を持たない子に育てた覚えはありません。何が不満なの?彼が殿下のそばにいることで体調が安定しているなら、何よりじゃないの』
……と、まともに取り合ってすらくれなかったのだ。
厳しい母の言葉を受けて、私はショックを受けた。お母様の言うことは絶対だと思っていたから、おかしいのは私なのだ、とも思ったのを覚えている。
それでも、一言くらい、少しでいいから、私に寄り添った返事がほしかった。
縋るように、私はお兄様にも相談した。
だけど兄は兄で、要らぬ嫉妬を抱くな、と私に諭すだけだった。
やっぱり、私がおかしいんだ。
元々引っ込み思案だった上に内気だった私が彼らに言い返せたはずがない。
家族全員からそう言い含められた私は王女殿下の言葉を、行動を受け入れるのが当然なのだと思った。
【仕方ない。だって、王女殿下はお体が弱いのだもの】
不満を抱く私の方がおかしいのだと思っていたし、そう思い込むようにしていた。
……けれど、それでも、苦しいものは苦しいのだ。
家族よりも王女を気遣い、彼女の幸のためなら、私は蔑ろにされていても構わないと彼らは思っているのだ。
いや、私が蔑ろにされている、という自覚はきっと、彼らにはない。
だってあのひとたちは、王女殿下の言動を微笑ましいワガママと受け取っているのだから。いちいち目くじらを立てる私がおかしい、と。
家族の認識がおかしいのではなく、アーロアの貴族界自体がその考えなのだ。
社交界でだって私は【王女が必要とする侯爵令息を、婚約で縛り付ける令嬢】として見られていた。
王女殿下のためなら、私はその汚名をも呑み込まなければならないのか。
それが、当然の振る舞いなのか。
家族が、私に寄り添ってくれないのは、棘のような痛みを私にもたらした。
私よりエリザベス王女殿下の方が大切なのだといわれているようで、悲しい。
ファルナー伯爵家の当たり前は、アーロア国の貴族界の常識は。
私には、息苦しい。
だから──全て、手放したのだ。
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