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三章:愛されない妃

当然のこと

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リュシアン殿下との対面は、すぐに叶った。
私の要望をきいた彼が、すぐに時間を作ってくれたためだ。
私は王城に招かれ、王族専用エリアを歩く。
案内など不要の慣れた道を進むと、薔薇園に辿り着いた。
ここに、よくミチュア様を連れ込んでいたな、とどうでもいいことが頭をよぎる。
そのひとは、薔薇の花々に囲まれ佇んでいた。
それが、あまりにも絵になるのがまた、腹が立つ。
人払いがされて、リュシアン殿下が私を見る。
どこか、顔色を伺うような、怯えを含んだような瞳だった。
以前とは、逆の光景に私は人知れず笑みがこぼれた。

「今日はどうしたの」

「……私の家には、義兄がひとりいるのですが」

突然話し出した私の言葉に、彼は難しそうに眉を寄せていたが、やがて頷いた。

「彼を、シェリンソンから……いえ、ティファーニから離してあげたいのです」

「……ほかの男の相談?」

静かか声は涼やかで、だけどどこか自嘲めいていた。私は、そんな彼をじっと見つめ──いや、睨みつけた。

「言うことを聞いてくださるのですよね?」

「……いいよ。聞いてあげる」

……あげる?
ずいぶん偉そうに言われ、私は怒りを覚えた。
そのまま、彼の胸ぐらをぐっと無理に掴み寄せる。バランスを崩した彼が、体勢を崩す。
顔が近づいて、至近距離で私は彼を見つめた。

「……約束をお忘れですか?」

ずいぶんと頭が高い。
私の言葉に、彼がまた困ったように笑ってまつ毛を伏せた。

「どうしたらいい?跪けば、良いのかな」

「それはあなたがしたいだけでは?」

ティファーニの王を、跪かせる。
それがどれだけとんでもないことか、私はよく知っている。知っていて、否定しない。
彼が、その場に膝を着いた。
丈の長いローブがふわりと花のように広がった。

「それで?きみの義兄をこの国から逃がしたい、って?」

「あなたも知ってますよね。あのひとは……彼は、前の世では婚約者と心中しました」

「そうだね」

「殿下は、詳しい事情をご存知ですか?」

彼を跪かせたまま、私は尋ねた。
リュシアン殿下はまつ毛を伏せたまま、短く答えた。

「さあ」

そうだろうと思った。
彼には関係がないし、エルフの王がいちいち介入する話とも思えない。
さほど、重要では無いのだ。シェリンソンの揉め事など。

「殿下はご存知でしょう?アークは……純人間です」

彼は答えなかった。それが返事だ。

「素性を伏せて、国から出します。……この国では、彼は、きっと息がしにくい」

「それは、彼の希望?」

「まだ聞いていません。ですが、尋ねてみるつもりです。私は……これ以上苦しむ彼を見ていたくない」

「はっきり言うんだね。……過去の自分と重ねてしまった?」

咄嗟に──身動ぎした際に、跪いた彼を靴の先で蹴飛ばしてしまった。
ガッ、と鈍い音がする。靴の先が、彼の顎を蹴飛ばす。リュシアン殿下は、蹴られた衝撃で少し揺れたものの、倒れ込むことは無かった。
しかし、くちびるからは血が滲んでいる。

「ごめんなさい!」

今のは、決して故意ではない。
慌てて私も膝をつき彼のくちびるを指で触れた時。その手首を、彼に掴まれた。

「そうなんだ?」

「そう、って……」

「きみは、アークに過去の自分を見ている。だから、その苦しみをどうにかしたいと思ってるんじゃない?」

「なにを……。……っだいたい、それをあなたが言うの……!」

声が、震えた。
私が苦しんだのは、あなたのせいだ。
あなたのせいで、私は。
声だけではなく、手も震える。
彼は、そんな私の手首を掴んだまま、じっと私を見つめた。

「それだけ?」

「は……?」

「きみが、彼を手助けする理由は、それだけ?」

「何を言っているのか」

ばかばかしくて、鼻で笑った。
彼は、何を懸念しているのだ。
もしや、私がアークに想いを寄せているとでも思っているのか。私はそんな、健気な女ではない。彼の言った通りだ。
きっと私は、アークに同情している。
そして、同じくらいリュシアン殿下にも、私は情を寄せている。そのどちらも、決して愛と呼ばれるものでは無い。

「くだらない」

吐き捨てるように言うと、リュシアン殿下は私の手首を解放した。

「……きみは今、想いを寄せるひとはいる?」

心底、くだらないし馬鹿馬鹿しいと思った。
それを聞いてどうしようと言うのか。
私は、彼を見下ろすように目を細めた。

「いたらどうするのですか?」

それより、くちびるの血をどうにかした方がいいんじゃないかしら。
泥沼だ、という自覚はあった。
過去は、なかったことに出来ない。
もし、過去がなければ。過去の記憶がなければ、私はきっと彼に絆され、彼に想いを寄せていた。
何も知らない、何も分からなかった私はあまりに染まりやすかった。単純で、易しい女だったことだろう。
文字通り一回死んで、そんな精神も同時に死に絶えたようだった。
【自分】がないと、流されて、流されるだけの人生では、また良いようにされる。搾取されて、ごみのように軽んじられる。
自分の価値を決めるのは、結局自分しかいないのだから。
リュシアン殿下は、ようやくくちびるを開いた。
赤い舌が覗く。

「きみに想うひとがいたとしても……きっと僕には、何も言えないな」

「へえ。自分だけを見ろ、なんていうことは言わないのですね」

「言ったら、きみは僕だけを見てくれるの」

以前のように。
そんな言葉が付きそうだ。
私は笑って答えた。

「まさか。それこそ、有り得ませんね」

私は、彼のくちびるを指の腹で撫でた。
彼は、何も言わない。黙って、されるがままだ。

「私、あなたの血の色は好きです」

見ると、生きている、と思えるから。
無機物のような、絵画の中の住人のような彼が、生きている人間だと分かるから。
彼は、少し驚いたように目を見開いた。

「そう……じゃあ」

「でも、猟奇的な趣味はありませんから。腹を割いて肉を見せる必要はありません。気持ち悪いです」

「……ミレーゼは」

何か言いかけた彼の言葉を、遮った。

「フェリス、です。今の私は──フェリス」

もっとも、幸福の少女フェリスとはもっとも遠い人間になってしまった、と思うけれど。
リュシアン殿下は、私の言葉にまた、困ったように眦を下げる。

「フェリスは……よく分からないね」

「当たり前でしょう?相手が何を考えているかなんて、みな分かりません」

「そうかな。ほかのやつは……何も考えていないよ。少なくとも、僕に服従することしか考えていない」

「それが、誤りだと言っているのです。あなたは、何をもって彼らの思考を決めつけているのですか?エルフは考えを持たない人形ではありません。あなたの前では頭を下げていますが、面従腹背のものだっているかもしれませんのに」

私は、彼のくちびるに滲む赤を指先で伸ばした。
化粧のように、彼のくちびるに色がつく。
ずいぶん、似合っていた。

「あなたが、エルフの王として生まれさえしなければ……当たり前のように知れたことを」

それを、彼は知らない。
それがほんの僅かに不憫で、哀れだ。
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