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二章:逃げられないのなら

造り物のような

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メロディ様とアークの対談を見守るのにオーブリーでは正直力不足なような気もするが、この際四の五の言っていられない。
メロディ様は、将来アークと心中する相手。
例え無機物のような男であろうとも、いないよりはマシだと判断した。

私はアークに向き直ると、今度は彼に言う。

「挨拶してきます。アークは、彼らと一緒にいて」

「……フェリス」

彼が、何か言いたげに眉を寄せる。
彼は止めたいのだろう。彼はただでさえ、エルフに良感情を抱いていない。
リュシアン殿下は、ティファーニの王であり、彼が嫌うエルフそのものと言っても過言ではない。
私は微笑みを浮かべた。彼が安心できるように。彼の、紅がじんわりと滲む黄昏の瞳が動揺に揺れていた。

「それに、お母様も言っていたでしょう?今宵の夜会は、あなたが婚約者を探す場でもあるのだから」

言外に、それはメロディ様でなくとも構わないことを言い含ませる。メロディ様はあからさまに目を尖らせたけれど、私は気付かぬふりを装った。

「僕は……」

「とにかく、オーブリー卿と一緒にいてちょうだい。……オーブリー卿、義兄をよろしくお願いします。義兄は、夜会が得意ではありませんので。彼をこのまま放置して殿下を訪ねるとなると……私も、気になって仕方ありませんし。余所事を気にして殿下相手に失礼があってはいけませんでしょう?」

「…………分かりました」

オーブリーは、リュシアン殿下の側近で、彼の忠実な臣下だ。彼の名を出せば、オーブリーは従うだろうとも思っていた。これも、ミレーゼであった時につけた知恵。

「リュシアン殿下は……ああ、彼らに案内していただきますわ。では皆様、また後ほど」

私は仮面のような微笑みを浮かべると、ミレーゼであった時のようにゆっくりとカーテシーを取った。意識したつもりはなかったが、気分はかなり、ミレーゼであった時に引き戻されていた。
心に鎧を纏わないと、彼とは会えない。
この社交界を、今を、乗り切れない。
そう思ったから。

バルコニーを出ると、すぐに白い軍服に身を包んだ近衛騎士がさりげなく私に近付いた。

「殿下はこちらです」

それはあまりにも自然な動きだった。
まるで、会場を後にする私に、馬車を用意するか尋ねているかのような。
あるいは、誰かから言伝を預かっていると伝えているかのような。
とにかく、自然体で、全く違和感がない。
だから、周囲も特別私を注視する事はなかった。
こういうところは、以前と変わらない。よく教育されている。流石、ティファーニの……いや、エルフの王族に仕える騎士だ。
声をかけられた私も、落ち着いて軽く頷いた。

案内されたのは、王族専用のプライベートエリア。
ミレーゼであった時は、私の居住区でもあった。
同行する近衛騎士は、全部で五人。
前に一人、後ろに四人。
誰も口を開かない。軍服と同じく、白の軍帽を被った彼らは貼り付けたように無表情で、何を考えているのか推し量ることは難しかった。

「……こちらです」

彼らが立ち止まったのは、両開きの、扉に大きな絵画が嵌め込まれた部屋の前だった。

扉を開けるのも一苦労だと思われるその扉は非常に重たく、高さもあり、一般的なものより一回り以上大きかった。
両開きの取っ手は金で装飾されており、繊細な意匠が施されており、一目で特別なものだと知れた。
私は、この部屋をよく知っている。

ここは──国王の私室だ。

扉に嵌め込まれた絵は【悠久と永久】。
世界に三枚しかない画家の連作の一枚。
空が赤く染まっているので、これは一番初めに描かれたものだろう。
エルフの王が、黄昏の空の下、丘の上に立っている。たなびいた銀の髪は、リュシアン殿下を思わせた。

扉を守る近衛騎士が、それぞれ両開きの取っ手を掴み、扉を開けた。
静かに扉は開かれた。



目的の人は、カウチに座ってぼんやりとしていたようだった。手には、ワイングラスが握られている。グラスの中には、半分ほど赤ワインが入っている。
ローテーブルの前には、天板にガラスが嵌め込まれたローテーブルが。
そしてローテーブルの上には、ナッツや干しぶどうを載せた皿と、ワインボトルが置かれていた。
彼は私に気がつくと薄く微笑んだ。

「やあ、遅かったね」

「…………」

何を、言えばいいのか分からなかった。

なぜ、私に話しかけられるの。
なぜ、平然としていられるの。
なぜ、笑えるの。

なぜ、なぜ、なぜ。

リュシアン殿下を前にすると、私はあまりにも簡単に動揺してしまう。
混乱してしまう。

──彼の胸元を掴んで、揺さぶりたくなってしまう。

綺麗なだけのお人形のようなリュシアン殿下。彼にも、血は流れているのか。
そもそも本当に彼は生きているのかを、確認したくなってしまう。

(そう。そうだわ……)

私はずっと、彼が生きた人間とは思えなかった。

血の通った人間とは、思えなかったのだ。
冷たい手もそうだし、造り物のようなその端正な顔立ちだってそう。彼の顔は、そのパーツ一つ一つを、誰かが一つずつ手がけ、完璧に仕立てたのかのよう。

生き物とは思えない。
息をして、呼吸をする。
生きている人間なら誰もがするその動作を、彼がしているようには思えないのだ。

ずっと、思っていた。
彼には、人として当然持つ生々しさが、存在しない。

温度を感じない眼差しも、表情も、声も。
造り物の存在のように思えた。

それはオーブリーにも感じたことだったが、リュシアン殿下を目の当たりにした私は思い直した。
全く違う。
少なくともオーブリーは、リュシアン殿下のように内も外も無機物ではないはずだ。

例えるなら、オーブリーは人間の見ていないところで動き出しそうな人形の気配があるが、リュシアン殿下には全くそれがない。
どちらかというとリュシアン殿下は、画家が手がけた絵画の中の人物のようだ。
外界とは隔離された場所に静かに存在するもの。
それはきっと、人の目がないところでも動き出すことはなく、生とは隔絶された、死の匂いがするように思えた。

今の私の感情を示すなら、一番近いのは【呆然】だろう。

驚愕にも近いし、焦燥にも近いし、絶望にも近いかもしれなかった。
足が、縫い付けられたかのように動かない。
何を言えばいいのか、そもそも何から言えばいいのかすら、分からない。
そんな私をちらりと見てから、彼が言った。

「お前たちは外に」

「かしこまりました」

近衛騎士が頭を下げて、部屋には私もリュシアン殿下のふたりとなった。
息が、詰まる。
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