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二章:逃げられないのなら

エルフらしい人

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その時、バルコニーにまた新たな人物が加わった。バルコニーが暗かったのですぐにはその人が誰か分からなかったけれど、月明かりに照らされてようやく顔が見えた。

息を呑む。
癖っ毛なのだろう。少し跳ねている前髪に、鋭い青の瞳。
切れ長の目は、全く隙がなさそうで、それでいて獲物を物色しているかのような不穏さを感じさせる。

本人は無意識で、無自覚なのだろうけど、彼は、どこか気取っているかのように見える人だった。
完璧で、隙がないように見えてしまうのだ。

もっと言うなら、人間らしくない。

人が持つ喜怒哀楽という感情がとことん薄いようにすら感じてしまう。
どこか無機質で淡々としている。

リュシアン殿下は、私にとって未知の存在ではあるが、彼は話をしていても話が通じないかのような、同じ言葉を話しているのに根本的な話が出来ていないかのような。そんな錯覚に陥る人だった。

隙がないところが魅力的だ、と社交界で囁かれているのを知っている。

彼にも、婚約者がいたはずだ。
あまり覚えていないけれど、ミレーゼであった時、どうだっただろうか。
特別記憶に残っていないので、大きな騒動になったことは無いのだと思う。

オーブリー・デスピア。
私がミレーゼであった時、社交界デビューの夜会で彼と出会った。その名前から、私は彼こそが七歳の夜に出会った人なのだと、勘違いをした。

彼は私を見ると目礼した。
第三者の存在に、メロディ様とアークの押し問答も止まる。メロディ様はすぐに彼に気がついたようだった。

「あら……オーブリー様。どうしてこちらへ?」

「フェリス・シェリンソン伯爵令嬢に我が主から話があります。今よろしいですか?」

この場にいる人間全てが、理解した。
オーブリーの主は、リュシアン殿下。
彼が、私と話したがっていることに。
すぐに反応を示したのは、メロディ様。
彼女は手を合わせて、あからさまに声を弾ませて言った。

「素敵!アークのお義姉様が王妃になられるの!?」

話の飛躍にギョッとした。
それは私だけではなかったようで、アークも動揺したようにメロディ様を見ている。
オーブリーは、そんな私たちを静かに見ているだけ。彼は、淡々と言葉を紡いだ。

「宜しいですか?」

(宜しくない……!)

会いたくなどないし、話したくもない。
いたずらに、過去の記憶をほじくり返されたくない。今の私はフェリス・シェリンソンで、ミレーゼ・ウブルクではない。
だけど、彼と話したらきっと私はミレーゼに戻ってしまう。彼女になってしまう。
リュシアン殿下の言葉に逆らえず、諦観の思いで全てを呑み込み、悲哀と自己憐憫に陶酔し、あげく自棄になった。
もう、そんな自分に戻りたくないし、ミレーゼにはなりたくなかった。
沈黙する私に、オーブリーがさらに言葉を続けた。

「……とっておきのお話があるそうです」

「なぁにそれ!?ねえ、お義姉様。後で私にもどのようなものだったか教えてくださらない?殿下にお呼ばれするなんて……本当にお義姉様は素晴らしいわ!」

まだメロディ様の義姉ではないので、お義姉様と呼ばれるのは困惑した。
アークが、私を見て眉を寄せていた。

なにか言おうと口を開いたので、慌てて私が遮るように言った。
彼の言葉は時々乱暴だ。リュシアン殿下の一番の側近であるオーブリーに無礼を働けば、アークは批判されるだろうし、場合によっては咎めを受けるかもしれない。

「分かりました。……ですが、デスピア卿。本日私は彼と、彼の婚約者を見ているようお母様から言付かっています。ですが私は、今からここを不在にする」

言付かっている、というより私が言い出したのだが、物は言いようだ。

どちらにせよ、私はリュシアン殿下の言葉に逆らえない。それは、ティファーニに住む国民みながそうだろう。
ティファーニの民にとって、王族の言動は絶対だ。
それをゆるがすものは存在してはならない。
ある意味、呪縛のようなものだと思う。それは洗脳にも近いと思った。

リュシアン殿下はダンスの際、私に命令を下した。
それを跳ね除けられるほど、私は無鉄砲でも、世間知らずでもない。
ティファーニの社交界で、王族の言葉を否定するなど──そんなのは、自ら死を望むようなものだ。

(それに……私も、知りたいと思ってた)

真実を。なぜ、時が戻り、私が見知らぬ少女となっているのかを。

(話すだけ……話すだけよ)

鼓舞するようにその言葉を繰り返した。
リュシアン殿下と話すのは、未だ恐ろしい。彼の言葉に、彼の思考に、全て呑み込まれそうになってしまうから。

私は彼と話す時、いつも以上に【自分】という個を認識しなければならない。
そうでないと、何もかもを思考の外に追いやって、全て彼の意のままに、と口にしそうになってしまうから。

これは、私に流れるエルフの血がそうさせるのだろうか。エルフの王に敬意を示せと、そう言っているのだろうか。

考えても仕方の無いことだ。
私は思考を切り替えた。

この場で、メロディ様とアークをふたりきりにするのは、どうしようもなく不安に駆られた。

アークはその過去からエルフを嫌悪している。そして、メロディ様はきっと──アークが苦手とするタイプの人だ。
この二人が前回、結婚したことは事実。
結婚したのだから、相性が良かった、とは思えない。
私とリュシアン殿下がそうなのだから。
もしかしたら、アークは──。

ちらりと、彼を見た。
アークは難しい顔をして黙り込んでいる。
彼と、メロディ様は前の生で、共に心中した。心中理由は実に様々なものが囁かれ、誰も真実を知らない。

(この二人の婚約は避けるべきだわ……)

私は暗い過去、あるいは未来から振り切るように顔を上げた。

「オーブリー卿。私が戻るまで、彼らといてくれますか?」

オーブリーが、少し驚いた顔をした。
妙に、人間臭い顔だな、と思った。


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