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一章:ミレーゼの死
予期せぬ再会
しおりを挟む「まあ……!フェリス、大丈夫なの?お医者様から聞きましたわ。記憶が曖昧なのですって……?」
対面した伯爵夫人は、涙を浮かべながら私を抱きしめた。ふわりと、暖かな温もりに包まれる。
私は息を呑んだ。
こんなふうに、ひとに抱きしめられるのも、初めてだったから。
子供の時はもちろん、大人になってからも、私も抱きしめてくれる女性なんていなかった。
コルセットだろう。硬い感触が、頬にあたる。
夫人は繊細さを感じる美しい人だった。
今にも泣き出しそうな顔で私を見ていた。
「フェリス、フェリス?」
「は……い」
私はかろうじて、返事をする。
こんな優しい女性が、母だったのなら。
きっと、幸せだったことだろう。
私は、実の母に、抱きしめられたことが一度もない。もちろん、父にも。
夫人は私が返事をすると口元を緩ませた。
「ほかは?ほかは大丈夫なの?気分が悪いとかはなぁい?」
「大丈夫、です。お母様」
彼女を母と呼ぶのは、慣れないことだった。
夫人は私が答えるとふわりと笑った。
「それならいいの……お父様もね、無理はしなくていいと仰っていたから。もう登城されてしまって、今はいないけど……。とてもあなたのことを心配していたのよ」
「お父様が……」
「フェリス?あなた、本当に大丈夫なの?」
お母様の手が、私の頬に触れる。
ひしひしと伝わってくる、慈愛の瞳。
そんな視線を向けられると、胸が締め付けられるような気持ちになった。
なんだか、泣きたくなるような。
私には家族の想いというものが分からない。
だけど、きっとこれこそが──家族の絆、特別な感情、というものなのだろうなと思った。
(私は……フェリスじゃない)
夫人を騙していることに罪悪感で胸が痛む。
夫人は私の頬を何度か撫でると、眉を下げた。
「少しでも気分が変になったらすぐに帰りましょうね」
「……ありがとうございます、お母様」
微笑みを浮かべて返すと、お母様は困ったように笑った。その瞳には涙が浮かんでいる。
「まあ……。もっと砕けて話してよいのですよ。記憶のないあなたが混乱しているのは分かります。でも、緊張しないで。私たちは家族なのだから」
「……はい。お母様」
砕けて、と言われても私はこの話し方しか知らない。ウブルクのお母様は非常に厳しくて、私にとっては恐怖の象徴だった。
私が軽率なミスをする度に彼女は、信じられないものを見る目で私を見た。
まるで、私と血が繋がっていることが許せない、と言わんばかりに。感情的になりやすかった母の叫び声が、私には苦痛だった。
泣かれるのも嫌だったし、嘆かれるのも苦しかった。私の至らなさを突きつけられているようで。
私と夫人は、シェリンソンの馬車に乗ってウブルク公爵邸へと向かった。
見慣れた邸宅が馬車の窓から見えてくる。なんだか不思議な気持ちだった。
ぐるぐるとした、焦燥にも似た歯がゆさ。
私は今、何をしているのだろう。
私な今、どうなっているのだろう。
自分のことなのに、自分が自分で分からない。
ウブルク主催のティーパーティーは、流石に華やかだった。私がミレーゼだった時に、私も参加していた。私の、初めてのパーティーデビューの日も、確かこの日だ。
夫人とともに公爵家の庭園に足を踏み入れる。
同年代の令嬢たちが夫人に連れられて楽しげに会話をしているのが耳に入ってくる。
昔は、そんな彼女たちが羨ましかったなぁ……。
そんなことを今、思い出す。
「ねぇお母様?今日の私、綺麗?可愛い?」
「メロディはとっても可愛いですよ。私の若い頃にそっくり」
「うふふふ!私もそう思うの。だからね……」
テーブルに着いた令嬢と夫人が身を寄せ会って話している。パラソルから見える金の巻き毛に、桃色の唇。母の優しい手。
全てが眩しく見えた。
「どうしましょう?お母様、とっても緊張するの。私、ミスしないかしら」
「ミスは誰でもするものです。でも、大丈夫。あなたがミスをしても良いように今日母は同行しているのですよ。楽になさい。ほら、今日はめいっぱい楽しむのよ」
あちこちで、そんな会話が繰り広げられている。
今日は幼い令嬢も多く参加するパーティだからか、そんな光景がよく見受けれた。
私は昔、彼女たちのそんな姿を見て心底羨ましく思ったものだ。
いいなぁ、と。
彼女たちの笑い声に、柔らかな声。
パラソルから見えた白い手が淡い太陽光に照らされ、きらきらとしているように見えた。
私には、届かないもの。
「……フェリス?」
夫人に声をかけられてハッと我に返る。
気がつくと、夫人は従僕が持つ日傘の下で、心配そうに私を見ていた。
「どうしたの?」
「人が多くて。驚いてしまいました」
誤魔化すように取り繕う言葉をすらすらと零す。夫人は私の言葉に納得したように周囲を見渡した。
「公爵家主催だものね。人がすごいわ……」
当然といえば当然だが、貴族の殆どが参加しているようだった。私と夫人はそのまま受付を済ませると、席次通りに席をつく。
中心のテーブルは未だ空席のまま。
あそこに、ウブルクの人間が座るのだろう。
私は違和感を覚えた。
主催なのに、ウブルクの面々は未だ顔を見せていない。主催者なら誰よりも先に入場しているはずだ。
それなのに、なぜ。
不思議に思っていると、馴染み深い声が聞こえてきた。
「皆様、お待たせいたしました。本日のゲストをお連れしましたわ」
現れたのは、お姉様と、お母様。
ふたりは従僕の持つ日傘の下で完璧な微笑みを浮かべるとひとりの少年とともに歩いてきた。
息を呑む。
それは、その少年は。
リュシアン陛下だったからだ。
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