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一章:ミレーゼの死

絶対的な王 【リュシアン】

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リュシアン・オーブリー・ティファーニは生まれながらに特別な人間だった。
亡き母と老いた父を除けば、ティファーニの中でもっともエルフの血が濃いと言えるだろう。

エルフは子ができにくい。
エルフ自体が神秘の存在なので、子を成す、という俗的なこととはそもそもが相反しているのだ。
亡き母と、前王は婚姻二百年もの間、子に恵まれなかった。
王妃がようやく子をさずかったとわかった時は、国中が歓喜に湧いたと彼は聞いている。
そして、それを実感するほどにはリュシアンは大事に大事に守られて育った。
ティファーニの誇る至宝であり、守るべき宝であることは間違いない。
彼が次世代の王であることは間違いなく、そして、いずれ国を守る偉大な王になることもまた、人々は既にわかっていた。

リュシアンは物心が着いた時には既に、【エルフの祝福】を使えていたのだから。

エルフの祝福。
それさえあれば、ティファーニは平穏と安寧を約束される。
エルフの祝福は、一国の軍事力をはるかに凌ぐ神秘と破壊の力を秘めていた。
その力を持ってすれば、ティファーニには不可能などない。そう、言わしめるほどに。

五百年前に起きた大戦は、世界大戦と名のつくものであったにも関わらず、短期間で勝敗が決定した。
それも、周辺国の全面降伏、という結末で。
人間は、絶対的な破壊な力と、神をも思わされる神秘の守りの力に圧倒された。一目見て、敵わない、と思い知らされたのだ。

エルフの祝福によって成される防護壁は崩すことはおろか、触れることさえできなかった。
光の槍は寸分たがわず国土を焼いた。
炎の雨は逃げ場もなく、雨は濁流となって湖や海を氾濫させ、多数の国を水のそこに沈めた。
人の形をした厄災とまで言われたのが、ティファーニの王、エルフの王である。

ティファーニの王は、強靭にして強大、絶対的な力を持っているからこそ、民に敬愛され、畏怖され、慕われる。
彼がいれば、ティファーニに恐れるものは無い。

ティファーニは、一人の王によって、安寧を約束された国だった。



ウブルク公爵家の娘との結婚が近づく中、彼はただ鬱屈を覚えていた。

数ある属国からの奏上書を手繰りながら、反対の手では頬杖をつく。
怠そうに、ため息を吐いてはつまらなそうに紙面に視線を落とす。

憂鬱な気配をまとった彼の意識を呼び戻したのは、扉のノック音だった。
ちらりと顔を上げた彼は、長い白銀のまつ毛を伏せて一言言った。

「入れ」

「……失礼します」

誰何はしなかった。
リュシアンには、執務室に近付いてきている人間が何者か、その気配だけでわかるからだ。

入室したのは、彼の側近であり、リュシアンの幼馴染であるオーブリーだった。

血の盟約、というものがある。
それは、代々王を裏切らないためになされる、主従の誓い。

オーブリーは、デスピア侯爵家の嫡男で、リュシアンと同い年の二十八歳だった。
しかし、三百年を生きるリュシアンと違い、エルフの血が薄いオーブリーは、純粋な人間と変わらず、百年ほどしか生きない。
そのため、同じ時を生きている、と言っても精神的なものではオーブリーの方が、リュシアンよりも成熟しているように思えた。

デスピア侯爵家は、代々王家に忠誠を誓っている家柄だ。王家の盾であり、剣である、とも言われている。

ウブルク公爵家が、王家を支える翼であるなら、デスピア侯爵家はそれを守る盾であり、道を開く剣でもあった。

デスピア侯爵家は王に絶対の忠誠を誓っている。
それを表すために、デスピア侯爵家は、必ず王のセカンドネームと同じ名を子に与える。そして、その子は生涯の忠誠を王に誓うのだ。

王と血の盟約を交わす人間は一人と決められており、オーブリーが死ねば、また別の人間がその名を与えられることになるだろう。
とはいえ、都合よくデスピア侯爵家に子が生まれるとも限らないので、親戚から養子を貰い、子を名づけることも多いようだ。

しかし、オーブリーは偶然にもリュシアンと同じ年に生まれた子だった。
デスピア侯爵家が意図的に時期を合わせた可能性ももちろんあるが。

リュシアンは、オーブリーが入室したことに気がついていながら彼の存在を黙殺した。
静かに紙面に視線を走らせる彼には、他者を圧倒するような雰囲気があり、長年の付き合いであるオーブリーでなければ気圧されていたことだろう。
だけど彼は、リュシアンに気づかれないように小さくため息を吐いて、要件を彼に伝える。

「先日の刺客ですが、口を割る前に自死しました」

「舌を噛ませるなと言わなかった?」

話は聞いていたようで、言葉短にリュシアンが咎める。オーブリーは頷いて答えた。

「奥歯に毒のカプセルを詰めていました。詰め物で覆っていたようですが……」

「なるほど。それを噛み砕いて死んだか」

リュシアンは少し考えるように顔を上げる。
真冬の空のような、湖を覆う霧のような瞳は、何を考えているのか、他者に悟らせることはない。

オーブリーは時々、思う。
リュシアンという人間は、エルフの血が濃すぎるためか、感情というものに疎いように思える。
いや、あるいは人間と同じように激流のような感情を秘めいているのかもしれない。
それを、隠しているだけ。殺しているだけの可能性もある。

だけど──その透明度の高い、硝子のような瞳は意志というものを感じさせない。
どこか浮世離れしていて、俗世とは円遠いような存在に思えてしまうのだ。

さながらそれは妖精のようであり、神のようであり、そして、どうしようもなく、彼はエルフだった。

「死んだ?」

リュシアンが静かに尋ねる。
なんてことの無いように。
その声の冷たさに、オーブリーは背筋が冷える思いだった。

「……先程は虫の息でした。今頃はおそらく」

「そう。じゃあ、首だけ刎ねてブレアンに送り付けるといいよ」

あっさりと決定を下すと、また彼は書面に視線を落とした。慌てたのは、オーブリーだった。
呆気なく会話を終わらせてしまったリュシアンの本意を知るために、彼は尋ねた。

「刺客が、ブレアンの手のものだとお分かりになったのですか」

「確信はない。だけど、限りなくその可能性は高い。だったら、見せしめの意味も兼ねて送りつければ都合がいい。心当たりがあれば向こう十年くらいは静かにするはずだ」

「…………かしこまりました」

ティファーニは、絶対王政の国だ。
王を頂点とし、その決定は何者にも覆されることはない。ティファーニを守るのは、ひとえに王の力のみ。だからこそ、人は畏怖する。
王の強大な力に。
何かあっても、王の力を使えば、その力で全てを飲み込むことができる。国民は王の力を頼りにし、そして同じくらい依存し、囚われていた。

頭を下げたオーブリーが退室しようとした時。
リュシアンが、彼を呼び止めた。

「オーブリー」

「………は」

「お前、僕の婚約者とは最近どう?」
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