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二章
「あなたが悪いのよ」
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夜、晩餐の後に蛍を見たエレノアは終始興奮しっぱなしだった。
静かにしなければならない、という教えは覚えていたようで、騒ぎ立てるようなことはしなかったけれど、興味津々にあたりを見渡していた。
エレノアが楽しげにあたりを見渡すのを、私とロディアス様は静かに見守っていた。母として、父として。
以前は、彼の優しさに、彼のあたたかさに、心を奪われていた。
ただ、彼を求めるだけだった。
その手のぬくもり。その心に触れることを、ただ願っていた。
だけど今は──
「おかあさまっ」
声を潜めて、エレノアが私を呼びかける。
顔を上げると、エレノアの指す方向に、蛍が二匹、並んで飛んでいる。彼女はそれを私に見せたかったのだろう。得意げに笑っている。
「綺麗だね」
ロディアス様が、膝をついてエレノアと視線を合わせ、囁きかけた。エレノアは彼の肩に抱きつき、頷いているようだ。
突然現れたロディアス様を、父として受け入れられるか不安だったけど、エレノアはすぐに順応した。まだ二歳だからか、それとも元々好意的に思っていたのか。
──本能的なものか。
分からないけれど、エレノアを抱き上げて瞳を細め、蛍のほのかな明かりに照らされて微笑む彼を見ていると。
やさしい時間が流れていると感じる。
とても、とても──幸福なことだと感じるのだ。
エレノアは、蛍を初めて見てはしゃいだせいか、中庭から戻った時にとても眠たげな様子だった。
慌てて飛んできた乳母が、ロディアス様からエレノアを引き取る。
「おやすみなさいませ」
乳母が頭を下げ、エレノアを抱いて王女の私室に連れてゆく。エレノアはまだ私と眠りたがったが、少しずつ王女としての自覚を促すためにも、一週間に一度、ひとりで眠る日を作っている。
今日はその日だ。
ぬいぐるみのようにされるがままのエレノアは、ぐっすりと熟睡しているようで、少しの揺れでも目を覚ますことは無かった。
エレノアと乳母の姿を見送ってから、私は隣のロディアス様を見上げる。
「……私たちも寝室に向かいましょう」
名残惜しそうに、廊下を曲がって姿が見えなくなってもなお、そこから視線を外さないロディアス陛下に言う。
「そうだね」
彼は、私に声をかけられてようやく気がついたように苦笑した。
あれから──私が王妃に戻ってから、私と彼の間に夫婦の行為はなかった。
それがなぜかは、分からない。
エレノアが既にいるからか。
いや、王として男児は必要だろうし、子が一人というのは少なすぎる。
それを考えたら、子作りを継続する必要があるはずだ。
はしたない思考をしている自覚はあったが、私にとっては死活問題であり、ここ最近ずっと頭を悩ませていた事柄でもあった。
メイドに入浴の手伝いを受け、着替えを終えてから、私は化粧台の前に立った。
「……」
意味もなく、ぺたぺたたと頬に触れる。
あれから、四年が経過した。
私は十六歳から、二十歳となった。
少女らしい幼気さは抜け、大人の女性としての怜悧さが増えたように思う。
元々、顔立ちは冷たく見える方──歳の割に大人びて見えることを知っている。
無意味なことを知っていて、私は目尻を下げてみる。
「……うーん……」
ロディアス様が私に触れないのは、なぜなの。
もう、私に女性としての魅力を感じないのか。
四年前と今で、何か変わった……?
顔を摘んだり、押し上げたりして試行錯誤していると、不意に声が聞こえてきた。
「どうしたの?なにか気になることでも?」
驚いて振り向くと、そこには今しがた部屋に入ってきたのだろう。扉を後ろ手に閉めるロディアス様がいた。
鏡に向かい合い、試行錯誤するところを見られたのだ。
思わぬ場面を見られて硬直する。
固まった私に気付かず──いや、気がついているかもしれない。だけどそんな私に構わず、ロディアス様は不思議そうに私を見た。
「どうしたの?……何もしなくても、きみは綺麗なままだし、可愛いよ」
「そっ……うでは……なくて」
彼は、てらいなくそういう発言をする。
綺麗だとか、可愛いだとか──好きだとか。
愛している、とか。
その度に私は、慣れない言葉をまともに受けて、動揺してしまうのだ。
今も上手く流せずにまともに受け止めて狼狽える私に、彼が首を傾げて近づいてくる。
「何を悩んでいるの」
「…………」
「エリィ?」
「いま……その名で呼ぶのは良くありません……」
私は、|偽名(エリィ)ではなく、エレメンデールに戻ったのだ。
ディエッセンで使っていた名前を呼ばれると、恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちになる。顔を上げると、彼が私の頬を撫でた。
するり、とそのまま顎に触れるのに──口付けひとつ、してくれない。
「言って?僕達は夫婦なんだから。隠すのは禁止。言葉を呑み込むのはやめにしようって話したでしょ」
「…………。…………」
言うのか。
私から。
言わせるの?
私に。
彼は、神妙な顔をして私の言葉を待っている。
きっと、私が何を考えているかなんて全くわかっていない。
以前は──結婚したばかりの頃は、毎日のように雪崩込む日々だったのに。
どうして、今は。
顔がじわじわと熱を持つ。
鏡を見なくてもわかる。
きっと今の私は、顔が真っ赤だ。
案の定、ロディアス様が不審に思って顔を覗き込んでくる。
「エレメンデー──?っ!!」
だから、彼のシャツの胸元をぐっと掴み寄せて、もう片方の手で彼の首の後ろに手を回して、背伸びして。
──くちびるを、奪った。
静かにしなければならない、という教えは覚えていたようで、騒ぎ立てるようなことはしなかったけれど、興味津々にあたりを見渡していた。
エレノアが楽しげにあたりを見渡すのを、私とロディアス様は静かに見守っていた。母として、父として。
以前は、彼の優しさに、彼のあたたかさに、心を奪われていた。
ただ、彼を求めるだけだった。
その手のぬくもり。その心に触れることを、ただ願っていた。
だけど今は──
「おかあさまっ」
声を潜めて、エレノアが私を呼びかける。
顔を上げると、エレノアの指す方向に、蛍が二匹、並んで飛んでいる。彼女はそれを私に見せたかったのだろう。得意げに笑っている。
「綺麗だね」
ロディアス様が、膝をついてエレノアと視線を合わせ、囁きかけた。エレノアは彼の肩に抱きつき、頷いているようだ。
突然現れたロディアス様を、父として受け入れられるか不安だったけど、エレノアはすぐに順応した。まだ二歳だからか、それとも元々好意的に思っていたのか。
──本能的なものか。
分からないけれど、エレノアを抱き上げて瞳を細め、蛍のほのかな明かりに照らされて微笑む彼を見ていると。
やさしい時間が流れていると感じる。
とても、とても──幸福なことだと感じるのだ。
エレノアは、蛍を初めて見てはしゃいだせいか、中庭から戻った時にとても眠たげな様子だった。
慌てて飛んできた乳母が、ロディアス様からエレノアを引き取る。
「おやすみなさいませ」
乳母が頭を下げ、エレノアを抱いて王女の私室に連れてゆく。エレノアはまだ私と眠りたがったが、少しずつ王女としての自覚を促すためにも、一週間に一度、ひとりで眠る日を作っている。
今日はその日だ。
ぬいぐるみのようにされるがままのエレノアは、ぐっすりと熟睡しているようで、少しの揺れでも目を覚ますことは無かった。
エレノアと乳母の姿を見送ってから、私は隣のロディアス様を見上げる。
「……私たちも寝室に向かいましょう」
名残惜しそうに、廊下を曲がって姿が見えなくなってもなお、そこから視線を外さないロディアス陛下に言う。
「そうだね」
彼は、私に声をかけられてようやく気がついたように苦笑した。
あれから──私が王妃に戻ってから、私と彼の間に夫婦の行為はなかった。
それがなぜかは、分からない。
エレノアが既にいるからか。
いや、王として男児は必要だろうし、子が一人というのは少なすぎる。
それを考えたら、子作りを継続する必要があるはずだ。
はしたない思考をしている自覚はあったが、私にとっては死活問題であり、ここ最近ずっと頭を悩ませていた事柄でもあった。
メイドに入浴の手伝いを受け、着替えを終えてから、私は化粧台の前に立った。
「……」
意味もなく、ぺたぺたたと頬に触れる。
あれから、四年が経過した。
私は十六歳から、二十歳となった。
少女らしい幼気さは抜け、大人の女性としての怜悧さが増えたように思う。
元々、顔立ちは冷たく見える方──歳の割に大人びて見えることを知っている。
無意味なことを知っていて、私は目尻を下げてみる。
「……うーん……」
ロディアス様が私に触れないのは、なぜなの。
もう、私に女性としての魅力を感じないのか。
四年前と今で、何か変わった……?
顔を摘んだり、押し上げたりして試行錯誤していると、不意に声が聞こえてきた。
「どうしたの?なにか気になることでも?」
驚いて振り向くと、そこには今しがた部屋に入ってきたのだろう。扉を後ろ手に閉めるロディアス様がいた。
鏡に向かい合い、試行錯誤するところを見られたのだ。
思わぬ場面を見られて硬直する。
固まった私に気付かず──いや、気がついているかもしれない。だけどそんな私に構わず、ロディアス様は不思議そうに私を見た。
「どうしたの?……何もしなくても、きみは綺麗なままだし、可愛いよ」
「そっ……うでは……なくて」
彼は、てらいなくそういう発言をする。
綺麗だとか、可愛いだとか──好きだとか。
愛している、とか。
その度に私は、慣れない言葉をまともに受けて、動揺してしまうのだ。
今も上手く流せずにまともに受け止めて狼狽える私に、彼が首を傾げて近づいてくる。
「何を悩んでいるの」
「…………」
「エリィ?」
「いま……その名で呼ぶのは良くありません……」
私は、|偽名(エリィ)ではなく、エレメンデールに戻ったのだ。
ディエッセンで使っていた名前を呼ばれると、恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちになる。顔を上げると、彼が私の頬を撫でた。
するり、とそのまま顎に触れるのに──口付けひとつ、してくれない。
「言って?僕達は夫婦なんだから。隠すのは禁止。言葉を呑み込むのはやめにしようって話したでしょ」
「…………。…………」
言うのか。
私から。
言わせるの?
私に。
彼は、神妙な顔をして私の言葉を待っている。
きっと、私が何を考えているかなんて全くわかっていない。
以前は──結婚したばかりの頃は、毎日のように雪崩込む日々だったのに。
どうして、今は。
顔がじわじわと熱を持つ。
鏡を見なくてもわかる。
きっと今の私は、顔が真っ赤だ。
案の定、ロディアス様が不審に思って顔を覗き込んでくる。
「エレメンデー──?っ!!」
だから、彼のシャツの胸元をぐっと掴み寄せて、もう片方の手で彼の首の後ろに手を回して、背伸びして。
──くちびるを、奪った。
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