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最終章
死ぬこととは /リリネリア
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その場でゴミ箱に突っ込んでも良かった。だけどこれはいずれ返品するものだ。それを捨ててしまっては意味が無い。壊してもいけない。それを見て、ふと私は気がついた。
汚してもいけない、捨ててもいけないなら、目に見えない汚れを付けるくらいはいいのではないかと思いあたった。そう考えると、私はすぐにそれを手に取って首から下げた。それだけで、このお綺麗なネックレスが黒く穢れていくように見えた。目に見えた汚れは見えない。だけど、じわじわと黒ずんでその鎖が錆びていくのが見えた。ああ、これだ。これで、このネックレスは私にふさわしいものになる。いや、思い上がりも甚だしいのか。これでもまだ、私には足りなさすぎる。綺麗だ。美しい。汚れなど、なさそうだ。
「きったない」
呟いたのは、私にあてたものなのか。それともこの思いそのものなのか。よく分からなかったけど、この鎖のついたネックレスは無性に腹が立った。こんな、こんなのはーーー。そうだわ。こんなに綺麗なものはきっと私とは真逆の、それこそレジナルドが娶ったばかりであるあの王女にこそ似合うのだろう。
お綺麗な王女様。きっと彼女のような者にこそこういった品は似合うのだろう。辺境の地で娼婦の名を持った女が持っていい品ではない。しかも、この身は娼婦顔負けと言っていいほどに汚れていると言っていい。娼婦は文字通りその身を売るための商売女のことだが、彼女たちだってまさか齢八つにして体を売ったりしていないだろう。いや、私はもっとひどい。なぜなら金を取ってないのだから。金を払う価値もなかった体ということだ。文字通り慰めもの。冷たい鎖が首筋に触れた。
そして、その後、たしかすぐガーネリアが部屋にやってきたのだ。
私の眠りが浅いことを心配した彼女は結構な頻度で寝る前に焚く香やシーツに垂らすアロマを持ってくる。今日もまた、眠りが落ち着くというアロマを手に持ってきてくれていた。
そして、私はネックレスを外す機会を失った。冷たかったはずの鎖はすぐに体温によって温められて、その存在感を消した。ガーネリアに寝る前の支度の確認と、ハーブティーを入れてもらっているあいだにすっかり忘れていたのだ。どうせ朝起きた時にでも気づくだろうと、たかを括っていたのもある。まさか私自身が誘拐されるとは思ってもみなかったのだ。
ここだけ切り取ればガーネリアが怪しく思えるが、恐らく。いやきっとガーネリアは無関係だろう。
時期がおかしすぎる。さすがに王太子が訪れている時に誘拐事件など起こさないだろうし、それにガーネリアが犯人なら私を誘拐するタイミングはこの十年ずっとあった。
だから、彼女ではない。
いや、どちらでも良かった。
だけど、それは別にガーネリアを信頼してないとかではない。実際、8歳のあの日に。私の誘拐事件に関わった侍女のことだって私は信頼していたけれど、実際その手引きをしたのは私の侍女だった。その時はーーーどう思ったのだっけか?冷たい牢屋の中で私は考えた。あの時、侍女が内部犯だったと聞いた時。私は怒ったのだっけか。泣いたのだっけか。激昂したようにも悲しんだような気もする。いや、そんな感情はとうに失われてとにかく怖かったのだっけか。覚えていない。私は膝頭に頬を押し付けて瞼を伏せた。
ーーー死んじゃうのかなぁ
ふと思ったけど、こんな状況だ。
間違いなく死に一番近いのだろう。だけどそれは近い、と言うだけであって死ぬと決まったわけではないわだけど死よりも辛いことがあると私は知っている。死なないかもしれない、なんて言葉は今の状況ではより絶望を呼ぶと知っている。
希望は、持たない方がいい。
望みは、持たない方がいい。
助かるかも、万が一、とか。もしかしたら、とか。文学小説の主人公のように、ヒーローが助けに来てくれるかも、とかは考えてはいけない。ここは現実で、そんな都合のいい展開は訪れないのだから。それは、私が一番知っているでしょう?
ーーーあの時。
リリネリアは、何を思ったんだっけ。それだけは不思議と思い出せた。
レジナルドに、かつての婚約者に救いを求めたのだった。それを思い出して、臓腑が重くなった。バカみたいだ。誰も、助けになど来てくれないのに。自力で助かること以外、望みなどないのに。
その時、不意に牢屋内で声が響いた。
「死にたく、死にたくないよぉ………」
遠くから聞こえるのは男の掠れた声だ。怖いのだろうか。恐ろしいのだろうか。自分がどんな目に合うかわからず、恐ろしいのだろうか。それが当然な気がする。
(死にたくない、か)
それは生き物として当然の感情なのだろう。知能を持たない虫や、蟻でさえ死ぬことを避ける。それは本能だから。弱肉強食の世界でも、弱きものはできるだけ死から逃れようとする。それはなぜか?本能だからだ。
死は終わりだ。何も、残さない。教会の偉い人は死は新しい人生のスタートだとか、次の生を生きるための準備だとか、それらしいことを謳っているけれど、私はそれのどれもが違う気がした。
死は終わりだ。それだけは、ハッキリしている。きっと私たちは、死んだらどこにでも、何も無い世界に消えるのだろう。
この世に、その人が存在していた、という事実だけを残して。
怖くなどない。悲しくなどない。死ぬことは、私にとっての救いだった。
汚してもいけない、捨ててもいけないなら、目に見えない汚れを付けるくらいはいいのではないかと思いあたった。そう考えると、私はすぐにそれを手に取って首から下げた。それだけで、このお綺麗なネックレスが黒く穢れていくように見えた。目に見えた汚れは見えない。だけど、じわじわと黒ずんでその鎖が錆びていくのが見えた。ああ、これだ。これで、このネックレスは私にふさわしいものになる。いや、思い上がりも甚だしいのか。これでもまだ、私には足りなさすぎる。綺麗だ。美しい。汚れなど、なさそうだ。
「きったない」
呟いたのは、私にあてたものなのか。それともこの思いそのものなのか。よく分からなかったけど、この鎖のついたネックレスは無性に腹が立った。こんな、こんなのはーーー。そうだわ。こんなに綺麗なものはきっと私とは真逆の、それこそレジナルドが娶ったばかりであるあの王女にこそ似合うのだろう。
お綺麗な王女様。きっと彼女のような者にこそこういった品は似合うのだろう。辺境の地で娼婦の名を持った女が持っていい品ではない。しかも、この身は娼婦顔負けと言っていいほどに汚れていると言っていい。娼婦は文字通りその身を売るための商売女のことだが、彼女たちだってまさか齢八つにして体を売ったりしていないだろう。いや、私はもっとひどい。なぜなら金を取ってないのだから。金を払う価値もなかった体ということだ。文字通り慰めもの。冷たい鎖が首筋に触れた。
そして、その後、たしかすぐガーネリアが部屋にやってきたのだ。
私の眠りが浅いことを心配した彼女は結構な頻度で寝る前に焚く香やシーツに垂らすアロマを持ってくる。今日もまた、眠りが落ち着くというアロマを手に持ってきてくれていた。
そして、私はネックレスを外す機会を失った。冷たかったはずの鎖はすぐに体温によって温められて、その存在感を消した。ガーネリアに寝る前の支度の確認と、ハーブティーを入れてもらっているあいだにすっかり忘れていたのだ。どうせ朝起きた時にでも気づくだろうと、たかを括っていたのもある。まさか私自身が誘拐されるとは思ってもみなかったのだ。
ここだけ切り取ればガーネリアが怪しく思えるが、恐らく。いやきっとガーネリアは無関係だろう。
時期がおかしすぎる。さすがに王太子が訪れている時に誘拐事件など起こさないだろうし、それにガーネリアが犯人なら私を誘拐するタイミングはこの十年ずっとあった。
だから、彼女ではない。
いや、どちらでも良かった。
だけど、それは別にガーネリアを信頼してないとかではない。実際、8歳のあの日に。私の誘拐事件に関わった侍女のことだって私は信頼していたけれど、実際その手引きをしたのは私の侍女だった。その時はーーーどう思ったのだっけか?冷たい牢屋の中で私は考えた。あの時、侍女が内部犯だったと聞いた時。私は怒ったのだっけか。泣いたのだっけか。激昂したようにも悲しんだような気もする。いや、そんな感情はとうに失われてとにかく怖かったのだっけか。覚えていない。私は膝頭に頬を押し付けて瞼を伏せた。
ーーー死んじゃうのかなぁ
ふと思ったけど、こんな状況だ。
間違いなく死に一番近いのだろう。だけどそれは近い、と言うだけであって死ぬと決まったわけではないわだけど死よりも辛いことがあると私は知っている。死なないかもしれない、なんて言葉は今の状況ではより絶望を呼ぶと知っている。
希望は、持たない方がいい。
望みは、持たない方がいい。
助かるかも、万が一、とか。もしかしたら、とか。文学小説の主人公のように、ヒーローが助けに来てくれるかも、とかは考えてはいけない。ここは現実で、そんな都合のいい展開は訪れないのだから。それは、私が一番知っているでしょう?
ーーーあの時。
リリネリアは、何を思ったんだっけ。それだけは不思議と思い出せた。
レジナルドに、かつての婚約者に救いを求めたのだった。それを思い出して、臓腑が重くなった。バカみたいだ。誰も、助けになど来てくれないのに。自力で助かること以外、望みなどないのに。
その時、不意に牢屋内で声が響いた。
「死にたく、死にたくないよぉ………」
遠くから聞こえるのは男の掠れた声だ。怖いのだろうか。恐ろしいのだろうか。自分がどんな目に合うかわからず、恐ろしいのだろうか。それが当然な気がする。
(死にたくない、か)
それは生き物として当然の感情なのだろう。知能を持たない虫や、蟻でさえ死ぬことを避ける。それは本能だから。弱肉強食の世界でも、弱きものはできるだけ死から逃れようとする。それはなぜか?本能だからだ。
死は終わりだ。何も、残さない。教会の偉い人は死は新しい人生のスタートだとか、次の生を生きるための準備だとか、それらしいことを謳っているけれど、私はそれのどれもが違う気がした。
死は終わりだ。それだけは、ハッキリしている。きっと私たちは、死んだらどこにでも、何も無い世界に消えるのだろう。
この世に、その人が存在していた、という事実だけを残して。
怖くなどない。悲しくなどない。死ぬことは、私にとっての救いだった。
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