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リリネリア・ブライシフィック

血を流す理由

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血が流れるのを見ると、心が安らぐ。ぽたり、ぽたり、と手首から滴る赤い雫をみて、私はようやくその激情の逃がし方を知った気がした。少しずつ、少しずつ、溜まった膿が抜けていくような感覚。淀んだ泥を濾していくような気分。

「不思議…………痛くないんだから」

手首を傷つけるペーパーナイフを机に置いて、私はしばらくぼんやりと新しく出来た三本の線を見つめていた。ぷっくりとした赤い玉が浮かんでは、線を作って腕に流れていく。

「変なの…………」

面白いのに、おかしいのに、どこか悔しさに似た感情が沸きあがる。悔恨、悲哀、なんてそんな綺麗な感情はとうに消え失せているから、これはもっと面倒で汚い感情なのだろう。一言では片付かない分類の。金髪で、碧眼で、さらに目じりにほくろがあって、顔も整っている人物に心当たりなど一人しかいない。そして、私のことをリリネリアと呼ぶ人なんて、限られている。あれはレジナルドなのだろうか。随分前に、私をーーーいや、リリネリアだったそれをリリィと呼んだ彼なのだろうか。

「なんで今更……………」

今更、どうしてわざわざ会いに来たのだろう。妃として役立たずになったと知ってすぐ、新しい婚約者を据え置いた彼が、なぜ今更。今更悔やんだのだろうか。今更リリネリアの今が気になるのだろうか。リリネリアでなくなった私に興味が湧いたのだろうか。だとすれば、迷惑甚だしい。自己満足もいいところだ。そうやって、私の今を見て彼はきっと同情するのだろう。元々がお優しい性格をした彼のことだ。私の手首を見て、私の治らない病気を知って、きっとすまなかったと言うのだろう。
なんて言うのかしら?私は、少しだけ気になった。

『あの時はまだ幼くて、何も分かっていなかった』?

十分ありうる。

『まさかきみが、そんなことになってるなんて知らなかった』?

それもありうる。そう言って彼は謝るのだろう。私の今など気にかけず、新しい妃と仲良くやっていたことに罪悪感を持つのだろう。バカバカしくて見ていられない。彼としては私が見知らぬ男たちに陵辱され、妃として不合格になった時点で万々歳だったのだろう。歳若い、幼い王太子はこれで私ではなく本当の想い人を娶れると、対したことは考えず私との婚約破棄に踏み切ったのだろう。いつかした、私との約束など忘れて。

ああ、ダメだ。どうして今更思い出してしまうのだろう。忘れていたかったのに。どうでもよかったのに。それ以上を上回る面白おかしさに、笑みがこぼれてしまうじゃない。
私は流れた血がシーツに零れそうになるのに気付いてそっと布で手首を押えた。あまりやりすぎるとガーネリアを心配させてしまう。

「許す、許さないとか……………」

そんなんじゃなくて。
もっと違う、根本的な何かだ。そんなことを考える土台ではない。
もしーーー万が一、だけど。レジナルドがリリネリアであった私に謝罪したとしたら。きっと私は笑ってしまうだろう。涙が出るほど笑うかもしれない。

だって今更じゃない。
今更すぎるわ。
何年経ってると思ってるの。

今更会いにきて、何をするつもりなの。

そこで私はひとつの可能性に思い当たった。私は、レジナルドが謝るのだろうと思っていたけれど。
もしかしたら彼は何も思っていないかもしれない。婚約者でなくなった女のことなどどうでもいいと思っているかも。あの時、私の手に触れて何を確認したのかは知らないが、もしなんとも思ってないのなら、きっともう会うことも無い。
いや、そちらの方が可能性は高い。十年以上片思いした相手とやっと結ばれたばかりなのだ。
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