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【幕間】
公爵夫妻の相談事 ②
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「ネリア。お前には辛いことをさせる。本来であれば私があの子に話すべきなのだろう。だけど…………あれは、私であっても男を拒絶する。すまない、ネリア………」
「…………………本当に、こうするしかないのでしょうか………?」
「貴族社会の中傷から逃れるには、これしかあるまい………。突然療養に出したとなれば、必ず勘ぐられる。そして、その先にあるのはあの子の………」
「……………」
健康体だったリリネリアが突然療養するとなれば、その理由は必ず勘繰られる。しかもリリネリアはただの貴族令嬢ではなく、王太子の婚約者であるのだ。それはすなわち、王太子の婚約者でいられないなにか理由ができたと思われても仕方ない。不貞か、突然の病か。前者であればもう王太子妃にはなれまい。後者も同様だ。突然発症する病で、療養を必要とするものなんてろくなものが無い。大抵が不治の病だとされるものだ。
どちらにせよ、療養という名の安寧をリリネリアに与えることは出来なかったのだ。貴族からしてみればリリネリアが不貞をおかしたかどうかなどさほどどうでもいい。噂だけ仕立てあげればいいのだから。
公爵家の力があれば社交界の噂程度なんとかなるだろう。だけどそれも限度がある。いくらリリネリアがただの気鬱だと言っても、その張本人が姿を表さなければ説得力はない。娘を王太子妃に据えようという貴族は面倒なほどいる。蛇のように執拗で、粘着質で、陰湿なやり口を好むそれは確かに貴族のやり方なのだろう。
どちらにせよ、いつまでもリリネリアを守ることは出来ない。もとより、守られてばかりの妃など王太子妃にはなれない。
「……………リリネリアは死んだのだ」
言い聞かせるように公爵は言う。
公爵は悔やんでいた。我が家にさえ、生まれなければリリネリアはきっと幸せだっただろう。せめて公爵家でなければ。王太子の婚約者でなければ。
リリネリアの警備はけして手薄だった訳では無い。ただ、密通者がいた事で。内部からの仕掛けによって、結果、まだ警戒心の薄かったリリネリアは外に出ることとなってしまった。
今になってみれば悔やむことは沢山ある。だけど悔やんでいては何も始まらない。いつだって世間は待ってくれない。娘を悪漢の手によって汚されたとしても、公爵としては、公爵家としてはその体裁を保つためにいつも通りの毎日を過ごしていると思わせるしかないのだ。
「……………………あの子は、幸せになれるのでしょうか……………」
「…………そう、させたいとは思う。だけどそれは親としての感情であって、当主としての私からは何も言えない。こうなることがあの子の運命だったのだろう。貴族であれば、自分に降りかかった厄災ごと受け入れるのが常だ。それを悔やんでも仕方ない。泥水を啜ってでも、生きる。それが貴族としてのーーー」
矜恃、だと言うのは分かっていた。だけど公爵夫人は内心混乱していた。貴族、貴族、と夫は言う。自分もそれを納得はしているが、完全には納得していない。これでいいのだろうか。リリネリアは本当にこれでいいのだろうか。リリネリアの下にはまだ幼い妹がいる。アデライードだ。彼女は今四歳になったばかりでリリネリアによく懐いている。
(これで、いいのかしら…………?)
公爵夫人は黙り込んでしまった。夫のその言葉は、正しいのだと思う。貴族として、正しい回答なのだと思う。リリネリアの身に起きたことは一生消えない。起きたことは消しようがないのだ。いつか、きっとリリネリアにおきたことは暴露される。知らぬうちに噂になってるものだ。それを、何よりも、夫人は恐れていた。
リリネリアに耐えられるはずがない。リリネリアに、蔑みの視線を向けさせるわけにはいかない。あの子がまた辛い思いをするくらいなら………それなら全て、消してしまった方がいい。
夫人はそう思ってしまった。夫人は、リリネリアを信じていなかった。リリネリアのことも、レジナルドのことも。まだ幼いリリネリアには無理だろうと、立ち直ることなど出来ないだろうと、そう思い込んでいた。
ある意味それは正しい。幼いリリネリアと、まだ歳若いレジナルドにできることなどたかが知れているだろう。
一歩間違えれば互いに取り返しのつかないことにだってなる。要は、その責任を取れないと夫人は判断したのだ。保守的な回答を出した夫人は一度瞼を伏せた。そして、まぶたをあげた時には既に、答えは決まっていた。
「…………分かりました。あなたの仰ることに従います………」
夫人の言葉に、公爵は眉を抑えた。そして、呻くような声で告げたのだ。
「………辛い役を押し付けてしまってすまない」
「いいえ………」
そして、あの日。
リリネリアにとっては絶望を植え付けたあの日、夫人は何よりも厳しくリリネリアに言い聞かせた。
曰く、希望は抱かないようにと。
もし何らかの期待を持たせてしまえばそれはリリネリアを傷つけることになる。万が一、リリネリアがまだレジナルドを信じていれば、それは結果リリネリアを苦しめるだけになる。実際、その頃にはレジナルドと他国王女との婚約の話が進んでいた。
いつまでもレジナルドを信じていれば、辛い思いをするのはリリネリアだと、それは火を見るより明らかだ。辛くても、苦しくても、悲しくても、夫人はリリネリアのためを思ってそう言わざるをえなかった。
それが、最善策だと信じて。
「…………………本当に、こうするしかないのでしょうか………?」
「貴族社会の中傷から逃れるには、これしかあるまい………。突然療養に出したとなれば、必ず勘ぐられる。そして、その先にあるのはあの子の………」
「……………」
健康体だったリリネリアが突然療養するとなれば、その理由は必ず勘繰られる。しかもリリネリアはただの貴族令嬢ではなく、王太子の婚約者であるのだ。それはすなわち、王太子の婚約者でいられないなにか理由ができたと思われても仕方ない。不貞か、突然の病か。前者であればもう王太子妃にはなれまい。後者も同様だ。突然発症する病で、療養を必要とするものなんてろくなものが無い。大抵が不治の病だとされるものだ。
どちらにせよ、療養という名の安寧をリリネリアに与えることは出来なかったのだ。貴族からしてみればリリネリアが不貞をおかしたかどうかなどさほどどうでもいい。噂だけ仕立てあげればいいのだから。
公爵家の力があれば社交界の噂程度なんとかなるだろう。だけどそれも限度がある。いくらリリネリアがただの気鬱だと言っても、その張本人が姿を表さなければ説得力はない。娘を王太子妃に据えようという貴族は面倒なほどいる。蛇のように執拗で、粘着質で、陰湿なやり口を好むそれは確かに貴族のやり方なのだろう。
どちらにせよ、いつまでもリリネリアを守ることは出来ない。もとより、守られてばかりの妃など王太子妃にはなれない。
「……………リリネリアは死んだのだ」
言い聞かせるように公爵は言う。
公爵は悔やんでいた。我が家にさえ、生まれなければリリネリアはきっと幸せだっただろう。せめて公爵家でなければ。王太子の婚約者でなければ。
リリネリアの警備はけして手薄だった訳では無い。ただ、密通者がいた事で。内部からの仕掛けによって、結果、まだ警戒心の薄かったリリネリアは外に出ることとなってしまった。
今になってみれば悔やむことは沢山ある。だけど悔やんでいては何も始まらない。いつだって世間は待ってくれない。娘を悪漢の手によって汚されたとしても、公爵としては、公爵家としてはその体裁を保つためにいつも通りの毎日を過ごしていると思わせるしかないのだ。
「……………………あの子は、幸せになれるのでしょうか……………」
「…………そう、させたいとは思う。だけどそれは親としての感情であって、当主としての私からは何も言えない。こうなることがあの子の運命だったのだろう。貴族であれば、自分に降りかかった厄災ごと受け入れるのが常だ。それを悔やんでも仕方ない。泥水を啜ってでも、生きる。それが貴族としてのーーー」
矜恃、だと言うのは分かっていた。だけど公爵夫人は内心混乱していた。貴族、貴族、と夫は言う。自分もそれを納得はしているが、完全には納得していない。これでいいのだろうか。リリネリアは本当にこれでいいのだろうか。リリネリアの下にはまだ幼い妹がいる。アデライードだ。彼女は今四歳になったばかりでリリネリアによく懐いている。
(これで、いいのかしら…………?)
公爵夫人は黙り込んでしまった。夫のその言葉は、正しいのだと思う。貴族として、正しい回答なのだと思う。リリネリアの身に起きたことは一生消えない。起きたことは消しようがないのだ。いつか、きっとリリネリアにおきたことは暴露される。知らぬうちに噂になってるものだ。それを、何よりも、夫人は恐れていた。
リリネリアに耐えられるはずがない。リリネリアに、蔑みの視線を向けさせるわけにはいかない。あの子がまた辛い思いをするくらいなら………それなら全て、消してしまった方がいい。
夫人はそう思ってしまった。夫人は、リリネリアを信じていなかった。リリネリアのことも、レジナルドのことも。まだ幼いリリネリアには無理だろうと、立ち直ることなど出来ないだろうと、そう思い込んでいた。
ある意味それは正しい。幼いリリネリアと、まだ歳若いレジナルドにできることなどたかが知れているだろう。
一歩間違えれば互いに取り返しのつかないことにだってなる。要は、その責任を取れないと夫人は判断したのだ。保守的な回答を出した夫人は一度瞼を伏せた。そして、まぶたをあげた時には既に、答えは決まっていた。
「…………分かりました。あなたの仰ることに従います………」
夫人の言葉に、公爵は眉を抑えた。そして、呻くような声で告げたのだ。
「………辛い役を押し付けてしまってすまない」
「いいえ………」
そして、あの日。
リリネリアにとっては絶望を植え付けたあの日、夫人は何よりも厳しくリリネリアに言い聞かせた。
曰く、希望は抱かないようにと。
もし何らかの期待を持たせてしまえばそれはリリネリアを傷つけることになる。万が一、リリネリアがまだレジナルドを信じていれば、それは結果リリネリアを苦しめるだけになる。実際、その頃にはレジナルドと他国王女との婚約の話が進んでいた。
いつまでもレジナルドを信じていれば、辛い思いをするのはリリネリアだと、それは火を見るより明らかだ。辛くても、苦しくても、悲しくても、夫人はリリネリアのためを思ってそう言わざるをえなかった。
それが、最善策だと信じて。
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