悪役令嬢は鼻歌を歌う

さんごさん

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初めての嫉妬

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 それから私は、怖くて仕方なくなった。

 何もかもが怖くなった。

 私のことを罵倒する姉のことも、私のことを溺愛する父と母のことも。

 だって、私と姉が同じことをしたとしても、私は許されて、姉は許されないのだ。
 父に話しかけると、私には笑顔を向けて、姉には顔を顰めるのだ。

 それまでの関係性があるのだから当然ではあった。

 けど、私が悪いことをしても怒られず、姉だけ悪いことをしたら怒られるなんて、おかしいじゃないか。

 それじゃあまるで、いじめているのは私の方みたいじゃないか。

 他人の痛みが分からない、鬼のような子供。
 父と母は、姉をそう表現していたけれど、痛みが分かっていなかったのは、私の方じゃないか。

 だけど私は怖いから、それを『おかしい』と口に出すことが出来なかった。
 誰かに傷つけられることも、誰かを傷つけることも怖くて……。

 ただ自分のために、姉の痛みを、分かっていながら無視した。

 少しでも姉の気が晴れるならと、罵倒されるのを受け入れて、罰を受けた気になって。

 自分勝手に私は、自分に出来ることはやっているのだと思い込もうとした。

 もしも本当に、姉に罵倒されるのが嫌だったならば、もっと徹底的に避けることも出来ただろう。

 食事の時に顔を合わせないように、自室で食事を取るようにしたり、サテラたちに頼んで、姉の動向を把握してもらったり。

 それをせずに、頻繁に姉と顔を合わせて怒鳴られていたのは、姉のために苦痛に耐えている自分を、善人だと思い込みたかったからだ。
 こんな腹黒い私が、善人であるはずがないのに。

「朝食の時間です」とサテラが言った。

 すでに支度は終わっている。

 今日は雨が強いから、なかなか髪が整わなかったけれど、メイドたちが綺麗に梳かしてくれたので、何とか収まった。
 癖毛の私は、湿気の強い日が憎らしい。

 サテラたちを伴って食堂に向かう。
 最近は、こっそり抜け出すことも少なくなった。
 以前ほど私は、子供ではないということだろう。

 まだ完全になくなったわけではないのは、まだ完全に大人でもないということなのだろう。

 食堂まで歩いて行くと、食堂の前で姉と鉢合わせた。
 いつものように怒鳴られるんじゃないかと、私は怯える。

 避けないようにしているとはいえ、罵られるのが辛くないわけではない。

 ただ、覚悟をしている私とは裏腹に、姉は何も言わなかった。
 何かを言おうとしたようにも見えたけれど、結局何も言わずに食堂に入っていく。

 姉と向かい合うように席に着いた。
 食事が運ばれてくる。
 それでも姉は何も言わない。

 何も言わないことが逆に気持ち悪い。
 もくもくと、私たちは食事を続ける。

 姉はただ、いつもよりも早いペースで食事をしているだけだ。
 何か心境の変化でもあったのだろうか。
 そういえば今日は、いつもよりも化粧が濃いような気もする。

「……あの、お姉さま」

 沈黙に耐えられず、私の方から声を掛けた。
 すると姉は、剣呑な目つきで私を睨み、「なにかしら?」と言った。

 姉に睨まれると、私は息が止まりそうになる。
 あの時ほどきつい視線ではなかったものの、殺意のような物を感じてしまうのだ。

 黙り込んだ私には取り合わず、姉はてきぱきと食事を終わらせると、席を立つ。
 ほっとするような思いと、少し寂しく感じる自分がいる。

 きっと私は、姉を魅力的に感じているのだ。
 本当はたぶん、普通の姉妹のように、姉と仲良くなりたいんだと思う。

 けれどやっぱり私は憎まれたままで、姉は絶望の中にいるのだろう。
 そう諦めかけたその瞬間、姉の表情がふっと和らぐのを見た。

 え…………?

 そのあまりにも穏やかな顔に、私は息を呑む。

 笑った顔なんて見たことがなかった。
 この人はこんな風に笑うのかと、心臓が掴まれたような気分になる。

 姉の笑顔は、同性の私が見惚れるくらい、綺麗なものだった。

 ただ、その笑顔が向けられた相手は私ではない。
 姉の背後に控えていた、姉の専属侍女。

 彼女に対して、姉は柔らかく笑ったのだ。

 ああ、そうか、あの人が姉を救ってくれたのか。

 私は小さな嫉妬心を抱いた。

 私は姉を救うどころか、姉のために何かをしてあげることも出来なかった。
 けれど彼女は、姉が自然に笑えるくらい、姉の心を救ってしまえたんだ。

 あんな笑顔を、私にも向けてほしかった。

 羨ましかった。

 誰かを羨ましいと思ったのなんて、初めてのことかもしれない。


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