琴子と幽霊の大五郎

さんごさん

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 翌日、目を覚ますと、大五朗は今でも頭を悩ませている。

「おはよう」

 そう声をかけるとハッとしたように顔を上げた。

《おはようございます》

 頭を下げる大五朗は、疲れたふうも無い。

「幽霊って眠らないの?」

 徹夜だっただろうに疲れないのは、幽霊だからだろうかと訊いてみる。

《ええ、他の幽霊の事は知りやせんが、あっしは死んでから眠くなることはなくなりました》

「ふーん」

 幽霊が見えるようになって三年経つが、知らないことはまだまだありそうだ。

「それでどうなの?手紙に書くことは決まった?」

《はい。自信はないですが、決まりやした》

「そう、じゃあ、顔を洗ってくるから待っててね」

 私は洗面所に行って顔を洗い、歯を磨いた。

 服装はパジャマのままだったけれど、着替えるのは後でいいかと部屋に戻る。

「さて、聞かせてくれるかしら。手紙に書く内容を」

 ボールペンと便箋を用意して、私は大五朗に促す。

《い、言うんですかい?》

「当然よ。言ってもらえなくちゃ書けないもの」

《で、ですが他の人に恋文の内容を言うのは……》

 まあ、ラブレターなんて送った本人に読まれるのも恥ずかしいものだろうからその気持ちは分かるけれど……。

「分かるけど、私に言わなくちゃ手紙は書けないわよ。それとも自分で書いてみる?」

《そ、そんなの無理でさあ》

(幽霊に手紙が書けたら世話無いよなあ)

「あれ?でも大五朗ってサーベル飛ばしたりお箸持ち上げたり出来るんだから、ボールペンを使って手紙を書く事も出来るんじゃないの?」

 ボールペンを操るのは、お箸を持ち上げるのと要領としては変わらない気がする。

《馬鹿言っちゃいけねえ。持ち上げたり飛ばしたりは出来るが、文字を書くなんて繊細な作業を幽霊が出来るはずあるめえ》

(そうなんだ。お箸を私目掛けて飛ばす事だってそれなりに繊細な作業に思えるけれど……)

「じゃあやっぱり、私に言ってくれないと手紙書けないじゃないの」

《それはそうなんですが……》

「それとも私以外に代筆してくれる人を探してみる?」

 ちょっとした冗談のつもりだったのに、大五朗は悲しそうに私の顔を見つめてくる。

《あ、あんさん》

「な、何よ」

《見捨てないで下さい!》

 嫌な予感はしたけれど、案の定大五朗は泣きついてきた。

「分かった。分かったわよ。だからやめて」
《あんさーん》

 泣きついてくる大五朗を振り切ろうと、部屋の中を走り回っていたら、

「琴湖、五月蝿いわよ!」

 階下から母の叫び声が聞こえてきた。

(ああ、またしても『病気』の疑いを掛けられるかもしれない)

 やっと泣き止んだ大五朗を見つめ、つくづく思った。

(何で私ばっかりこんな目に遭うのよ)

 溜め息をつくと、大五朗が首を傾げていた。




 手紙。
 あっしの名は大五朗と言います。
 初めてお譲さんを見かけたのは、公園で浮遊していた時の事です。

 お譲さんは、まるでそこだけ日が差し込んでるのと見まごうほど輝いて見えました。

 その日のお譲さんは買い物の帰りだったのか、手に袋をぶら下げていましたが、その袋でさえ、あっしには高尚なものに見えました。

 それからというもの、お譲さんが公園の前を通りかかるたびに、あっしの心臓は飛び出しそうでした。多分一目惚れだったんだと思いやす。

 それまでは何十年と同じような日々を過ごしていたあっしが、お譲さんの存在で、生きているような気にさえなってしまいました。

 お譲さんと話してみたい。お譲さんに触れてみたい。

 その想いばかりが募っていきます。

 けれど、あっしにはお譲さんに声を掛ける事も出来やしなかったのです。

 諦めよう。
 自分にそう、言い聞かせやした。

 けれども、お譲さんの姿を見かけるたびに、あっしの意思に反して、あっしの心はお譲さんに引き寄せられて行ったのです。

 ああ、あっしは一生お譲さんを遠くから見ていることしか出来ない。

 歯がゆい日々が続きやした。

 それでもお譲さんに対する想いを諦めきれないあっしに、一度だけ想いを伝える機会が巡ってきたのです。

 お譲さんはあっしの名前も知らなければ、姿を見たことも無いでしょう。

 けれど、あっしの気持ちを、手紙という方法をもって、伝えることが出来ます。

 あっしのことを知らないお譲さんが、この手紙を読んでどんな反応を示すか、大体想像はつきます。

 ですが、どうしてもお譲さんにあっしの気持ちを伝えたかった。

 この手紙を読み終えたら破り捨てても構いやせん。

 だから、一言だけ、あっしの言葉を聞いて欲しい。

 あっしは、お譲さんの事が大好きです。





「大五朗って、文才無いのね」

 大五朗の話すことを便箋に書き終えた私は、出来上がった手紙を見てそう呟いた。

《どこかおかしい所がありやしたか?》

「うん。『公園で浮遊していた時』なんて普通の人間には無いわよ」

《何言ってるんですか。あっしは幽霊ですぜ》

「それは知っているけれど、仲田さんはあなたが幽霊であることを知らないのよ。『浮遊していた時』を『浮浪していた時』と取られてホームレスと思われたら最悪じゃない」

《良いんですよ。あっしはお譲さんに嘘をつきたくはありませんから》

「――それなら私が口を出すことじゃないわね」

 おかしなところは他にもある。『何十年と同じような日々を』というのを見たら、多分仲田さんもかなり高齢な男性を想像してしまうだろう。

 それに大五朗は消えるよりも早く誰かを好きになり続けていた男なのだ。その何十年の間にだって他の女性に恋をしていたはずである。

『浮遊していた時』というのだって、『公園にいた時』というニュアンスにすれば、嘘にもならずに大分違ってくるだろうけど、大五朗がこれで良いと言うのならば私が口出しすることは出来ない。

 何しろこれは、大五朗の気持ちを伝えるための手紙なのだから。

「これを伝えたら、大五朗の未練はなくなるのね?」

《はい》

「また他の人を好きになったりしないでしょうね?」

 大五朗には今までも、好きな人が死んでから消えるよりも早く他の人に惚れてきたという前科がある。

《大丈夫だと思いやす。今までは気持ちを伝える前に相手が死んでしまってたんで。気持ちを伝えることが出来れば、あっしの未練もなくなると思うんです》

「そう。分かったわ」

 これを仲田さんに届ければ、大五朗は消えることが出来るのだ。

「じゃあ、明日これを届けに行くわ。良いわね」

 今日は高校に通うにあたって色々と買い物をしておきたかったし、そのために友達との約束もあったので、届けるのは明日になる。

 そんな事のために後回しにされる大五朗は不本意かもしれないが、片手間にやられるよりは良いだろう。

《はい》

 大五朗は不快も表さずに頷いた。

「大五朗ともこれでお別れと思うと少し名残惜しいわね」

 妙にしんみりしてしまう。幽霊といえど大五朗とは仲良くなっていたので、私の中にも寂しさはあった。友達が引っ越してしまうような寂しさだ。

《あ、あんさん》

「明日はうまくいくと良いね」

《はい!》

 泣きついてこようとする大五朗を避けるように、二度寝をするわけでも無いのに私は布団の中に潜り込んだ。


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