琴子と幽霊の大五郎

さんごさん

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競歩の選手にはなれそうもない

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 一つ目。

 まずは大五朗が好きになった相手の素性を知ることから始める。

 それに一番適した方法は、彼女の後をつけて、家がどこにあるのかを知ることだ。

 後をつけるとはいっても、彼女が誰なのかも分からない私は、どこに行けば彼女に会えるのかも分からない。

 一つだけ手掛かりがあるとすれば、私は本屋さんからの帰り道に彼女に会ったということで、その場所で待てば彼女が通りかかるのではないかというものだった。

 だから私はジャグリングを練習していた男性がいた公園で、彼女が通りかかるのを待つ。

 今日も男性はジャグリングを練習していて、昨日彼女に怒られたからか、今日は普通のお手玉をやっていた。

 お手玉は五つほど同時に投げられていて、すごいなあと感心してしまう。

「ところで大五朗っていくつなの?」

 この公園には私とジャグリングをやっている男性しかおらず、私の座るベンチから男性までは離れているが、家の中ではないので気をつけて小声だ。

《あっしですかい?》

「うん」

 大五朗と呼び捨てにしていたけれど、年上の可能性もある。むしろその可能性の方が高いかもしれない。

《あっしは死んでから…》

「違うわ。いくつで死んだのかって事」

 享年。というやつだ。

 死んでからは年を取らないというから、死者の年齢を数える時はそれを参考にすべきだろう。

《死んだ時の年齢でやすね。確か二十四だったと思いやす》

「大五朗って…」

《はい?》

「若く見えるのね」

 私よりも年上だったとしても、一つか二つ違うだけだと思っていたが、こんなにも違うとは。

 私は今年で十六になるが、今はまだ十五歳だ。年齢差は実に九つ。

 大五朗の外見は私達の年代でも童顔と言われそうなものだったから、嘘ではないかと疑いたくもなる。

《そうですか?》

 しかし嘘でもなさそうなので、これまで呼び捨てにしていたことを反省する。言葉づかいももう少し改めなければならないかもしれない。

「………ごめんなさい。呼び捨てにしちゃって」

《良いんですよ。あっしもそのほうがしっくり来やす。これからも呼び捨てにしなってください》

「そう?分かったわ」

 今更大五朗をさん付けで呼ぶのは気持ち悪い。

 大五朗にしてみれば謙遜で言った言葉だったのかもしれないけれど、言質をとったとばかりに私はそのまま敬語を使わないで話すことを決めた。

 それでも大五朗は気を咎めた風も無かったので、彼は言葉づかいにうるさい人間ではないのだろう。

 私がこの公園で、大五朗の好きになった女の人を待ち構えて数時間が経過しようとしていた。

 大五朗とつまらない話を延々としてはいるものの、ここに居続けるのには些か飽きてきた。

 それでもまだ、帰るわけにはいかない。

(それにしても暇だなぁ。他の人はこういう時に何をするものなのだろう?)

 よく小学生くらいの男の子がこういうところで携帯ゲームをしているのは目にするけれど、私は携帯ゲームなど持っていない。

 私くらいの年齢だと、スマホで遊ぶのかもしれないけれど、残念ながらまだ、スマホを買ってもらっていない。

 高校生になったら買ってもらう約束なので、もうそろそろだ。

 友達からはSNS が出来ないと不満をぶつけられることもあったが、これでやっと、その不満に応えることも出来る。

 残念ながら今は持っていないので、ぶつぶつと、不審者のように大五郎と会話するくらいしか、暇潰しの手段がないのだが。

 仕方ないので私は目の前でジャグリングを続ける男性に目をやる。

 彼は私が公園に来る前から練習をしていたようだが、この数時間、休むことなく練習を続けている。

 お手玉はリズム良く宙を舞い、男性の前で輪を作り続ける。

 私が来てから一度も落としていないので、彼が機械仕掛けなのではないかと想像したりする。

(それにしても上手いなあ)

 彼が機械仕掛けだったとして、何のために輪を作り続けているのだろう。

 もしかしたらあの輪の中心は異世界と繋がっていて、いつかこの世界とは別のところに住む人間があそこから現れるのかもしれない。

 そう考えると少し面白かった。

 ただ、私の想像力はそれほど逞しくないので、そんな妄想にもすぐに飽きてしまう。

 回り続けているお手玉を見ていると、催眠術に掛かったように眠くなってきてしまった。

《あんさん。あんさん》

 ウトウトしていたわけではないが、意識がボーっとしていたからだろう、その呼びかけに最初は気付かなかった。

「え?何?」

 はっとして大五朗に目をやると、

《あそこです》

 彼は車道の方を視線で促す。

「あれは…」

 そこには一人の女性が歩いている。

 私の背丈とそれほど変わらない体格をした女性だった。

 どこかで見た顔。

「ああ、そういえばあの人の素性を知るためにここで待ってたんだっけ」

 その人は大五朗が好きになった女性。

 大五朗に殺されかけた女性と言い換えても良いけれど、とにかく私は彼女を尾行しなければならないのだ。

《あんさん。しっかりしてください》

 幽霊にこんなことを言われてしまった。

「ふー」

 私は一つ息をついて立ち上がると、お尻をパタパタと叩く。公園のベンチは汚れていたのか、スカートから砂埃が舞ったのに顔を顰めてしまう。

 スカートの乱れを直し、女性の尾行を始めた。

「それにしても早足ね。何か急いでるのかしら?」

 女性は競歩でもしているのではないかというほどの早足で、割と運動不足の私では追いかけるのがやっとだ。

《あのお譲さんはいつもああですよ》

「そうなの?」

(そういえば大五朗は昨日まであの人に憑いてたんだっけ)

 じゃあこれからもあの人が速度を落とすことはないというわけだ。

 私は殆ど走るように彼女を追いかけるが、幽霊である大五朗は私の近くを浮遊したままついてくる。幽霊は良いな、などと、この時ばかりは大五朗が羨ましくなった。

生きている人間の私としては、家が近所であることを祈るばかりである。

「はあっはあっ」

(それにしてもなんなのよ。あの人はこんな速度で歩いてて疲れないわけ?)

 十分もすると、競歩のような速度での尾行に私は息を切らしていた。

 その速度は徒歩というには異常で、私がジョギングするのよりもよほど速いだろう。もしかすると自転車に乗っていても彼女よりは遅いかもしれない。

《情けないですよ。しっかりしてくださいな》

 まあ、確かに歩いている人をつけているだけなのに十分で息切れするというのは情けない限りではある。

 たとえ彼女の歩行速度が異常であってもそれは変わらないだろう。
 けれど大五朗に見下されるような言い方をされるのには腹が立った。

「う、五月蝿いわね」

 怒鳴ってやろうと思ったのに、息が切れて声も殆ど出なかった。日頃の運動不足が祟っているのだろうけど、情けないことこの上ない。

 大五朗の言葉に腹が立つのは図星を突かれたせいでもあったのだろう。

(一体後どのくらい歩けば辿り着くわけ?)

 先の見えない持久走のような状況に、拷問されているような気分になってくる。情けないのは自覚したが、これ以上私をいじめないで欲しいものだ。

 それでも足を止めない彼女を尾行するのに、ぜいぜいと息を切らしている私は傍から見たら怪しい事甚だしいだろう。

(私は探偵には向いてないな)

 元々望んでやっているわけではないけれど、自分の特質として向いていない職業が見つかったようだ。まさか探偵がこれほど体力を必要とするものだとは考えていなかった。

 今は何とかついていけているが、心臓が悲鳴を上げていた。足も限界を訴えて震えているので、この速度での尾行はあと十分も持たないだろう。

 むしろ十分持てば良い方だ。

 まだ尾行を始めて十分程度しか経っていなかったけれど、私の心は折れかけていた。

(いっそのことバスか電車に乗ってくれれば良いんだけど)

 さすがにタクシーに乗られたら私には尾行をする術がなくなってしまうけど、バスや電車ならば体力を使わないでも尾行が可能だ。

「も、もう限界。今日はやめましょうか」

 それから十分あまり、一度も止まることなく進み続ける女性に、私の体力は限界を迎えた。

 近くにあった電柱に手をついて呼吸を整える。

 背を丸めて息を吸うが、頭を上げることは出来ない。頭を上げた途端に立ちくらみがしそうだったので、脳に酸素が行き渡っていないのだろう。

 ジョギングは身体に良いと聞くけれど、こんなものは身体に悪いという方が正しいはずだと世論に反する結論に妙に確信が持てた。

 ここまで来たのだから、次はここから尾行すれば良い。今日はここまでにしておこう。

 これは上出来なんだと自分の情けなさを正当化するために言い聞かせていると、私の頭上から言葉が降ってきた。

《あんさん。体力ないですなあ》

 呆れたという表情からは溜め息が聞こえてきそうだった。いや、少しだけ聞こえた気もする。

「そ、そんな事ないわよ……ぜぇ…あなたが幽霊だからこの辛さを分からないだけだわ」

 だからこれは私が情けないのではないと必死に否定しようとするが、その声でさえ息絶え絶えで力がない。

《ほんとですかあ?》

「ほんとに…はあ……決まってるじゃない」

 大五朗の目は、明らかに信用していなかった。

「と、とにかく」

 これ以上言い合っていても私が追い込まれるだけだというのが痛いほど分かったので、私は強引に話を打ち切った。

《とにかく?》

「帰るわよ」

 大五朗の視線が冷たい。

(大五朗のためにやってるのに、何でこんな冷たい視線で見られないとならないのよ)

「ふう」

 一つ息をついて顔を上げる。

 だいぶ呼吸が整ってきて、心拍数も通常に戻ってきた。酸素が足りないのか頭はなんだかくらくらする気もしたけれど、問題はない。

 視線を前方に向けると、尾行していた女性は遥か遠くに影だけが見えている。私が電柱に手をついている間にも随分と進んでいたようだ。

「あんな人もいるのね」

 あの人が競歩をやったら日本記録が出るかもしれない。冗談抜きにそんな事を思ったりもした。

《あ、建物に入りやしたぜ》

 大五朗が女性の消えた方向を示す。確かにその女性は何かの建物に入った。

「そう、ね」

 そう返事をするが、なんだか嫌な予感がした。

《行ってみやしょう》

(やっぱりそうなるのね)

 足はパンパンで動かすだけでも難儀するのに、どうやら尾行の続行を余儀なくされたようだった。私は溜め息をついて、女性の後を追って行ったのだった。


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