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絶体絶命!? 床入りの儀。繋がり始めた点と点

英傑を下せし女傑

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「おとなしくしろ!」
「いやっ!」
「落ち着け鈴蘭!」
「主様こそ!」

 どこからどう見ても、カオナシ八徳が鈴蘭を喰らおうがために襲い掛かった図。
 だから、両の腕による戒めを解こうと、鈴蘭は身をよじった。
 力のあらんかぎりの必死の抵抗。新たな展開は、そうして自身を布団に押さえつける八徳の元から、脱却しようとして起きた。

「あっ!」

 何とか右の利き腕だけ、八徳の握り手から逃れた鈴蘭は、彼の掴み手から自身の手首を引き離そうとした拍子に、八徳のかぶっていた頭巾を強く打ってしまった。
 短い声を上げたのは、叩いてしまった鈴蘭の方。

「あ、あれ?」

 叩かれた、八徳の方は……

「世界が、世界が回る……よ?」

 何か良くわからないことを呟いた。力の抜けた声でそう漏らすと、それが最後だった。
 鈴蘭の体に、覆いかぶさるように倒れて……動かなくなった。

「……様? カオナシ様? 聞こえしんすか?」

 目出し帽から広がる世界は、ぐるぐる回っていた。
 八徳は体は全く動かないが、どことなくおかしな気持のよさが体中を占めていた。
 他に八徳ができることといえば、慌てた鈴蘭の声が認識できるくらいだ。

 鈴蘭が知る由もない。
 掌の厚い固い部分、掌底が、思い切り八徳の顎を打ち抜いた。
 頭蓋の器に守られた脳みそは、それによって器の左端、右端、前後と大きく揺さぶられ、叩きつけられた。それが、カオナシ八徳に脳震盪を引き起こさせた。

「……いきなり、どうしたのでありんすか? 遊郭に通じる主様なら、わっちが別の旦那と懇意の関係にあっても、理解できるはずでありんしょう? これまでだって、主様には他の旦那の存在を匂わせるような事を言ってきんしたし。主様だからこそ、わっちもそれが言えたのに」

(んぎ、ぎもぢい゛い゛……)

 ちなみに、声だけは認められる。しかし頭の中で感じる快楽が強すぎて、何を言われているのかは、全くと言って理解できていなかった。

「身動き一つとれぬ……と? こうなってしまってはもはや、床入りは無理なんしねぇ。まったく、他の旦那たちなら、喜び勇んでわっちを脱がしにかかるか、自分で脱ぎはじめるかなのに。ほんに主様は他とは違う。面白いやら、情けないやら」

 だから、好き放題言われていることにも、反応することができないでいた。
 そしてそれはもちろん、

「……今なら、わっちがその頭巾を剥がそうとしても、指一本動かせなんでありんしょうか?」

 自らに倒れてきた八徳を鈴蘭が押しのけ、ゴロンと、彼を仰向けの態勢に転がし、かぶる頭巾を、そぉっとめくろうとしても、八徳に抵抗ができるはずがなかった。

 ゆっくり、頭巾はめくられた。
 そうしてとうとう、頭巾は、八徳の鼻柱半分のところまでめくりあがった。

「駄目でありんす鈴蘭。これ以上……めくってはなりんせん。めくってしまったなら多分、主様はわっちのもとに、もう二度と戻っては来しんせん。そんな気がいたしんす」

 結局、それ以上頭巾を剥がされるようなことはなかった。

「……わっちの嘆願を、よぉく聞いてくれなんしたな。でも、どうしてそのきっかけが、古い遊郭の事件。横浜は永真遊郭の《実芭蕉紅麗転落節》だったのか」

 しかしながら彼女は、己の顔を、口元を、頭巾がめくられ露になった八徳の顔下半分に寄せた。穏やかなに囁いた。

「エゲレス語に秀で、見初められた異国人に身受けされ、その後捨てられた。遊郭に戻されてからは、《実芭蕉バナナ(外皮は黄色いが、皮をむいた中身は白いため)》や《ラシャメン》と蔑まれ、周囲から忌諱の目を集め耐え切れず、自死を選んだ悲劇の花魁、紅麗の話を知っていたのか」
「あ、あー」
「ちゃんと、聞こえているでありんすか?」

 まともに反応ができない八徳がかろうじてあげた声に、先ほど乱雑な扱いを受け、昂った鈴蘭も落ち着けたのか、クスッと笑った。 

「遊郭の女が、いつまでも語り継ぐであろう少し古いお話し。でも、遊郭の外で生きる男たちにとっては取るに足らないお話し。それを、どうして主様は知っているのでありんすか?」

 どうせ聞いても、八徳は答えが返せない状況。

「どうしてでありんしょうね。主様は、本当に不思議な旦那でありんす。主様の前にいると、どうにも胸に秘めるべきものを秘められんようになる。《初回》にもかかわらず、わっちのコリンへの想いを、主様は言い当てた。《カオナシ捕物帳》でのタンカは、遊郭に生きる者のの取るに足らん誇りを代弁してくれた」 

 八徳の状況をわかった状態でなお、鈴蘭の穏やかな呼びかけは終わらなかった。 

「主様は、葛藤を思いながらも、わっちからの訴え、馴染みで居続けることを承諾してくれた。誰にも晒せんわっちの実情を、主様は気づいたんじゃありんせんか? 普通一般、まず気づけんようなことを、どうして気づきしんしたのか。まるで、まるで長いこと遊郭で生きてきたからこそ、察知できたような感じがいたしんしたなぁ」

 非常に、その問いは重要なはずなのに。彼の中では理解できていない。

「だからたったいま、乱暴されてなお、わっちは気になり、主様を嫌いになれん。だから主様には、わっちはなんでも話せてしまう。同じ遊郭で生きる、同士のように思えてしまうから。ねぇ、主様?」
「ほひーほひー、はいはいはい!」

 奇声を上げたのは、鈴蘭の声色に反応したからに過ぎなかった。

「主様は……何者でありんす?」

 その答えを、いまならすぐ掴み取れる状況にあってなお、鈴蘭はそれでも、それ以上頭巾をめくることはしなかった。

「聞きしんせん。聞かれたくないことでありんしょう? 主様は、誰にも知られたくない顔がある。そして、気付いておりんしょうか? 主様は、わっちを見るとき、その先に誰かを重ねておりんす」
「ほんにゃあ、ふにゃぁ」

 もはやこの段に至っての八徳の発声は、何とか抵抗しようと努力してのことなのか、それとも、勝手に声が漏れ出ているだけなのか。

「それは、家の方でありんしょうか。それとも外界での、主様が心に決めたおヒト? ならば猶更、主様の正体を知りたくはありんせん。その女のことを聞きたいとも思いしんせん。ただだからこそ、頭巾を脱ぎ去ったその時だけ、主様が何某なにがし様の正体の世界に生きる者を想うことを許しんすから……」

 鈴蘭は、そこから先、言葉を続けることはしなかった。

 ただ……ぼやけたあかり一つの暗い部屋。明りによって映し出された八徳の影、頭部分に、鈴蘭の影が重なって……

「ンぐ……んん……ん……」

 それ以上の八徳の奇声は、どことなく上から覆いかぶさられたかのようにくぐもったようなものになった……
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