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1巻

1-2

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「悪くありません。噂通り、貴女は優秀な人のようですね」
「でしたら!」
「いいでしょう、商談成立です」

 嬉しくて思わず心の中でガッツポーズをする。入念に準備したかいがあった。ルーフェス公爵家と業務提携ぎょうむていけいを結べれば、この企画は成功したも同然。
 ――そう、普段ならここでお終い。
 私は、商談を終えて帰ろうと席を立つルーフェス様を止めた。

「?」

 不審そうに私の顔を見る公爵様。
 私はそのまま、用意していた資料をビリビリに破り捨てた。

「……なんの真似ですか?」
「この商談は、このままではルーフェス様にとって、不利益なものになります」
「どういうことですか? おっしゃっている意味が分かりません」

 そうでしょうね。たった今、私が売り込んだ商談を私自身が否定するのだから。
 でも、これは事実。

「この新規事業は、私がいることを前提として提案させていただきました」
「そうでしょうね。マルクス伯爵家に、貴女以外、使える人材はいません」

 流石ルーフェス様。商談相手のことをちゃんと調べていますね。

「私は、カインと離縁し、マルクス伯爵家の事業から完全に離れます。私がいなくなれば、この商談はルーフェス様にとって不利益なものになるので、契約を結ばないのが得策かと思います」
「……貴女が何をしたいのか分かりません。結論を言って下さい」

 それはそう思いますよね。こっちから売り込んでおいて契約しない方が良い、なんて言っちゃうんだから。でも、結論からは話せなかったんですよ。結論を先に言ってしまうと、貴方が話も聞かずに帰ってしまうのが分かるから。
 少しでも良い印象を持ってもらうために私の優秀さをアピールして、なんとか最後まで話を聞いてもらう。それが、私の最初の課題。

「回りくどい話し方をしてしまった点は謝罪します。でも、どうしても、ルーフェス様に提案したい別の契約があって、私の実力を見てもらう為に最初に新規事業の話をしました」
「別の契約とは?」
「絶対に損はさせません。ルーフェス様にとって、良い契約であるとお約束します」

 ここでルーフェス様が帰ってしまえば、もうお終い! お願い! 帰らないで!

「……話だけは聞きましょう」

 私の熱意が伝わったのか、しばらく沈黙した後、ルーフェス様はもう一度椅子いすに座り直した。
 よし! 第一ミッション完了!

「では最後まで話を聞いて下さい。有り得ないと思っても、とりあえずは最後まで聞いて下さい」
「いいから話して下さい」

 念押しはしておかないとね。きっと、ルーフェス様が一番嫌うお話でしょうから。

「私と結婚して下さい」

 ガタンッと、機嫌が悪そうに椅子いすから立ち上がるルーフェス様。
 そうなるのは分かっていましたよ!

「ルーフェス様! 最後まで話を聞いて下さい!」
「聞く必要がありません」
「私は、子供が出来ない女です」

 ピタッとルーフェス様の動きが止まり、私の顔を睨み付けた。

「だから? それで俺が結婚の話を受けるとでも? 馬鹿馬鹿しい」

 口調が荒くなった。本気で怒っていらっしゃいますね。

「……カインは、私の夫は、私に子供が出来ないからと言って私の妹と不貞ふていを働き、妊娠させました。そしてその妹は、代わりにとターコイズ男爵との縁談えんだんを私に用意しました」
「ターコイズ男爵? 彼は五十歳で君とは随分歳が離れているし、離縁歴が三回ある。全て、彼の暴力が原因で――」
「知っています。知っていて、妹は私に彼との縁談えんだんを用意したんです」

 私は、昨日妹に渡されたターコイズ男爵のお見合い写真と簡易的な紹介文が書かれた紙を、ルーフェス様に見えるように机の上に置いた。

「このままでは私は、ターコイズ男爵と結婚させられてしまいます。でも、私はそれを避けたい。だから、私と契約結婚をしていただきたいんです」

 ルーフェス公爵は結婚を望んでいない。
 何故なら彼は、自分の子供を欲していないから――これは社交界では有名な話だ。
 彼は、亡くなってしまった兄の息子――おいを跡取りにしたい。
 だから、自分の子供は欲しくない。自分の子供が産まれれば、その子が跡取りになる可能性が高くなる。彼がおいを跡取りにしたいと望んでも、妻はそれを望まない。自分の子供を跡取りにと望むはず。そうなれば、後継者争いが起きてしまう。
 だから、彼ははじめから結婚をしない。

「貴方は結婚を望んでいないのに、沢山の縁談えんだんが絶えず来て困っていると耳にしました。私との結婚は虫除むしよけになります。誘いも断りやすくなります。私となら、たとえ子供が出来なくても、夫婦関係に疑問を持たれません」

 私が子供を産めない女だというのは、きっとエレノアが社交界中にばら蒔いている。
 だから、子供がずっと出来なくても怪しまれない。

「私は、絶対に貴方からの愛を望みません。ただ私を道具として虫除むしよけにお使い下さい。そして是非、貴方が望む方を跡取りにして下さい」
「確かに女性からの誘いは多いし、自分の娘を嫁にと口煩くちうるさい奴等も多々いるが……」
「特に、同じ公爵家からの要望が強いのではありませんか? ずっと断り続けるのは面倒でしょう。それに、いずれは皇帝陛下からも縁談えんだんを持ち掛けられるかもしれません」
「……」

 よし。とりあえずは考えてくれていますね!
 ここは、もっと利益を提案しなきゃ!

「私と結婚して下されば、公爵家に利益をもたらすと約束します! 偽物でも、公爵夫人になるからにはその名に恥じないように精一杯努めます! 家族から逃げ切る間だけでも良いんです! だから、お願いします!」

 頭を下げて、必死で懇願こんがんする。今の私には、これしか助かる道はない。

「……リスクは?」
「!」

 初めて向こうから契約内容について質問された。少しは興味を持ってくれたのかな……?
 ルーフェス様は、また改めて椅子いすに座り直した。

「リスクはまず、軽いものからお話しすると、私と結婚するのに結納金ゆいのうきんが発生します」

 一体、私が幾らでターコイズ男爵に売られたのかは分からないけど、少なくとも百万くらいはある気がしてる。

「このお金は、ルーフェス様に出して頂かないと駄目なのですが、私と結婚して頂ければ、結納金ゆいのうきんの倍以上の利益を上げると約束します」
「次は?」
「――私は、あの二人を許せません」

 どす黒い感情が、ずっと私の心を蝕んでいる。今にも泣いて立ち止まってしまいたいのに、こうやって動き続けているのは、あの二人に対する憎悪ぞうおのおかげ。

「私なりの復讐を行うつもりでいます。勿論、ルーフェス様にご迷惑をかけないように注意しますが、貴方を巻き込んでしまう可能性があります」

 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、返さないと気がすまない!

「好きにしたらいい。なんなら、手伝ってやってもいい。他には?」
「へ?」

 予想だにしなかった返答に、間抜けな声が出てしまった。

「他には?」
「いえ、これで終わりです。けど……いいんですか? 復讐しても?」
「そんな最低な奴等には好きなだけ復讐すればいい。俺でもそうする。それに、巻き込むといっても君は、我が公爵家への影響を考えた上で行動できる人間だろう?」

 今度は私が黙ってしまった。
 好きなだけ復讐していいの? 巻き込んでも、いいの?

「それは、私と、契約結婚をしてくれるということですか?」

 私が核心かくしんをついた質問をすると彼は右手を差し出した。

「いいだろう、契約成立だ。ただし、契約書はきちんと交わしてもらう」


「ありがとうございます!」

 ルーフェス様と固く握手を交わすと、改めて結婚についての契約を進めた。
 私の実力を知ってもらうための偽物の契約ではなく、本物の契約。

「これでよろしいですか?」

 二人で話し合い、決めた契約書を確認し合う。
 ――結婚は形式だけのもの。
 人前では仲の良い夫婦を演じるが、真の意味での夫婦関係は持たない。
 故に子供も作らず、公爵家の爵位を継ぐのはルーフェス様のおいとする。
 双方、不貞ふてい行為は一切禁止。契約結婚について協力者以外への口外も禁止。
 契約結婚が不要になり離縁する際は、双方合意の上とすることになった。
 ……前回のような一方的な離縁は認められず、契約違反となるのだ。契約違反があった場合は、結婚してから得た全ての財産を慰謝料いしゃりょうとして相手に渡し、相手が望む時に離縁することにした。
 そして私は、ルーフェス様が払った結納金ゆいのうきんの倍の金額を公爵家で働いて返済する。返済した後は、働きに応じた金額をいただけるそうなのでありがたい。

「それでいい、あまり契約が多くても面倒だ」
「面倒って……あの、もしルーフェス様に好きな方が出来たら即離縁に応じる。とか、書きましょうか?」
「離縁は双方合意の上と決めたはずだが、問題が?」
「いえ、そうではなくて! ルーフェス様に好きな人が出来たらこの契約は不要になるのではと思いまして……」

 今はいなくても、いつか、ルーフェス様に本当に好きな人が出来るかもしれない。
 その時私の存在は邪魔になるだろう。私が持ち掛けた契約のせいで、ルーフェス様が不幸になるのは望んでいない。

「片方だけに有利になる契約は平等じゃない。それなら、君にも同じ内容が必要になる」
「私は……もう、誰も好きになりません」

 なりません。ではなくて、なれないが正解だと思う。
 誰かを好きになっても、結局エレノアに奪われてしまう。
 それならもう誰も好きになりたくない。あんな風に傷付くのは、もう嫌。

「俺は君と離縁するつもりはない。君は俺を心配しているみたいだが、この契約は俺にとっても利益があるから引き受けた」
虫除むしよけのことですか?」
「ああ。鬱陶うっとうしい令嬢達の虫除むしよけに、子供を望まず愛も求めず、おいに爵位を継がす事を了承する打って付けの妻を見付けたんだ。俺が逃がすと思うか?」

 ……双方の同意なく離縁を認めないというのは、まさか私を逃がさないようにするためですか? 
 あれ? なんだか少し怖くなりましたね。

「それに、どうせ結婚するなら、最大限、公爵家にとって役に立つ人物が良い」

 公爵家にとって役に立つ――それはつまり、私の才能を認めてくれた証。

「公爵家の妻としての役割は存分に果たしてもらう。君にその能力があるのは、もう充分に知っているからね。君には、公爵家の事業を一部任せよう」
「はい! 絶対にお役に立ってみせます!」

 仕事ができるのは純粋に嬉しい。期待してもらえるなら、なおさらだ! カインと結婚してから始めた仕事だけど、色々な人と関わり、感謝され、喜ぶ顔が見られるのは楽しかった。
 内容の確認を終え、それぞれ契約書にサインを交わす。

「では、正式に契約成立だな。あと、ルエル。これから俺の事はメトと呼ぶように」
「は、い。……メト」

 サラリと私の名前を呼ぶのに驚いてしまった。まるで、以前からそう呼んでいたみたい。
 格好良くて仕事も出来る方は、なんでもスマートに出来てしまうんですね。一方の私は、貴方の名前を呼んでも、どこかぎこちなくなってしまいそうで一苦労。

「よろしい。それにしても、君の夫――マルクス伯爵令息は愚かな男だな。君がいなくなれば自分達が困るだろうに」

 そうですね。ボロボロだった事業をここまで立て直したのは私だというのに、これからどうするのかしら。まあ、私には関係ないし、私が努力して得た物は、全て私に返してもらう。

「君とマルクス伯爵令息との離縁はもう成立しているのか?」
「はい。どうやら勝手に届けを出されていたようで、気付いたら離縁していました」

 調べたところかなり前から手続きが進んでいたようで、私達の婚姻はすでに破棄はきされていたのだ。
 そんな話をしながら職場を出て、メトのエスコートでルーフェス公爵家の馬車に乗る。

「勝手に?」
「エレノアかお母様が代筆したんでしょう。あの人達は私が逆らわないと思っているので、平気でなんでもするんです」

 カラカラと車輪が回る音がして、馬車が走り出す。
 今まで、義両親や家族の事を誰にも話さなかった。話した事が知られたら、余計に怒りを買ってしまうから。契約のために、私は初めて他人メトに自分の置かれている環境を話した。

「聞けば聞くほど、ルエルの家族は最低なクズばかりだな」

 どこか怒りの籠った声。
 誰かが私のために怒ってくれるのは初めてで、それがとにかく嬉しかった。


 ◇


 クリプト伯爵邸――ここに帰ってくるのは、三年ぶりか。
 馬車の中から生家を見上げても懐かしいとも恋しいとも思わない。ここには嫌な思い出しかない。

「ルエル?」
「……すみません。少し、緊張してるみたいです」

 私は今から、お父様、お母様、そしてエレノアと向き合わなくてはいけない。
 覚悟はしていたし、復讐すると決めた。
 なのに、いざ目の前にすると震えるなんて私は弱い。

「心配する必要はない」
「え?」
「君には俺がいる。存分に、俺を復讐の後ろ盾にすると良い」

 なんて、心強い言葉だろう。

「……あはは。ありがとうございます、メト」

 お陰様で緊張が解れた。
 私は今からルーフェス公爵様との結婚をお認め頂くわ。覚悟していてね?

「今、なんとおっしゃいましたか?」

 応接室にて、私とメトを前に、驚愕やら戸惑いやらをのせた複雑な表情を浮かべるお父様の姿。その両隣には、悔しそうに顔を歪めるお母様とエレノアの姿。
 あの後、馬車をクリプト伯爵邸の前に停めると、慌てて執事が飛び出しメトに用件を尋ねた。

「ご令嬢のことで、クリプト伯爵に話がある」

 ルーフェス公爵家の馬車がいきなり訪ねてきた事に相当パニックになった執事は、私の存在に気付かないまま、慌てて、この家の主人である父を呼びに行った。あえて私の名前を出さなかったのかは分からないけど、皆メトが言った令嬢を妹の事だと認識した。
 応接室に通されてから随分待たされたと思ったら、豪華に着飾ったエレノアが出てきて驚いた。
 どうやら妹は、自分がルーフェス公爵様の目にかなったのだと勘違いしたみたいで、メトが話している間中、場違いに着飾った姿が吹き出してしまいそうになるくらい滑稽こっけいだった。

「聞こえませんでしたか? ルエルを私の妻に迎えたいと言いました」

 再度、メトはお父様に向かい本題を伝えた。

「……失礼ですが、何故、ルエルを? ルーフェス公爵様とルエルに、どのような接点があったのでしょうか?」
「仕事関係です。そこで何度かルエルに会う機会があり、私が彼女に一目惚れしました。ルエルは既婚者だからと諦めていましたが、今日、離縁したと聞き、私からプロポーズをしました」
「私も、実は以前からルーフェス公爵様を気になっていたのですが、私は既婚者――この思いに蓋をしていました。今日彼から思いを告げられて、ああやっぱり私は彼が好きだと確信したんです」

 馬車の中で打ち合わせした内容を、わざとらしく体を寄せ合い仲睦なかむつまじそうに話す。
 嘘の中に真実を交えて、お父様達を欺く。
 エレノアはこの話を信じたくないでしょうね。だってこれが真実なら、貴女が私からカインを奪ったおかげで、私はルーフェス公爵様と結婚する事になるんだもの。

「ルーフェス様! ルエルはついこの間、不妊が原因でマルクス伯爵令息と離縁したばかりの娘です。ルーフェス様に相応しいとは思えません!」

 お父様とメトとの会話に割って入り、大きな声で私をおとしめる発言をするお母様。
 不貞ふていを働いて私を裏切ったのはカインとエレノアなのに、やっぱり私が、お母様の中で離縁の原因になるのね。

「聞き捨てならないな」

 怒りに震えていたら、すぐ隣から私よりも怒っているような声が聞こえて驚いた。

「ルエルを選んだ私を、クリプト伯爵夫人は否定するんですか? 私の目が節穴だとでも?」
「ち、違います! そのようなことは!」

 冷たくお母様を睨み付けるメト。
 ルーフェス公爵は、この帝国一の力を持つ貴族といっても過言ではない。彼に従う侯爵家や伯爵家も大勢いる。そんな彼を敵に回せば、この先クリプト伯爵家はただではすまない。

「……妻が大変失礼致しました。ルーフェス公爵とルエルの結婚を反対する理由などありません。喜んで、娘との結婚を認めさせて頂きます」

 お母様にかわり頭を下げるお父様。
 その隣で、悔しそうに私を睨みつけるお母様とエレノア。いい気味ね。

「で、でも、ルエルお姉様には、ターコイズ男爵との縁談えんだんが来ているじゃありませんか? もう、結納金ゆいのうきんだって頂いてるのに今更断るだなんて――」

 今度はエレノアが、最後の悪あがきのように口を挟む。どうあっても私をターコイズ男爵のところに嫁がせたいのね。私が、カインよりも良い男にとつぐのが許せない?
 見下していた私が、自分よりも上に行くのが許せない?

「メト」
「っ!」

 特別な関係を見せ付けるように親しげに彼の名を呼んだら、思惑通り、エレノアは唇を噛み締め私を睨み付けた。

「ごめんなさい。私も貴方と結婚して、貴方の妻になりたいのに……ターコイズ男爵との縁談えんだんは、勝手に家族に決められていたんです」
「勝手にだなんて! 私はただ、ルエルお姉様のためにと思って!」
「ターコイズ男爵の噂を知っているでしょう? エレノアは、私がそんな男のところに嫁にいっても良いと思っているのね、酷い妹」
「ルエルお姉様には、その程度の男がお似合いじゃない!」

 馬鹿なエレノア。簡単に挑発に乗ってくる。

「やめないか! エレノア!」
「あ!」

 父親の怒号どごうで自分の失言に気付いたエレノアは顔を真っ青にしながら口を塞いだけど、もう遅い。

「クリプト伯爵は、娘にどういった教育を? 姉妹でこんなに出来が違うのも珍しいものです」
「わ、私、そんなつもりでは」
「重ね重ね大変失礼致しました、ルーフェス様。ターコイズ男爵には結納金ゆいのうきんを直ちに送り返します」

 これ以上エレノアが余計な発言をしないよう、父が遮るように言葉を被せた。

「もし相手がごねるようなら私の名前を出して下さい。文句があるならば、ルーフェス公爵が話を聞くと」

 ターコイズ男爵が統治する地域は辺境の一部。それも、魔物が多く生息している。そんな彼がメトに逆らうような愚かな真似はしないだろう。
 ターコイズ男爵との縁談えんだん破棄はきされ、無事にルーフェス公爵との結婚を認められた。
 これで、クリプト伯爵家――私の生家での用件はお終い。
 お母様とエレノアの悔しそうな顔が見れたし、満足ね。まだまだ足りないけど。もっともっと、どん底まで落ちてもらう。私と同じ苦しみまで。

「ああ、思い出しました」

 対談を終え部屋から出る所で、何かを思い出したように、メトはお父様達の方に振り返った。

「ルエルを嫁にもらうのに結納金ゆいのうきんが必要でしたね。近日中に一千万と、ルーフェス家が所有する鉱山を一つと、幾つか宝石を送りましょう」
(は?)

 思わず、聞いていた私の方が思考停止してしまう。

「一千万っっ⁉ 鉱山⁉ 宝石⁉」

 驚愕の声を上げるお母様。
 いや、私も驚いてます。相場って知ってます? 多くても三百万くらいじゃないの。多分、ターコイズ男爵は私を百万とかで買ったと思うけど?
 それに鉱山、宝石? いやいやいや、一体総額幾らになるの⁉

「ルエルの価値を思えば、この程度安いものです」

 すっっごい笑顔で言ってくれましたけど、そのお金って私が倍にしてお返しするって言ったものですよね? 想定外の金額なんですけど⁉

「――メト。やり過ぎではありませんか?」

 クリプト伯爵家を出て、馬車の中。
 二人きりになった瞬間、私はメトに抗議した。

「君は結納金ゆいのうきんの金額については交渉しなかっただろう?」
「そうですけど!」

 ああ、頭が痛い。相場! メトは相場を知らないんですか⁉ 鉱山や宝石だなんて……一体いつになったら倍にして返せるのか!

「安心して良い。そんなに貴重な宝石も、重要な鉱山も渡すつもりはない。君の実力ならすぐに稼げる程度だ」

 一千万だけでも結構な金額なんですけど? 私を過大評価し過ぎでは?

「こちらの方が、傲慢ごうまんでプライドの塊のような君の妹と母親は悔しがるだろう?」

 確かに、去り際のお母様とエレノアの顔は見物みものだった。
 私が結婚した時と違い、エレノアにはマルクス伯爵家から結納金ゆいのうきんが払われるでしょうけど、きっと、ここまでの大金ではない。あの人達は、エレノアの価値が、今まで散々見下してきたルエルわたしより劣ったと感じるでしょうね。

「それにしても、実際目の当たりにすると本当にどうしようもない家族だな。君はあんな環境で過ごしてきたのか?」
「……そうですね。お母様はエレノアだけが大切で、お父様は私――正確には、娘である私達に興味がありません」

 クリプト伯爵家、私の家には、跡取りとなる男の子が産まれなかった。
 お母様は、お父様がなによりも望む男の子を産めなかった。望む子供が出来ない辛さを知っているはずなのに、お母様は子供が出来ない私を非難し、妹の味方をする。
 お父様は、私がお母様やエレノアに邪険じゃけんに扱われようとも、誰と結婚しようと、どうでも良い。お母様がどちらか片方だけにお金を掛けようとも、エレノアが私に酷い縁談えんだんを持ちかけようとも、クリプト家に害がなければどうでも良いのだ。

「いずれ、クリプト伯爵家の血筋の優秀な男児を養子に迎え入れると聞いています」
「跡取りが産まれなかった貴族が養子を迎えるのは少なくない。君の元夫も、跡継ぎが欲しいなら養子を迎え入れる選択もあっただろうに」
「どうでしょう? マルクス伯爵家は、それを認めないと思います」

 お義父様もお義母様も、口を開けば子供のことばかり。どうしても、自分達の血を引く孫――跡取りが欲しかったのでしょうね。
 あのまま結婚生活を続けていても、養子をとることを認めてくれただろうか?
 きっと、私を追い出そうと躍起やっきになったでしょうね。

「まさか、家族だけじゃなく、義両親からも酷い扱いを受けていたのか?」
「子供が出来ないハズレ嫁扱いされていました」
「はぁ。君をハズレ嫁扱いするなんて、君の元嫁ぎ先はどれだけ恩知らずなんだ」

 メトは深く溜め息を吐くと、眉間みけんに皺を寄せ頭を抱えた。
 子供が出来ない事に負い目はあった。義両親が孫を望む気持ちも理解できる。
 だからこそ、それで離縁を望まれたなら、私はカインの幸せの為に受け入れたと思う。でもカインは順番を守らず、酷い裏切りをしたのだ。絶対に許さない。

「君の話を聞いていたら、俺も復讐に乗り気になってきたよ」
「それはありがたいです」

 今度はマルクス伯爵家に行き、私の数少ない荷物を回収するついでに、あの親子に決別けつべつを告げる。
 貴方達みたいな最低な一家とはこっちから縁を切ってあげる。覚悟していてね?


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