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翡翠の願い

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 夜明け前。
 誰もいなくなっていることを確認し、白妙の私室へ戻った久遠くおんは、静かに襖を閉じた。

 「こちらは問題なかったよ。」

 久遠の言葉に、翡翠ひすいは軽くうなずくと、固く絞った布巾ふきんで白妙の額に浮かぶ汗をぬぐい、憔悴しょうすいした表情で久遠を振り返った。

 白妙は頭がわれるような・・・吐き気をともなう激しい頭痛におそわれていた。
 あまりの痛みに内臓がこわばり、背筋に冷たい脂汗が吹きだす。
 虫のように手足を縮ませ身体中を小さく丸め、時には激しくのけぞり、食いしばった歯の隙間からうめき声を漏らし続けていた。

 「そんな顔をしなくとも、白妙は大丈夫だ。・・・・黒は、完全に防御を解き、甘んじて全ての攻撃をその身に受けていた・・・・。もし彼が少しでも抵抗していたなら、白妙は苦しむだけではすまなかった・・・・。」

 久遠の言葉に、翡翠は静かにうなずいた。

 「今はただ、使い慣れない力を激しく行使したために、酷い筋肉痛になったような状態なのだ。明日になれば、痛みも少しは落ち着くだろう。ただ・・・・」

 ふいに、白妙が身じろぎながら薄く口を開いた。

 「宵・・・闇・・・・・。」

 白妙の美しい唇がひっそりと・・・・・切なく呼んだその名に、久遠と翡翠はたまらず目を伏せた。

 「ずっと・・・・彼を、呼んでる。」

 「・・・・ああ。問題はそれだよ。この熱は普通のものではない。昨日から一度も目覚めないままでいるというのも・・・・。」

 久遠が蒼から白妙を受け取った時、彼女は女の姿へと変容していた。

 途方もない時の彼方から、自分を押し殺し大切な者の思い出を守り続けてきた白妙の心が、黒と向き合ったことでようやく、ありのままの白妙として放たれたその反動なのだろう・・・・・。

 そう感じ、翡翠はあふれる涙を抑えることができなかった。

 「私は身勝手な人間です。例え大罪を抱えていても良かったのにと・・・・。彼女の愛した宵闇に、生きていて欲しかったと・・・・。どうしようもないほど強く願ってしまうのです。」

 久遠は何も答えられなかった。
 自分も、一度は生きることを手放した人間だったからだ。

 「・・・・なぜ彼は穢れ堕ちたのでしょう。そんなことをすれば、白妙とともに生きることは、叶わなくなると分かっていたはずなのに・・・・。なぜ、罪を償いながら白妙と生きてやる道を、選ばなかったのでしょうか。」

 「・・・・・・。」

 「白妙には、宵闇が必要なのに・・・・本当は彼だけしか、いらないくらいに。・・・・私は、彼女に幸せになって欲しい。」

 決して叶うことのなくなった壊れた願いを、潰れそうな胸の内でともに祈りながら、久遠は翡翠の髪をそっとなで、強く胸に抱きしめた。
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