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久遠と翡翠 2
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「本来であれば、お前たち全員を上に引き渡さねばならぬところだが、ここであえて人手を失うのは良策とはいえまい・・・・。こたびのみ、見ぬふりをしてやる。早々に立ち去れ。」
捕えられていた腕を突然離され雨に打たれながら、町人たちは呆然と久遠の父の顔を眺めた。
「あ・・・ありがとうございます!」
彼らは勢いよく中庭の砂利に額をこすりつけ何度も礼を述べると、守衛に連れられ館を後にした。
中庭を去っていく町人たちを、皆が目で追う中・・・・・。
ただ一人だけ、久遠と翡翠を気配もなく振り返って見つめる者がいた。
・・・・あの、濃紺の衣をまとった女だ。
女の凍えるような暗い瞳が、久遠の瞳とぶつかったとたん、久遠の手首にヂリリと痛みが走った。
久遠は慌てて翡翠の襟をつかみ、素早く柱の向こうへと頭を引っ込めると、その手を取って奥の座敷へかけ戻り、襖をピタリと閉じた。
翡翠に背を向け久遠が袖をめくってみると、先ほど痛んだ手首に、文字のような絵のような濃紺の模様が描かれている。
親指の先ほどの大きさのその模様は、擦っても消える様子はない。
「兄様?どうされたのですか。」
「・・・・なんでもない。それにしても、先ほどの濃紺の衣の女は、少し・・・気味が悪いな。」
「ええ・・・・・。」
二人の心に、まるで潮が満ちるように不安がおし寄せ、女に対する恐怖が胸の奥深くへと、どす黒い染みをにじませていった。
・・・・・翌日。
久遠と翡翠は、再び奥の座敷へと追いやられた。
昨日の出来事を目にしていた二人が、大人しく引っ込んでいられるわけもなく、久遠と翡翠はうなずき合うと、大座敷の近くへと忍び寄り、身を隠した。
久遠の父に呼ばれたのだろう。
各部落の長と思われる者たちが、大座敷に集まっている。
濃紺の衣の女を傍に置き、久遠の父は厳かに口を開いた。
「無駄な話はすまい・・・・。上から遣わされてきた、神官・・・・織殿によれば、この長雨は川に潜む”神妖”と呼ばれる、妖の類による仕業らしいのだ。」
皆一様に息をのんだ。
にわかには信じがたいという顔で互いに顔を見合わせている。
だが、そんな夢物語のごとき話など、続いた一言によって、落雷のような衝撃をともなって吹き飛ばされてしまった。
「・・・・・・人柱を立てる。これ以外に、我らが救われる手段はない。」
「そんなっ・・・・」
一人の比較的若い男が思わず声を上げ、慌てて口をつぐんだ。
もしここで、悪目立ちしてしまえば、自分、もしくは身内の者の誰かが、その人柱に選ばれる口実を作ってしまうかもしれないと思いいたったのだ。
恐怖が、皆の口を縫い付けたかのようにピタリと閉じさせ、大座敷は不気味な沈黙に包まれた。
「そんなに怯えるな。ここで何かわめきたてたとしても、人柱に選ばれたりすることはない。・・・・人柱は選ばれた者でなければならないらしいのだ。」
「・・・・・・それについては、私がご説明いたしましょう。」
濃紺の女が、不自然なほどに真っ赤な唇をうごめかせ、撫でるような声で皆に語り掛けた。
「人柱を選ぶには、選定の儀を必要とするのです。川に潜む神妖に、望む者の絵姿を描かせる。・・・・そこに描かれた者のみが、人柱と成しえるのです。」
久遠と翡翠は背筋が冷たくなるのを感じた。
人柱・・・・・生きたまま人を土中へ埋め、妖へ供物として捧げるというのだ。
「人柱を供えれば、神妖は満ち足りて少なくとも十年の間は大人しくしているでしょう。」
濃紺の衣の女は、袂から一枚の筒状の紙を取り出し、皆に見えるよう大きく広げた。
一体どのようにして、こんなに長い筒を折り曲げもせずに懐へ忍ばせていたのだろうか・・・。
二人の頭をよぎる小さな疑問は、女の口が紡ぐ言葉にあっけなくさらわれた。
「ここに描かれた者が、此度選ばれた人柱の・・・・翡翠です。」
捕えられていた腕を突然離され雨に打たれながら、町人たちは呆然と久遠の父の顔を眺めた。
「あ・・・ありがとうございます!」
彼らは勢いよく中庭の砂利に額をこすりつけ何度も礼を述べると、守衛に連れられ館を後にした。
中庭を去っていく町人たちを、皆が目で追う中・・・・・。
ただ一人だけ、久遠と翡翠を気配もなく振り返って見つめる者がいた。
・・・・あの、濃紺の衣をまとった女だ。
女の凍えるような暗い瞳が、久遠の瞳とぶつかったとたん、久遠の手首にヂリリと痛みが走った。
久遠は慌てて翡翠の襟をつかみ、素早く柱の向こうへと頭を引っ込めると、その手を取って奥の座敷へかけ戻り、襖をピタリと閉じた。
翡翠に背を向け久遠が袖をめくってみると、先ほど痛んだ手首に、文字のような絵のような濃紺の模様が描かれている。
親指の先ほどの大きさのその模様は、擦っても消える様子はない。
「兄様?どうされたのですか。」
「・・・・なんでもない。それにしても、先ほどの濃紺の衣の女は、少し・・・気味が悪いな。」
「ええ・・・・・。」
二人の心に、まるで潮が満ちるように不安がおし寄せ、女に対する恐怖が胸の奥深くへと、どす黒い染みをにじませていった。
・・・・・翌日。
久遠と翡翠は、再び奥の座敷へと追いやられた。
昨日の出来事を目にしていた二人が、大人しく引っ込んでいられるわけもなく、久遠と翡翠はうなずき合うと、大座敷の近くへと忍び寄り、身を隠した。
久遠の父に呼ばれたのだろう。
各部落の長と思われる者たちが、大座敷に集まっている。
濃紺の衣の女を傍に置き、久遠の父は厳かに口を開いた。
「無駄な話はすまい・・・・。上から遣わされてきた、神官・・・・織殿によれば、この長雨は川に潜む”神妖”と呼ばれる、妖の類による仕業らしいのだ。」
皆一様に息をのんだ。
にわかには信じがたいという顔で互いに顔を見合わせている。
だが、そんな夢物語のごとき話など、続いた一言によって、落雷のような衝撃をともなって吹き飛ばされてしまった。
「・・・・・・人柱を立てる。これ以外に、我らが救われる手段はない。」
「そんなっ・・・・」
一人の比較的若い男が思わず声を上げ、慌てて口をつぐんだ。
もしここで、悪目立ちしてしまえば、自分、もしくは身内の者の誰かが、その人柱に選ばれる口実を作ってしまうかもしれないと思いいたったのだ。
恐怖が、皆の口を縫い付けたかのようにピタリと閉じさせ、大座敷は不気味な沈黙に包まれた。
「そんなに怯えるな。ここで何かわめきたてたとしても、人柱に選ばれたりすることはない。・・・・人柱は選ばれた者でなければならないらしいのだ。」
「・・・・・・それについては、私がご説明いたしましょう。」
濃紺の女が、不自然なほどに真っ赤な唇をうごめかせ、撫でるような声で皆に語り掛けた。
「人柱を選ぶには、選定の儀を必要とするのです。川に潜む神妖に、望む者の絵姿を描かせる。・・・・そこに描かれた者のみが、人柱と成しえるのです。」
久遠と翡翠は背筋が冷たくなるのを感じた。
人柱・・・・・生きたまま人を土中へ埋め、妖へ供物として捧げるというのだ。
「人柱を供えれば、神妖は満ち足りて少なくとも十年の間は大人しくしているでしょう。」
濃紺の衣の女は、袂から一枚の筒状の紙を取り出し、皆に見えるよう大きく広げた。
一体どのようにして、こんなに長い筒を折り曲げもせずに懐へ忍ばせていたのだろうか・・・。
二人の頭をよぎる小さな疑問は、女の口が紡ぐ言葉にあっけなくさらわれた。
「ここに描かれた者が、此度選ばれた人柱の・・・・翡翠です。」
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