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第六部 ざまぁ編

望みを託す

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 さて、何故ここにムサカがいるかといえば、特に御大層な理由があるわけでもなく、行商人らしく商売をしに来ただけである。
 ただ、今回ムサカは単独ではなく、同業者と共にエントールに来ていた。

 本国を巡って仕入れをしている際、ジゼルの世話になったという商隊の人間と知り合い意気投合。そこで彼らがエントールへ商船で向かう予定があり、船にまだ空きがあるから一緒に行かないかと誘われて同乗させてもらったのだ。
 この国の主要港であるヒューレンに着いたのはまだ肌寒い春先で、そこから大きめの街を経由して補給と商売をしつつ王都入りしたのは、つい三日前のこと。

 ムサカは王都まで来るのは初めてだったが、数回訪れたことのある商隊の面子は以前と街中の雰囲気が違うことにいち早く気づき、茶葉やスパイスを卸している商会で情報収集したところ、女神と崇めるジゼルが王家の罠にはめられ断罪されてしまったと知った。

 ……その時の彼らの反応は、言うまでもなく大激怒である。
 特にムサカは尋常ではなく怒り狂い、今にも王宮に殴り込みに行きかねないほどだったが、さすがにそれはまずいと周囲が止めて事なきを得た。

 異国人である自分たちが何を訴えたところで信じてもらえないだろうし、下手に騒げば命を刈り取られてお終いだ。
 しかし、このまま黙っていることもできず、何かできることはないかと考えあぐねいていた時――彼らは漆黒の魔人ことテッドと再会した。

 彼は彼の理由があって、女神崇拝系ガンドール人とコンタクトが取れないか探していたところに現れたのが、ガンドール人の中でも最も縁が深いムサカだった。
 これはまさに運命の再会で、その時のテッドの表情ときたら……地獄に仏ではなく、地獄の主ですら真っ青になりひれ伏すだろう凶悪な笑顔だったという。
 それを目の当たりにしたムサカたちには、本当にご愁傷様ですとしか言いようがないが……ともかく、数奇な巡り合わせで出会った二組は協力することになった。

 その流れでムサカたちは公爵邸へと通され、見たこともない豪奢な建物と手厚い歓迎に身も心も縮こまり消えてしまいそうだったが、くわしい事と次第を聞かされるうちにどうでもよくなった。
 ジゼルをはめた人間の中に同胞がいたという事実に、憤るやら恥じ入るやらで感情がしっちゃかめっちゃかだったからだ。

 落ち着くのにしばしかかったが、偽の証言をしたガンドール人がマサグというエセ宝石商だとアタリをつけ、たまたま持っていた手配書をケネスたちに見せたところ人相がピタリと一致した。
 とはいえ敵の目星がついたところで、それを捕えることは難しいと思われた。

 件の悪徳商人たちはすでに解放され行方知れずとなっており、とっくにこの国から姿を消しているはず――普通なら誰でもそう考え、ハイマン家に集う者たちも一度はその結論に至った。
 だが、わずかな望みにかけて調べてみたところ、意外なことにまだ王都にとどまっているばかりか、毎日酒場を飲み歩いていると情報を得て、すぐさま奴らを捕えるためにムサカに動いてもらった――彼らが抱えている商品をすべて公爵家が買い取り、信頼のおける商会や貴族に適正価格で卸すことを条件に。

 それは明らかに専門外のことを頼む見返りもあるが、可及的速やかに罪人たちを本国に送り返して正当な裁きを受けさせるためだ。
 ハイマン公爵家として彼らに私的制裁を下すことも考えたが、それでは利己的な理由でジゼルを断罪した王家と同じになってしまう。

 幸いにしてムサカたちは船を利用してここまで来た。馬車よりずっと足が速く、周りが海では逃げ場がないも同然で、護送にはうってつけの乗り物である。頼まない手はない。
 ムサカたちも同胞の尻拭いは自分たちでやると快く引き受け……予想以上にあっさり捕縛できて現在に至る。

「さて、オレたちの役目ハこれデ終わりだナ。我々の手デ女神の敵を討てナイのは口惜しイが、あいつラはオレたちが責任ヲ持っテ裁きの場に出すことを誓オう」
「ありがとうございます。ああでも、迷惑ついでにもう一つだけ頼まれてくれませんか?」

 テッドがやけに神妙な口調で切り出し、傍に控えていた使用人が持っていた鍵付きの鞄の中から、丈夫な革の筒に収められたいかにも大事そうな書簡と、宝飾品が入っていそうなビロードの小箱を取り出し、ムサカに差し出した。

「こちらの書簡は、お嬢様の婚約者となるはずだった我が国の第二王子セドリック殿下より、ガンドール帝国第六皇子ゼベル殿下へ向けたものです。くわしい内容は機密につき申し上げられませんが、お嬢様の名誉を回復するためには、どうしてもゼベル殿下のお力添えが必要なのです。一商人の方に難しいことをお願いしているのは重々承知ですが、どうかよろしくお願いします」
「オ、オレがか……? いやイヤ、無理だロウ。そもそもオレのようナ市民でハ門前払いダ。女神ノためとハいえ、オレでは力にはなれないゾ」

 ブンブンともげそうな勢いで首を横に振るムサカに、テッドは有無を言わさぬ笑顔でずいっと一歩踏み込む。

「大丈夫ですよ。こちらの小箱に入ったカフスボタンは、ゼベル殿下よりお嬢様へ直接下賜された両国の友好の証。これを持つものに礼を尽くすよう、特に行商人には周知するとおっしゃられたそうですが、ムサカさんはお聞き及びではありませんか?」
「そういえバ、そんなことも聞いタが、それは女神が持っているカラこその話デハないカ?」

「殿下はその庇護をお嬢様に限定してはいませんし、書簡の筒にはエントール王家の紋章も入っています。まず無碍にされることはないでしょう」
「……全然信用でキないンだガ……」

 さらにもう一歩、もう一歩と間合いを詰めてくるテッドから逃げるように後ずさるムサカだが、いつの間にか感情があるようでない白々しい表情ではなく、真剣で切実な熱を持った顔つきになっているのに気づいた。

「本来なら国家として正式な使者を立ててお送りするべきですが、今回の一件で王宮側の身内が信用できない今、セドリック殿下が頼れるのはムサカさんたち行商人だけです。自由に動けない殿下に代わり、なんとしてでもゼベル殿下の元へこの書簡を届けていただきたい」

 ムサカは彼の正体も本心も知る由もないが、魔人だの魔王だのとささやかれるこの従者にも人の心があり、何を賭しても貫きたい想いを持っているのだと思うと、なんだか胸に熱いものがこみ上げてくるようだった。
 いいようにほだされている感じは否めないが、主すら手玉に取って転がして遊ぶようなテッドがそこまで真剣に頼むとなれば、この書簡はジゼルを救うための重要な一石となるのだろう。

「……分かっタ。女神のタメであレバ、必ずこれをゼベル殿下の元へ届ケよウ」
「よろしくお願いします」

 テッドは二つの届け物を鞄に仕舞って鍵共々ムサカに渡し、深く頭を下げた。
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