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第六部 ざまぁ編

ヒロインは嗤う

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 翌朝の日の出前。
 ジゼルを乗せた馬車がラングドンへ向かって出発した。質素というよりもいっそ粗末と言った方が適当な、仮にも公爵令嬢が乗っているとは思えないほどのボロ馬車が裏門から出ていくのを、アーメンガートは篝火の残り火がくすぶる物見の塔から睥睨していた。

 本来なら王太子の宮を遠く離れたこの場所まで、彼女が気安く出歩くことはできないが「どうしてもジゼル嬢のお見送りをしたいの」と涙ながらに傍仕えの侍女や近衛騎士に懇願し、ミリアルドに内緒で連れ出してもらったのだ。

 本当は“正義を貫きながらも良心の呵責に苛まれる心優しい少女”アピールのため、面と向かってお別れの言葉を述べてやりたかったが、さすがにそれは止められて、こうして文字通りの高みの見物での見送りとなった。

(ふふふふ! ああ……やっと邪魔者がいなくなったわ……!)

 あの女を追い落とすための断罪劇のシナリオを書き、偽の証人や証拠を用意させ、公爵家の元侍女らを探し出すのは骨が折れたが……今遠ざかっていく馬車を眺めているこの瞬間にすべて報われた感じだ。
 まあ、彼女は指示しただけで実際に動いたのは忠実な下僕たちだが。

 傍にぐるっと人が控えているので悪女のように高笑いしたいのを堪えつつも、ほの暗い愉悦に満ちた笑みが浮かぶのを止められない。
 それを涙をぬぐうふりをしてハンカチで隠し、ここまでの長い道のりを振り返る。

 ジゼルとの因縁は幼き日のお茶会の時より始まった。
 キャンキャンうるさく噛みついてきた宰相の娘を、見せしめに処分できなかったことに端を発し、上級貴族の令嬢をことごとく味方につけ、慈善活動や事業で民衆の心を掴み、評判を貶めようとしてもそれを逆手に取って名声を上げる。
 これまでどうにかして彼女を蹴落とそうとしたことは、ことごとく裏目に出てきたが、今回は強力な同士を得たことで一気に逆転することができた。

 軍部の大将軍ドミニオン・エーゼル。
 若き日は最前線で死線をくぐってきた経歴の持ち主だが、彼は臣籍降下した先代国王の末の弟である。現王フレデリックから見れば叔父に当たるこの老人は、その身分を盾に七十を前にしても将軍職に居座り続け、死ぬまでに一度でもいいから再び戦場に舞い降りる日々を待ち続けた。

 しかし、いつまで経っても戦争の機運は訪れない。
 フォーレンとの国境問題も和平路線で解決し、もはやこれまでかと諦めかけていたその時、ルクウォーツ侯爵から協力を持ち掛けられたのだ。

 同時期、なんとしてもジゼルを失脚させたいと願う養女から相談を受けていた彼は、両者を引き合わせて両者の願いを叶えつつ、自分の利益にもなることを思いついた。
 それはおおよそテッドが予想したことと同じ内容で、自白剤の過剰投与で王家を操り人形にしてジゼルを排除しつつ、戦争の機運を高めるよう彼らを誘導する。そしていよいよ開戦となればこれまで倉庫で眠っていた新型武器を一気に売りつけ、自分も大儲け。

 アーメンガートは戦争そのものに興味はないが、彼女が心から欲する彼――一軍人として身を立てる不遇の第一王子カーライルを、あちらの世界から引きずり出すことができる絶好のチャンスだと考えて賛成した。
 仮にも王族の彼が前線に出てくるとは思わないが、身分や階級が高い軍人を捕虜にして「お前と交換することでこいつらを解放する」とか理由をつけ、彼を名指しして呼び出すことは可能だろう。

 そしてカーライルをエントール側に寝返らせたのちフォーレン王家を討ち、彼を旧母国の王として祀り上げる。その時に彼の伴侶として隣にいるのは、もちろんアーメンガートである。
 ミリアルドとの関係は依然画策した通り、ハニートラップで他の女との不貞事実を作って婚約破棄に持ち込むつもりだ。

 ……そんな壮大な計画はまだまだ実行に移す段階ではなく、今のところはジゼルが盤上から消えただけだが、目障りなデブスがいなくなっただけで実にすがすがしい気分だ。

「……アーメンガート様、そろそろお戻りになられませんと……」
「夜風でお体が冷えてしまいますわ。お風邪を召されては大変です」

 静かに悦に浸っていると、侍女たちが恐る恐る声をかけてきた。
 いいところに水を差されて少しムッとするが、こんな場所に来ているのがミリアルドにばれると面倒だ。いい子ちゃんアピールでほだされてくれると思うが、外出を制限されると厄介だ。
 これからが本番だというのに、自由が奪われると計画に支障が出る。

(次のステージに進むには、陛下にご退陣いただかないと。そのための布石は打ってあるとはいえ、思うように動けないと困るわね)

 戦争には大義名分が必要だ。
 王宮内に幾人かフォーレンの間諜が紛れ込んでいるので――どこの国でも近隣国に間諜を派遣しているのは常識で、お互い様ということで黙認し泳がせているのが通例だ――そのうちの誰か一人にフレデリックを暗殺したという濡れ衣を着せる。
 本来は殺す必要はないが、すでに彼はアーメンガートの中で利用価値はなく、隣国への敵対意識を高め開戦への道を切り開くための礎になってもらうつもりだ。

 大事なイベントでヘマをしないためにも入念な準備が必要だし、そのことを息子であるミリアルドに知られるわけにもいかない。
 彼がアドリブが得意ではないのは前回のことでよく分かったので、父の死を前に白々しい演技をされては計画が台無しだ。

「心配してくれてありがとう。ジゼル嬢のお見送りもできたことだし、部屋に戻りましょうか」

 そう言ってアーメンガートが品よく微笑んで踵を返した時、ヒュウッと強い風が吹き抜けた。

「きゃっ……あっ」

 突風に巻き上げられ、手にしていたハンカチが宙を舞って薄暗い闇に消えた。

(うわっ、最悪……!)

 普段使い用なので一枚二枚なくなったところで大騒ぎすることはないが、自分の名前が刺繍してあるのが問題だ。
王太子の宮周辺以外で見つかれば無断外出がばれる恐れもあるし、窃盗事件だと誤認されたらもっと質が悪い。
 王宮内のあらゆる人間が疑われて尋問にかけられ、親切で拾っただけの人間が犯罪者になってしまう可能性もある。

 赤の他人が罪人になろうと構わないが、それがストーカーだの暗殺者だのという話に発展すれば、四六時中護衛に囲まれて部屋に軟禁される。昔より断然不自由な暮らしを余儀なくされるだろう。
 それなら初めから無断外出を告白する方がいくらかマシだが……できれば何事もなく収めたいので、素早く知恵を巡らせる。

「ああ、どうしましょう……ここにわたくしが来たと分かれば、皆さんがお咎めを受けることになっちゃうわ。まだ遠くには飛んでいないはずだし、探しに行かないと……」
「お、お待ちください、アーメンガート様!」
「我々が探しておきますので、先にお部屋にお戻りくださいませ!」

 ほんの少し自己犠牲精神をちらつかせるだけで、面白いように周りが動いてくれる。
 頑張っていい子ちゃんの上っ面を被ってきた甲斐がある反応だが、ここで安易にうなずいてはありがたみが薄まるので、もう一押し食い下がってみる。

「でも、わたくしの不注意だったんだし……」
「そのようなことはございません。とっさに反応できなかった、我々の不手際でございます」
「アーメンガート様にはなんの非もないことですから、どうかお戻りください。本当にお風邪を召されてしまいますよ」
「そう……分かったわ。無理だけはしないでね」

 気まずげに目を伏せながら、数人この場に残して足早に立ち去る。
 速やかに行動したことで彼女の無断外出は知れることはなかった……だが、どれだけ探し回っても結局ハンカチは見つかることはなかったし、その事実を誰からも指摘されることもなかった。

 王宮内に少なからずいるジゼル派の連中に拾われ、何かしらの強請を受けるのではとも心配したが、何日経ってもそのような気配もない。
 事なきを得たとはいえなんだか不気味な結末に、アーメンガートは女狐でありながら狐につままれたような気分でその後しばらく過ごしたという。
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