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第五部 風雲急編

仮面舞踏会のお知らせ

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「……仮面舞踏会?」

 シトシトと雨の降りしきる雨期の真っただ中。
 さして親しくもない人物から届いた招待状に、ジゼルは怪訝な声を上げた。

 送り主はアディス侯爵夫人。
 侯爵家という身分に加え、豊かな領地を戴き資産も十分ではあったが、残念ながらミリアルドと釣り合う年頃の令嬢がいなかったので、あの婚約者選びのお茶会には参加しなかった家のご夫人だ。
 一応顔も名前も知っている仲ではあるが、特に親しくしてるわけではない。
 社交場で会えば挨拶と二、三言世間話をする程度の間柄だ。母も同様で、上級貴族の夫人同士なんらかの繋がりはあるようだが、お互いにお茶会などに誘い合うほど親密な関係ではないらしい。

 それに、ルクウォーツ侯爵家の先代夫人がアディス家のご令嬢だったこともあり、アーメンガートの養家と近しい親戚関係にあるのも厄介だ。
 アーメンガートが意図的に流しているジゼルの悪評を鵜呑みにしている様子もなく、また表立って彼女を支持するわけでもなければジゼルにすり寄るわけでもなく、いわゆる中立的な立場ではある。

 しかし、繰り返しになるが我が家とも個人的にも親しい間柄ではない。
 そんな人物から突然手紙が来たというだけでも驚きなのに、仮面舞踏会なるなんだかいかがわしい雰囲気のする催し物に誘われるたら、困惑するしかない。

「仮面舞踏会ってアレやんな。顔も素性も隠して羽目を外して飲んで踊って、最後はワンナイトを楽しむっていうヤツやろ?」
「……お嬢様、どこからそんな情報を仕入れてくるんですか? というか、時々ものすごくあけすけな物言いされますけど、誰の真似をなさってるんです? なんでか私のせいにされてるんで迷惑なんですが」

 胡乱な目を向けてくるテッドに、情報源は乙女ゲームやライトノベルですだの、前世はアラフォーのオバチャンだの、荒唐無稽としか言いようのない真相を暴露するわけにはいかない。
 そこには触れず、さらっとしらばっくれることにした。

「え、ちゃうん?」
「……まあ、おおむね合ってます」
「へー、そんなんお話の中のだけのモンやと思っとったわ。せやけど、そのどれもウチとは無縁やない?」
「そうですねぇ。お嬢様、ダンス下手ですしお酒飲めませんし……」

 その後も何かを続けようとしたが、ふっと小馬鹿にしたように笑って止めた。
 おデブなブサネコでは一晩の相手などいないということか。

 そんなヒロインじみたイベントに興味はないし、アラ還並みの人生経験があっても初恋すらまだだし、そもそも仮にそんな事態が発生したら――相手が公爵家の力で社会的だけでなく物理的にも抹殺されるかもしれない。
 最近うっかり「お父ちゃんから加齢臭が……」と本音が漏れてしまったせいで、娘に嫌われたくない父からベタベタされることはなくなったが、昔と変わらず溺愛されている自覚はあり、あの父ならやりかねないという確信がある。
 いやまあ、そんなことは万に一つも億に一つもないのだが。

「とはいえ、侯爵家のご夫人が実名を出して低俗な会を主催するとは思えませんし、やるとしたらどこかのホテルを貸し切ってするのが普通です。自邸で開かれるのであれば、未婚者に出会いの場を提供するタイプのものかもしれませんね」
「つまり、婚活パーティーってことか」

 表向きジゼルは婚約者がいないことになっている。
 なんとなくレーリアの画策で第二王子と結婚させられそうな気配がするが、公表されていない以上フリー扱いされる。
 そうなるとアディス夫人だけでなくおおよその人間からは、そろそろ適齢期に差し掛かるのに浮いた噂の一つもない、さぞ可哀想な非モテ非リアに見えていることだろう。
 モテたいだとか結婚したいだとかいう欲求が欠如しているジゼルには、文字通り余計なお世話だ。

「ええ。仮面舞踏会は基本無礼講。普段は立場や身分で話すことすら叶わない相手と知り合い、恋に落ちる――なんて恋愛小説さながらのドラマがあるとかないとかないとか」
「その言い方やと、超低確率やん」
「現実なんてそんなものです」
「シビアか」

 などとくだらない掛け合い漫才をしつつ、どんな目的であっても欠席する心積もりをした。

「ちゅーか、ウチの見た目は仮面被ったくらいでごまかされへんし、むしろしゃべったら一発でバレるやん。仮面の意味ないやろ」
「そういうのを分かっていても知らないふりをするのが、仮面舞踏会のマナーですが……お嬢様ほど全身で個性を主張しているご令嬢は他にいらっしゃいませんし、明らかに不向きな催し物ですよね」
「言うてること間違うてないけど、絶対褒めてへんやろ」
「褒めてますよ、この上なく」

 そこはかとなく白々しい笑顔にむかっ腹を立てつつも、口では勝てないのを分かっているのでさっさと不毛な議論から降り、場違いな会へのお誘いに欠席する意思を固めたが……一応断っても大丈夫なのか相談してみることにした。

「アディス侯爵夫人からのお誘いねぇ……」

 お祖母ちゃんになっても相変わらずのおっとり美人の母アメリアは、ジゼルの質問に読み止しの本から視線を上げ、少し困り顔で言う。

「あの夫人は、身分にとらわれずどなたにも気さくに接する気持ちのいい方ではあるんだけど、ちょっと強引というかお節介が過ぎるというか……悪意なく善意の押し売りをなさるタイプだから、お母様も少し苦手なのよねぇ」

 親戚か職場に一人はいそうな、キャラの濃い世話焼きおばさんタイプだろうか。
 どこぞの誰かがいい歳をして独身だと知れば、釣書きを片手に突撃訪問してお見合いに引きずり出そうとする、あのありがた迷惑な感じの。

 もしそんな人なら、婚活目的の仮面舞踏会を開こうと考えてもおかしくはない。
 むしろ自然、本能の欲求に従って行動しているに過ぎない。
 だから厄介だ。

 たとえ素顔も身分も隠そうともジゼルの身許は即バレるだろうし、間違っても誰かといい仲になるとは思えないが、それですんなり諦める可能性は低そうだ。仮面舞踏会が終わった後も躍起になって相手を探されたら、面倒臭いことこの上ない。
 ジゼルも押しが強い自覚があるだけにドキリとするが、善意の押し売りはあまりしていない……はずだ。ちょいちょいお節介のくちばしは挟むし、飴ちゃんも押し付けるけど、人の迷惑になってはいない、と思う。

「ジゼルちゃんが乗り気でないなら、お断りしていいわ。アディス家から何か言われたら、お母様が対応しますから心配しないで」

 と、後光の差す菩薩の微笑みで後押しされたので、心置きなく欠席の旨を相手方にお返ししたのだが――数日後、とんでもないブーメランとなって返ってきた。

「お願いします、ジゼル様! どうか、どうか奥様の催される仮面舞踏会にご参加いただけますよう、この通り、平に、平にお願いいたします!」
「え、な、ちょ、怖っ……!?」

 応接室で向かい合って座る客人の中年女性二人組が、ローテーブルに手を突き額を擦りつけ、必死に懇願してくるのを前に、ジゼルはただただ戦慄した。

 なんでこんな事態になったのか。
 それはちょうど小一時間前、公爵家の若夫婦と一緒に三つ子と遊んでいた時のこと。
 アディス家の遣いの者だと名乗る女性たちが、先触れもなくジゼルに目通りを願ってきたのがすべての始まりだった。

 アポなし訪問に応える義理はないが、今日は殊更雨脚が強く、昼過ぎだというのに薄暗く冬のような冷え込みだった。
 こんなすこぶる悪天候の日にわざわざ訪ねてきた人を突っ返すのは無慈悲だし、たいした縁もないのに招待状をいただいておきながら不義理を返した後ろめたさもある。
 それに、少しでも良識のある者なら、出かけることをためらうような足元の悪い日に、火急の用以外で人を遣いに出そうとも思わないはずだから、どうしても今日でなければならない用があるのかもしれない。

 特に今日中にしなければならない仕事もないのもあって、ジゼルはもっと遊びたいと渋る三つ子を寝かしつけて対応することにしたのだが……その結果がコレである。

 鬼気迫る勢いで平身低頭を繰り返すお遣い女性たちを前に、まったく事態の呑み込めていないジゼルは茫然とするしかないが、このままでは埒が明かないと頭を振って切り替える。

「あー……何がなんやらよう分からんけど、そこまでおっしゃるんやったらなんか深い事情がおありやと思いますんで、まずはそこんところ聞かせてもらえます?」

 出来れば参加したくないが、ジゼルが参加しなければならない事情があるなら一考の余地はある。
 相当な世話焼きおばさんらしいので、どうにかしてジゼルに良縁を与えてやりたいという一方的な思いしかなさそうだが……個人の事情というものは他人には推し量れないこともあるし、仮面舞踏会そのものに興味がないわけではない。
 ただそれが婚活目的だから遠慮したいだけで。

 お遣いたちはお互い顔を見合わせたのち、おずおずといった感じで口を開いた。

「その……実は近頃、フォーレン王国で“恋のキューピッド”なるものを自称するご令嬢が噂になっておりまして……」
「ええ。なんでもそのご令嬢がお世話をした者同士は、年齢も性別も身分もあらゆる壁を越えて必ず結ばれるとか」
「先日お越しになった王太子様と辺境伯令嬢の仲を取り持ったという話も流れてきて、彼女に縁を取り持ってもらうとする貴族たちがあとを絶たないそうです」

 あの割れ鍋に綴じ蓋カップルは、運命のいたずらだけでなく誰かの助けによって成立したのだろうか。
 なぜだろう、ジゼルにはそれがあり得ないことのように思える。
 あの二人は自分を貫く強さを持っているし、一生を左右することに他者の意見や助力を求めるタイプではなさそうだ。しかし、火のないところに煙は立たぬともいうし、なんらかの関与があって、それが針小棒大に語られているのかもしれない。
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