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第五部 風雲急編

絵画は心を映す鏡

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 パックが公爵邸に居候を始めて一か月。
 目的のグリード地区だけでなく、王都をフラフラとさまよってはあちこちスケッチしている彼は、日中ほとんど屋敷にいないし、帰って来てもだいたい客間に籠ってキャンバスに向き合っているので、一緒に暮らしているといってもさほど接点はない。

 ジゼルも普段の社交に加えて、乗合馬車の王都進出計画でなにかと忙しくしているので、進捗を気にしている余裕もなく時間が流れていった。
 世話役……もとい監視役のテッドから報告を聞く限りでは、製作そのものは順調だし、グリード地区の人たちともすっかり馴染んでいる様子だという。
 日がな一日籠られていた前回とは違い、出かけている間に掃除や洗濯を済ませられるので使用人たちからのクレームもなく、このまま作品が出来上がるのを待つばかりだと思っていた矢先――

「……ところでジゼル様。パック先生がそちらにご滞在しているとお聞きしたのですが、まことですか?」

 本格的にスポンサー契約を結ぶため、必要書類を片手に各商会の元を訪れていたある日。
 一通りサインを終えた家具店のオーナーが、なにやらソワソワしながら切り出した。

 本人は堂々と顔を晒し屋敷と街中を往復して絵を描いており、逃げ隠れているわけではなさそうだし、特に口止めもされていないから話しても問題はないだろう。
 しかし、何故彼を認識できたかが不思議だった。

 毎日のように画材の入ったリュックサックを背負って出歩き、そこいらで絵を描いていれば、誰でも画家だと推測できるとはいえ、それをパックと特定するのは至難の業だ。
 パックは画壇を騒がせた天才画家ながら、その知名度とは裏腹に顔はほとんど知られていない。
 高名なパトロンの下にいれば社交場に連れ出され、顔を売ることもあるだろうが、彼にそういった存在はいないようで、根っからの風来坊として初期からフラフラ放浪していたらしい。

 それに、デビュー当時はまだ十代の少年で、公爵家の遠縁ならその頃からあんな髭面だったとは思えないし、こんがり日焼けした肌に下町の労働者みたいな恰好をしていたとも思えない。
 仮に当時の彼を知っていたとしても、同一人物と認識するのは難しいだろう。

 同じようなことを考えたのか、傍らにいるテッドと顔を見合わせ「なんでやろ?」「さあ?」と目で会話しつつも、ここでごまかしても仕方のないことだし、うなずきを返す。

「ええ。パックさんは公爵家の遠縁でして……再開発前のグリード地区の様子を絵に残したいそうで、今はうちを拠点に制作活動をされてます」
「なんと! ハイマン家にゆかりの方だったのですか! いやはや、世間は狭いと申しますか、巡り合わせはどのような形でくるか分からんものですなぁ……」
「ほんでオーナーさん。パックさんに絵のご依頼でもされるんですか?」
「ああ、いやいや、そのようなことでは――ただ、その……息子がご迷惑をおかけしていないか心配で……」

 オーナー曰く、たった一人の跡取りが子供の頃パックの絵を見て感銘を受け、家業を継ぐのを放棄して画家を目指し、ひたすら絵を描き続けているらしい。
 誰に師事することも基礎を学ぶこともなく、思うまま好き勝手に描くものだから、どれだけ作品を仕上げても下手の横好きレベルでしかなく、様々なコンクールに出展しても初っ端から落選続き。
 なのに本人は「時代がオレについてきてないだけ」「オレには誰にもない天才的な才能がある」と思い込んでいる節があるので、口を酸っぱくして説教するだけ逆効果。

 ここまで異様な粘り強さと根拠のない自信を維持し続けるのは、ある意味尊敬に値するが、このままではドラ息子路線まっしぐらだ。
 いい加減画材を取り上げて、強制的に後継ぎ教育をせねばと危機感を抱いた時……運がいいのか悪いのか、息子はパックと出会ってしまった。スケッチのタッチから即座に彼だと見抜いたらしい。

 その観察眼がありながら何故画壇で認められないかはさておき、その日以来そこかしこでパックを待ち伏せしては、アシスタントのような顔で付きまとい行為を繰り返しているようだ。
 オーナーは本当にあのパックなのか確証が持てず、人を使って調べさせたところ、彼がハイマン公爵家の屋敷に出入りしているのを知ったので、この機を逃さずジゼルに問うてみた――ということらしい。

「はぁ……なんやご苦労されてるんですねぇ……」
「ははは、お恥ずかしい話です……」

 胸ポケットから出したハンカチで、身内の恥をさらした汗をぬぐいながらオーナーは乾いた笑いを上げる。
 しかし、ジゼルが知らないところでそんな一幕があったのか。
 一番パックのことを知っていそうなテッドに訊いてみることにした。

「パックさん、そんなこと言うてはった?」

 ちょいちょいと手招きして耳打ちをし合う。

「いえ、何も聞いておりません。まあ、あの人の場合、作業を邪魔されない限り多少外野がうるさくしても放置しているか、集中するあまり周りが見えてなくて、該当人物を認識していない可能性もあります。あるいは……あえて傍に置いている、とも考えられます。見ての通り馬鹿で阿呆でチャランポランなロクデナシですけど、頼られると断れないというか、面倒見のいい人なんで」
「へぇ……」

 ものすごい貶されているのは本気で嫌われているのか、はたまた照れ隠しなのか……ともかく、面倒見がいいあたりはやっぱり“お兄ちゃん”ということらしい。
 意外な一面にちょっとだけ彼の認識を見直しつつ、ふと一つの可能性を思いついてオーナーに言葉を振る。

「せや、息子さんの絵を拝見させてもろうてもええですか? ウチも絵を描くのが趣味なんで、どんなモン描きはるんか興味がありますわ」
「え、ええ、構いませんが……」

 また吹き出てきた冷や汗を拭きながら、メイドに指示してキャンバスをいくつか持ってこさせる。
 そこに描かれていたのは――

(うん。これはただのヘッタクソな絵やな)

 正直が美徳ではない場面なので言葉では「あー、えっと……独創的な絵やと思います」と述べたが、素直な感想はその一言に尽きる。
 調和を無視したド派手な色彩と超現実主義っぽい非写実的な画法は、かろうじて前衛アートと言えなくもないが、基礎ができていないからただのカオスだ。
 描きたいものを文字通り描き殴っているだけで、見ていてなんとも残念な気持ちになる。

 これなら拙いなりに見たものを忠実に描こうとする子供の絵の方が、よっぽど人の心を打つというもの。
 芸術の多様性を知るジゼルでも「これはないわー」となるのに、多少時代遅れな画壇でも認められるわけもない。

 だが、これらの絵は何かに似ている。
 ああそうだ。不良がシャッターや壁に気まぐれに残していくスプレアートだ。
 自己意識と社会意識のズレを認められなくて、分かってほしいのに理解されなくて、挙句声を上げれば排除されてしまう。その鬱憤を晴らすように描き殴られる意味のない絵だ。

「はは、お目汚し失礼しました。まったく、こんな一文にもならないような絵を描かせるために育てたわけじゃないのに……ああ、すみません。ジゼル様の前で愚痴など……」
「構しませんよ。子育てに正解はないとはいえ、ないからこそ親はいつでも迷うし、なにかするたびに後悔するモンですわ。せやけど、意外に身近なところに答えがあって、それを見逃してることも多いんとちゃいますやろか。この絵を見てウチはそう思いました」

「……え?」
「この絵は、ぱっと見グチャグチャで自己アピールが激しくて、わけ分からんモンに見えますけど、それって息子さんの心境そのままなんかもしれませんよ」

 芸術とは作者の伝えたい想いを形にするものだから、すなわち作者の心のうちを映し出す鏡ともいえる。

「親の言いなりの人生なんてまっぴらごめん。口うるさい親を好きな絵でギャフンと言わせたい。せやから、どんなに画壇からコテンパンにされても諦めがつかへん。けど……その悪循環が自分でもアカンことやって気づいてる。止めなアカンって思ってる。でも、それを認めたら負けたみたいで嫌やから、意固地になってキャンバスに向かって――そんな荒れた心境が絵になって表れてる。子供もおらん若造が偉そうなこと言うて申し訳ないですけど、同じ絵描きとしてそんな感じを受けますわ」

「あいつが、そんなことを……」
「あくまでこの絵を見たウチの感想ですから、真相は息子さんに聞いてみな分かりません。せやけど、オーナーさんには思い当たる節があるご様子やし、一度腹割って話してみたらどうです? 血が繋がった親子でも、それぞれ違う意思を持った別の生き物ですから、言葉を尽くさんかったら分かり合われへんとウチは思います」

 きれいごとを並べている自覚はあるし、よその家庭の事情に自分が口を挟むべきではないのも承知しているが、この絵がもしSOSを発信するものだったとしたら、今ここで向き合わないと取り返しがつかなくなりかもしれない。

「ジゼル様のおっしゃることは分かりますが、私はもう散々言葉を尽くして奴を説得してきましたし、これまで何を話しても奴は聞く耳を持ちませんでした……」
「んー。それって結局、オーナーさんの言い分をお説教って形で、一方的に息子さんに押し付けてるってことですよね? なんでこんなことをしてるか、息子さんの言い分を聞いてみたことはあります?」

 押し黙ったところをみると、ないのだろう。
 親子の溝を深めるありがちなパターンである。

「オーナーさん。子育てと商売は同じやないですか?」
「はい? それはどういう……」
「商売ではまず、お客さんの欲しいモンを知らんことには始まりません。たとえ世界一の逸品でも、いらんモンを売りつけられたらお客さんは二度と来ません。多分、息子さんはそのお客さんの気持ちに近いんやないでしょうか」

 確かに一番悪いのは彼を困らせているドラ息子で、つい叱り飛ばしたくなる気持ちは分かるし、更生させなければという使命感に燃える親心も分かる。
 しかし、なんでも一方通行では解決しない。
 まあ、第三者だから冷静に判断できるだけで、当事者は頭に血が上っていていかに相手を屈服させるかしか考えられないから、責められはしないのだが。

「間違ってもないのに折れるんはつらいですけど、ホンマに取り返しのつかんことになる前に、洗いざらい胸の内を聞いてあげてもええんとちゃいます? 聞くだけはタダです、タダ。そこから妥協点が見出せればよし、そうでなくとも言いたいことを全部吐き出すだけで、親子関係はようなると思いますよ」
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