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幕間 変革の予兆編

ヒロインの誤算

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 あっという間に秋が駆け抜け、冬が巡ってきた。
 去年猛威を振るった大雪が嘘のように穏やかな冬で、各地で安堵の声が上がっているという。

 さて、ジゼルがベイルードで役員たちと共に王都進出に向けての事業計画をまとめるため、毎日のように会議をしている忙しさをよそに、アーメンガートは悠々自適な巣ごもり生活を満喫していた。
 前世の育ちの良さから厳しい妃教育も見事こなした彼女は、その優秀さを買われて今ではバーバラの仕事の一部を任せてもらえるようになり、幼い頃よりも負担は大きくなったかに見えるが……有能な補佐がついているので一切苦にならない。

「手伝ってくださってありがとうございます、ニック様」

 彼女のために婚約者が特注で作らせた、最高級の木材に繊細な彫刻が施された執務机に向かうアーメンガートは、同じく特注品の椅子に一緒に腰かける……もとい、そこに腰かけた男の膝に乗って後ろから抱きかかえられる状態で、彼を振り返る。

 そこには成人が近づいてなお無垢で可憐な笑顔の中に、より一層男心をくすぐる蠱惑的な雰囲気が宿る微笑みが浮かんでいた。これで陥落しない男はいないだろうと思わせる、経国の美少女の微笑みである。
 案の定、彼も顔を赤くしてうつむいてしまう。

「い、いえ……アーメンガート様のお役に立つことが、私の役目ですから……」
明後日の方向に視線を走らせながら、ボソボソと気弱そうな声色を発するのは、王太子付きの従僕であるニック・メイガン。
 ミリアルドの身の回りの世話やスケジュール管理など、秘書的な役割を担う彼は、性格は内向的で運動神経はあまりよろしくないが、頭脳明晰かつ几帳面で、こういうデスクワークはすこぶる得意だ。

 なので彼に書類の精査を頼み、自分は決裁のサインだけをする、という形で楽をさせてもらっている。
 ……もちろん、ただでとは言わない。

「ニック様……」
「あ……」

 豊満な胸を押し付けるようにニックに抱き付き、唇を奪う。
 体のラインや頬にそっと指を滑らせ、たっぷりと一線を越えない報酬を支払う。

 受け身な男を翻弄するのは普段とは違う愉悦があるが、溺れることなく頭の芯はすっきりと冴えている。
 アーメンガートは片手間にニックを弄びつつ、その冴えたところで最近の成果を振り返っていた。

 春先に蒔いた“種”も着実に成長し、アーメンガートの目論見通り辺境のあちこちで小競り合いが起き、中にはエントール側の人里まで侵入して略奪行為を犯す集団も出てきて、着実に異民族を平定するための大義名分が揃いつつある。
 さすがにまだ隣国にまで被害が出ていないようだが、異民族に近代的な武器が出回っているのは向こうも察知して警戒を強める一方で、ヘンドリック家の関与を疑っているらしい。
 仕組まれた偶然をこうも早く見破られるのは想定外だったが、それがきっかけでいよいよ両家の間に深い溝が生まれ、近々長年執り行われてきた辺境伯同士の政略結婚を取りやめるとの話も出ており、ゲスト悪役令嬢の関与が消える線が濃厚になってきたのは僥倖だった。

 “赤獅子姫”に辺境に居座られるのも厄介だが、ジゼルと手を組まれるよりはマシだし、ビクトリカとの婚約が白紙に戻れば、防衛を強化するため近隣の有力貴族と婚姻を結ぶだろうから、そのうちに脅威ではなくなる。
 そのゴタゴタのせいでビクトリカは辺境に呼び戻されており、しばらく会えていないが、彼女にとって所詮は遊び相手の一人にすぎず、彼一人減ったところで多少の物足りなさは感じても、寂しいと思うほどに情はない。

(ふふふ……わたくしのためにせいぜい頑張ってくださいませ、ビクトリカ様)

 何もかもが順調で、うっそりと笑っていたアーメンガートだったが――事態は思わぬ展開を見せた。

「……え……モーリス辺境伯令嬢が、フロリアン殿下と婚約した?」

 王都では雪のちらつく日もなくなり、日に日に日差しが温かさを感じられるようになった晩冬……折しもハイマン家では、母子ともに健康な状態で三つ子の誕生を祝い歓喜に湧いていたその日、アーメンガートにとっては最悪に近い報告が飛び込んできた。

 フロリアン・アイザック・フォーレン。
 フォーレン王国の王太子であり『純愛カルテット1』のメインヒーローである。

 彼はこちらの王太子と違い、ストーリーが始まるまで婚約者がいないはずだし、あちらの世界観ではセシリア・モーリスは登場しない。完全なるモブだ。
 なのに何故いきなり王太子の婚約者になっているのか。まさに青天の霹靂である。

「ああ。君も知っての通り、辺境での忌まわしい事件により異民族が勢いづき、部族間同士の勢力争いだけではなく、国民にも被害が出るようになっただろう?」

 その知らせを運んできたミリアルドは、アーメンガートがルクウォーツ侯爵とビクトリカを唆して仕組んだ武器流出案件を知らないので、本気で彼らの用いる武器が心無い異民族により略奪されたと信じている。
 実際に彼らの使う武器を見れば、近代的であっても現行のものと比べて型落ち品であることは一目瞭然だが、危険な場所に王太子自らが現地に赴くことはないし、辺境伯家から上がってくる報告を鵜呑みにしてくれていて助かっている。

 だが、事が辺境の枠で収まらなくなってきた今、彼が真実を知らないことで自分の立場が危うくなる可能性も出てきた。
 エントールの関与を疑うセシリアが自国の王太子と結託し、直接抗議に乗り出して来たら国際問題に発展しかねない。国のトップが物申しにくれば、外務大臣や辺境伯では対応しきれず、国王やミリアルドが出てくることになる。
 もしもセシリアがこちらの企みに気づき、武器の流出が不運な偶然だと思い込んでいる彼らに疑惑をぶつけたら――骨の髄まで垂らし込んでいる自負はあるが、その小さなほころびからこれまで築いてきたものが崩壊する危険性がある。

 そうならないためにも、できるだけ早い段階で情報共有をしたいところだが……素直に暴露していいものか現時点では判断がつかない。
 ひとまずは無垢な婚約者として接して探ることにした。

「え、ええ。その影響がフォーレン側にも現れ、エントールの関与を疑ったモーリス辺境伯からの要請で、ビクトリカとセシリア嬢の婚約は白紙に戻された……とまでは、わたくしも伺っておりましたが、王太子殿下と婚約とは……」

 確かに国防のため助力を乞う相手として、王家は最強の切り札だ。だが、政略結婚の件が白紙に戻って数か月も経たないうちに婚約を結ぶなど、あまりにも早すぎる。
 いくら元よりビクトリカと不仲で、望んだ婚約話しではなかったとはいえ、あらかじめ根回ししていたのではと疑うような段取りのよさだ。

(まさか、あっちの悪役令嬢も転生者? いえ、それなら婚約破棄にしろ、両想いになりたいにしろ、こちらの動きに関係なく行動しているはずだし……)

 平静を取り繕いながらも、せわしなく思考を巡らせるアーメンガートに、ミリアルドはさらなる爆弾発言を落とした。

「その婚約だが、どうやら王家から打診されたものらしい」
「なんですって?」
「噂程度の話だが、以前からフロリアン殿はセシリア嬢に行為を寄せていたそうだ。辺境伯同士の婚姻は国益に関する政略結婚だったから、無理に話を通そうとはしていなかったようだが、このたびヘンドリック家との縁が切れることのなったのをいいことに、彼女を囲い込んだようだ」

 その話が本当であれば、より一層こちらに不利だ。
 フロリアンは完全にセシリアの味方。国力では圧倒的にこちらが上とはいえ、この事実が国際的に公表されれば、ただでさえ同盟国の少ないエントールはさらに孤立する。
 戦争となれば無駄な犠牲がでるし、アーメンガートが渇望してやまないが危険にさらされることにも繋がる。

(ここは多少リスクがあっても、このヤンデレ男をこっち側に引き込むのが得策ね)

 ミリアルドが真実を知ってどう対応するのか、はっきりとは断言できないが、愛情であれ保身であれ自分を守る手段を講じるだろう。婚約者の不祥事が明るみに出れば、自身の地位だって危ないのだ。
 彼よりももっと玉座に相応しい、正室の王子二人がいるのだ。無能と名高い二人だが、長年王宮に住んでいてもその存在すら気取らせないところは油断がならない。どこかで虎視眈々と義弟の失脚を狙っていても不思議ではない、と彼女は考えている。

 いざとなれば無理矢理にでもになって、こちらを守らせればいい――そう割り切って決意を固め、アーメンガートは重い口を開いた。

「あの、ミリアルド様。実はわたくし――」
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