上 下
39 / 217
第四部 思春期編

デートは前途多難

しおりを挟む
 ――何がどうしてこうなった。

 エントール王国が誇る大劇場“ギャレット・ホール”に併設されているティーサロンの個室にて。
観劇デートも終盤に差しかかり、あとはお茶をして帰るだけという段階になったのだが――全然手ごたえを感じないどころか、自分のペースが乱されてばかりで、トーマは内心頭を抱えていた。

 対面に座るのはジゼル・ハイマン。
 落ち着きのある若草色の立て襟のドレスをまとい、公爵令嬢の肩書にふさわしい所作で焼き菓子を口に運んでいるが、その表情は平静を保とうとしつつも、幸せそうに緩んでいる。

(……可愛い)

 脳裏をよぎる言葉にはたと我に返り、小さくかぶりを振る。

 いやいや、この不貞腐れた猫のような少女のどこが可愛いのか。
 義妹のアンの方が容姿だけなら何倍も可愛い。
 あちらに自覚はなくとも自分の地位を脅かす存在なので、心まで許すことはできないが、単純に容姿を愛でるならアンの方がいいに決まっている。

 自分にそう言い聞かせて心を落ち着けながら、これまでの出来事を振り返る。

 盤石とはいえない己の保身のために、見てくれは悪いが身分はピカイチのジゼルに近づいて早三か月。
 不自然ともいえるほどの偶然の出会いを繰り返し、陰で「女の趣味が悪い」「後ろ盾狙いバレバレ」と罵られても無視して、彼女に懐いている義妹のアンをダシに交流を持ち、そろそろ次の段階に進んでもいいかとデートに誘った。

 とはいえ、 初手でしくじるわけにはいかないと、デートコースを確定するには大いに苦悩した。
 公爵令嬢ともなれば並みの贅沢はし尽くしているはずだし、彼女は領地で会社を営み、その関係で市井と交流が深いので、普通の令嬢なら興味を持つ城下の散策も新鮮味がない。

 ハイマン家に観劇の趣味がないという情報を仕入れられたのは、ある意味天啓だった。
 コーカス家は代々演劇世界への支援が厚い家系で、特にパージェス・アクターズには毎年多額の出資をしている。プレ公演のチケットを手に入れるのも容易かった。

 それに食いついたのか、色のいい返事をもらえたまではよかったが……いかんせんオマケが多すぎた。

 公爵邸に迎えに行くと、騎士でも苦戦しそうな屈強な護衛やら、トーマに警戒をあらわにする主家に忠実な侍女やらに囲まれ、ニコニコ笑うジゼルがいた。

 ガードが固すぎる。
 ついでにこの圧の中で平然と笑っていられるジゼルは、かなりの大物だ。ふくよかな体つきと相まって、妙な貫禄がにじみ出ている。

 しかも彼女のすぐ脇には、ガーデンパーティーで割り込んで来た使用人こと、令嬢付きの従者テッドも控えている。
 ハイマン家の遠縁だというこの青年は、そこいらの貴公子が霞んで見えるほどの美丈夫だ。
 外見が優れているというのもあるが、一つ一つの所作に品を感じる上に、身のこなしに隙がない。一定の武術を修めているのだろう。

 使用人としてではなく貴族として教育を受けてきたのは明白で、何故令嬢の従者などやっているのか甚だ謎な人物であるが――彼を見ていると、どうにもむかっ腹が立って仕方がない。

 自分より見目がいいから嫉妬するのも確かだし、初対面時に小馬鹿にするように見られたことも関係しているだろうが……正直余るほど侍女を連れているのに、仮にも今日はデートだというのに、護衛ならともかく男の使用人を傍に置く意味が分からない。

 遠回しに非難したら「旦那様のご指示ですので」としれっとした顔で言われたので、反論することはできなかった。

 娘を溺愛する公爵ケネス・ハイマンが付き人を複数つけることくらいは想像していたが、ここまでするとは大人げないのを通り越して、こちらを潰しにかかっているのではと邪推してしまう。

 手を出す相手を間違えただろうか?
 いや、ケネスとてこのままでは娘が行き遅れになるのは薄々感じているだろうし、ジゼルがこちらに心を傾けてくれれば勝ちだ。溺愛する娘の意向を無視して、政略結婚を断行する人物ではない。

 ここで怖気づくわけにはいかないと己を叱咤し、エスコートするために彼女の手を取ったところ……予想外の感触に脳がしびれるような錯覚に陥った。

(なっ……プニプニでモチモチだと!?)

 レースの手袋に包まれていたのは、体型によく似たずんぐりした不格好な手ではあったが、柔らかいのにほのかな弾力がある、まるで猫の肉球のようにずっと触っていたくなるような、魔性の感触を持っていた。
 天性のものにお付きの侍女たちが日々手入れをし、十数年かけて培った、奇跡の産物である。

 大人の自制心によって、本能的ににぎにぎとしたくなる衝動を抑え込むことができたが、あの時一瞬思考が停止したことは一生の不覚だった。

 少なからず交際経験はあるし、淑女のエスコートは学園時代から慣れたものだと思っていたトーマだったが、このような体験は初めてである。

 しかし、すぐに持ち直して馬車にエスコートし、劇場まで向かった。
 さすがにテッドを含めた付き人たちも、他家の馬車に乗り込むほど無礼ではなく、後続の使用人用の馬車に乗り込んだので、運よく車内では二人きりになれた。

 ここで距離を縮めておこうと、道中他愛ない世間話をしつつ彼女の様子を窺ったが……こうしてじっくり見てみると、妙に愛嬌がある顔立ちだと気づいた。肥満気味な体型も彼女の朗らかさをより引き立てている。

 表面的な美醜に囚われていると見えない、独特の魅力と言うべきなのか。
 魅力といえば、先ほど触れた彼女の手もやみつきになりそうな魅力があるが――と、変態な方向に思考がずれていきそうになったので、慌てて小さくかぶりを振った。

「……どないしはったんです? お加減悪いんですか?」

 急に黙り込んだトーマを心配してか、ジゼルがずいっと身を乗り出して声をかけてきた。
 身長差もあって自然と上目遣いになり……その表情に心臓が大きく飛び跳ねた。

(か、かわ……! いやいや、違う違う! おかしいだろう!?)

 打算的な令嬢が好む角度だし、義妹もこうしてよくおねだりしてくるので、すでに見慣れているはずなのだが、ジゼルがやるとまったく別方向の破壊力があった。

 ロゼッタをも撃沈させたブサ猫萌えである。
 無論、萌えなど知らないトーマは、謎の動悸に困惑するしかない。

 色気も美貌もない少女に、ましてや義妹と同じ歳の少女に大人の自分がときめくなど、天地がひっくり返ってもありえない話だ。
 ひとつ呼吸を置いて心を落ち着かせ、微苦笑を浮かべてみせる。

「ご、ご心配なく。少し仕事が立て込んでいて、寝不足なだけなので……」
「当主のお仕事は大変なんですねぇ。せやのにウチのためにお時間作ってもろうて、ありがとうございます。まだつかへんやろうし、少し仮眠します?」
「いえ、大丈夫です。これくらいは慣れておりますので」
「そうですか? ああ、せやったらコレや。眠気覚ましにミント味の飴ちゃん、どうぞ」

 レースの装飾に紛れた小さなポケットから飴玉を取り出し、ずいっと差し出してくる。
 女性側に気を遣われるなど紳士として恥ずべきことだと反省しつつ、受け取らないわけにもいかないのでそのままもらい、封を開けて白味がかった飴玉を口に入れると、清涼なミントの味が鼻を抜けて頭が少し冴える。

 そこでふと、おそらく初めてと思われるデートだというのに、まったく緊張している素振りがないことに気づいてしまった。

 珍妙な訛りと愛想いい笑みを装備したジゼルは、どこからどう見ても通常運転だ。
 服装や化粧も特段いつもと変わった様子もなく、トレードマークとなっている猫耳型のお団子もそのまま。
 つまり、異性としてまったく意識されていない。

 その結論に至った瞬間、かつてないほどの焦燥感を覚えた。
 デートの最中、一応は二人きりの密室の中では、頬を染めて固まってしまう令嬢もいれば、逆にここぞとばかりに色目を使ってくる令嬢もいたが、こんな風に同性の友達感覚で接されたことがない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生幼女の愛され公爵令嬢

meimei
恋愛
地球日本国2005年生まれの女子高生だったはずの咲良(サクラ)は目が覚めたら3歳幼女だった。どうやら昨日転んで頭をぶつけて一気に 前世を思い出したらしい…。 愛されチートと加護、神獣 逆ハーレムと願望をすべて詰め込んだ作品に… (*ノω・*)テヘ なにぶん初めての素人作品なのでゆるーく読んで頂けたらありがたいです! 幼女からスタートなので逆ハーレムは先がながいです… 一応R15指定にしました(;・∀・) 注意: これは作者の妄想により書かれた すべてフィクションのお話です! 物や人、動物、植物、全てが妄想による産物なので宜しくお願いしますm(_ _)m また誤字脱字もゆるく流して頂けるとありがたいですm(_ _)m エール&いいね♡ありがとうございます!! とても嬉しく励みになります!! 投票ありがとうございました!!(*^^*)

【完結済】“呪われた公爵令嬢”と呼ばれた私が自分の生きる道を見つけました!

鳴宮野々花
恋愛
 バーネット公爵家の長女セレリアは、ジャレット王太子の婚約者だった。しかしセレリアの妹フランシスとジャレット王太子が、恋仲になってしまう。  王太子の強い希望により、セレリアとの婚約は白紙となり、フランシスが王太子の婚約者となる。  泣いて詫びる妹を、大丈夫だと宥めるセレリア。  だが結婚式を目前に、フランシスは何者かによって毒殺されてしまう。  美しく愛らしい、誰をも魅了するフランシス。対して平凡な容姿で、両親からの期待も薄かったセレリア。確たる証拠もない中、皆がセレリアを疑いはじめる。その後、セレリアにフランシスの殺害は不可能だったと証明されるが、フランシスを失った苦しみから半狂乱になったジャレット王太子は、婚約破棄された腹いせに妹を殺したのだと思い込みセレリアを責め立てる。 「お前のせいでフランシスは死んだのだ!お前は呪われた公爵令嬢だ!」  王太子のこの言葉を皮切りに、皆がセレリアを呪われた公爵令嬢と噂するようになり──────  ※この作品は小説家になろうにも投稿しています。

森蘭丸の弟、異世界に渡る<本能寺から異世界へ。文化も人体も違うところで色々巻き込まれ、恋も知る?>

天知 カナイ
BL
【三章完結しました】本能寺の夜、信長と兄乱法師(森蘭丸はこちらの名を使っています)の痴態を見てしまう、森力丸長氏。美しい兄の乱れた姿に驚きながらも、情愛がのる閨事とはどういうものか、考えながら眠りにつく。だがその後本能寺の変が起こり、力丸(リキ)も戦うのだがその途中で異世界に飛ばされる。 【三章開始時点でこちらの内容を変更しました】 飛ばされた先でアヤラセという若者に出会い愛し合うようになるが、リキが性交(セックス)することによってどんどん色々な事が変化することになり戸惑いを感じてしまう。 アヤラセに執着する兄ライセン、アヤラセの親であるランムイとヤルルア、そして異様な過程で生まれた新生物ユウビなど、様々な人々と関わり時に運命に翻弄されながら、飛ばされた世界で必死に生きていく。 セックスありきで話が展開する部分がありますので、今見てみると結構エロ展開があります(三章1話現在)。独自設定があります。この世界の人たちは雌雄同体です。全員陰茎ありですし主人公は男なのでBLにしています。また、女の人同志的に読める展開もありますし、進行上残酷、凌辱シーンもあります。 最終的にはハッピーエンドになる予定です!

望んで離婚いたします

杉本凪咲
恋愛
夫は私ではない女性を愛しているようでした。 それを知った私は、夫に離婚を提案することにしました。 後悔はありません、きっと。

身体の弱い美少女なんて見た事ありませんが【8/31日完結】

須木 水夏
ファンタジー
 他国では『私はとてもか弱くて可哀想な存在』アピールをする女の方がモテるらしい。そういう小説も最近よく見かけるけど、この国では強い女の方が良いとされてる。  それもそのはず。神話の頃より女性の魔力が男性よりも飛び抜けて高く、取り敢えず女達は強くたくましい。  クリステルとネイフィア、そしてノエリアは切磋琢磨しつつ、カフェでおしゃべりしつつ、仲良く学園生活を送っていた。  そんな中、我が国の学園にも現れました、他国からの転入生『病弱美少女』マリアンヌ。少女達は物珍しさに彼女を観察に行くが。 さあ、彼女は小説の中のようにモテるのでしょうか?それとも? ※『身体の弱い美少女なんて現実にはそうそういないものだと私達は思ってるんだけど、そこのところどうなんですか?』の題名が長すぎたので、短くしました。 ☆女の子がクソ強い世界です。 ☆近年起こった流行病にかかった事で発想が浮かびました。(健康って素晴らしい) ☆ご都合主義です。 ☆現代なのか中世なのかさっぱりですが、架空のお話です。混ぜこぜです。 ☆ただ女の子が女子会してるのが描きたかっただけです。 ☆一応恋愛?ですが、出てくる男の子達の好みのタイプは、自分より強い女の人です。(強い男性が好きな人はすみません) ★前世あり。 ★前半はほとんどコメディですが、後半シリアスパートもあります。 ★【注意】後半に前世(?)のエグめの戦闘シーンがあります。

第二王女の婚約破棄

稲瀬 薊
恋愛
第二王女マリーツェには三つ年上のヴィーダという婚約者がいる。 ヴィーダはグランツェン公爵家の次期当主として申し分ない人で、彼の妹アリシアとは良き友人関係を築いていた。 そんなある日、アリシアから内密に公爵家に来てほしいと言われてマリーツェは訪ねることになる。

不器用な君は、今日も甘い。

四十九院紙縞
BL
恥ずかしがり屋で遠回りしがちな小説家・詩村三久と、鈍感気味な優等生系サラリーマン・黒木椿季の、緩やかに進む関係と日常の話。

離縁された妻ですが、旦那様は本当の力を知らなかったようですね?~魔道具師として自立を目指します!~

椿蛍
ファンタジー
【1章】 転生し、目覚めたら、旦那様から離縁されていた。   ――そんなことってある? 私が転生したのは、落ちこぼれ魔道具師のサーラ。 彼女は結婚式当日、何者かの罠によって、氷の中に閉じ込められてしまった。 時を止めて眠ること十年。 彼女の魂は消滅し、肉体だけが残っていた。 「どうやって生活していくつもりかな?」 「ご心配なく。手に職を持ち、自立します」 「落ちこぼれの君が手に職? 無理だよ、無理! 現実を見つめたほうがいいよ?」 ――後悔するのは、旦那様たちですよ? 【2章】 「もう一度、君を妃に迎えたい」 今まで私が魔道具師として働くのに反対で、散々嫌がらせをしてからの再プロポーズ。 再プロポーズ前にやるのは、信頼関係の再構築、まずは浮気の謝罪からでは……?  ――まさか、うまくいくなんて、思ってませんよね? 【3章】 『サーラちゃん、婚約おめでとう!』 私がリアムの婚約者!? リアムの妃の座を狙う四大公爵家の令嬢が現れ、突然の略奪宣言! ライバル認定された私。 妃候補ふたたび――十年前と同じような状況になったけれど、犯人はもう一度現れるの? リアムを貶めるための公爵の罠が、ヴィフレア王国の危機を招いて―― 【その他】 ※12月25日から3章スタート。初日2話、1日1話更新です。 ※イラストは作成者様より、お借りして使用しております。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。