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第二部

マリアンナからの注文

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「マリアンナがオフィーリアに依頼だと?」

 近頃また少し大人びたディルクが、呆気にとられたオフィーリアが広げる注文書を訝しげに覗き込む。

 そこには一体どうやって調べたのか、今売り出している“魔女のハーブティー”が一通り並べられ、配達は一週間後の午後三時と細かい指定されていた。
 時節の挨拶も近況も何も書かれていない極めて簡潔な注文書ではあるが、半年以上出し続けた手紙に返事が来た……ということだろうか。

「あの子に他意があるのかないのか、私には判断がつかないけど、依頼が来たからには受けるべきだと思うわ」
「そうですね……分かりました」
「でも、無理にあなたが直接届ける必要はないわ。あの子の想いが分からない以上、顔を合わせることで何が起きるか心配だわ」

 マリアンナが妹に対しどういう感情を抱いているのか、未だ一連のことを根に持っているかどうか、母をもってしても分からないらしい。
 ベアトリクスはオフィーリアと違って頻繁に手紙でやり取りしているようだが、そこには遠方の里での近況報告が綴られているくらいで、彼女自身の心境や子細に関しては記述がないとのこと。

「そうだな。俺がいれば、オフィーリアの身を危険に晒すことはないが、余計な言葉で傷つかないとは言い切れない。俺が一人で届けた方が安全だろう」

 ディルクが心配する気持ちは分かる。でも、これはマリアンナからの招待状ではないかと、オフィーリアは考えている。

 これまでのことを謝罪するつもりなのか、まだくすぶる憎しみをぶつけたいだけなのか……どちらにしても、向こうが会いたいという意思を込めて送ってきたものなら、それに応えるべきだ。
 この機会をふいにすれば次はないかもしれない。

「……私も行くわ。姉妹だから分かり合えるなんて楽観的なことは考えてないけど、マリアンナが私をどう思ってるのか、ちゃんと知るいい機会だもの」
「オフィーリア……」
「それに、三時ってちょうどおやつの時間でしょう。マリアンナはお菓子作りが得意だったし、ディルクがおいしいお菓子で懐柔されないか心配で」

「お、俺はそんなに安い男じゃないぞ!」
「ふふ、冗談よ」

 ディルクは小さく笑うオフィーリアを見下ろし、憮然とした顔をしつつも彼女の意志が固まっていることを悟ったのか、やれやれとため息をついた。

「分かった。君がそう決めたなら、反対する理由もないしな」
「そうね。ああ、そうそう。もしあの子に会うなら、渡してほしいものがあるのよ。この間挑戦したマフラーがいい出来で――」

 はたと手を打ってどこかに消えるベアトリクスを見送り、ロイドは「早く帰れ」と言わんばかりに玄関を指さす。

「マフラーっつーか、ありゃボロ雑巾以下だ。あんなもんがマリアンナの手に渡ったら、母子の間に一生埋まらない溝が生まれる」

 主に聞こえないようボソボソとささやかれる言葉に戦慄しつつ、二人は言われるままそそくさと退散した。

 最近キッチンに立っていないと聞いてほっとしていたところだというのに、今度は編み物に挑戦していたらしい。しかもボロ雑巾以下とは……母の愛情はありがたいのだが、それがいつか自分のところにも来るかもしれないと思うと、ゾクリと悪寒が走った。

「懲りないな、ベアトリクスは……」

 ぽつりとつぶやくディルクに、母を慮って肯定も否定もせず、ただ曖昧に笑うしかないオフィーリアだった。

 余談だが、ベアトリクスのボロ雑巾……もといマフラーは、ロイドの猫用ベッドに敷かれることになった。
 捨てずに活用するあたりロイドの高い主夫力を感じるが、娘へのプレゼントを使い魔の下敷きにされているベアトリクスの心中はいかばかりか。

 その事実を知ったオフィーリアは、こっそり母に同情した。

*****

 一週間後。
 注文の品と手土産のお菓子を持ち、ディルクに乗ってマリアンナが身を寄せている魔女の里トーレへと向かった。

 ウォードと同じくマナテリアル薬が有名な里だが、どちらかといえば医薬品より美容薬の生産が盛んな場所で、富豪や貴族の令嬢たちとの取引で潤っているらしい。
 マリアンナがどんな仕事を任されているのかは分からないが、地味なオフィーリアと違って美意識の高い彼女ならうまくやっているだろう。

 などとぼんやり考えていると、ディルクがおもむろに声をかけてきた。

「もう少しで目的地に着くが……その前にちょっと休むか?」
「どうして? もうすぐなのよね?」
「その……君は、昨日はよく寝れなかったみたいだから、長時間乗っていて疲れていないかと思って……」

 確かに、昨日は疲れているにも関わらずなかなか寝つけなくて、ベッドの中で何度も寝返りを打った。まともに寝入ったのは深夜を回っていただろう。
 部屋は別々とはいえ、壁を挟んだだけの隣同士だ。ドラゴンなら気配や物音にも敏感だろうし、それに気づいていておかしくない。

「心配してくれてありがとう。でも、平気よ。緊張してて感覚が鈍ってるだけかもしれないけど、時間に遅れるといけないし、このまま行きましょう」
「そうか。なら、さっさと用事を済ませるか」

 ディルクは少し不安そうに目をすがめながらも、オフィーリアの言う通り目的地へと一直線に飛んでいく。
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