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第一部

母の後悔、姉の夢

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 娘と孫の命を救うためだったとはいえ、禁術を使ったと公言するのは憚られたのか、デボラは誰にも口外することなく亡くなった。

 だが、勘のいい魔女がいたのか、ベアトリクスの作るマナテリアル薬の質が急に上がったと、噂が流れるようになった。
 禁術と結び付けられたくないベアトリクスは、意図的にオフィーリアに落ちこぼれ魔女の烙印を押す一方で、マリアンナを未来の大魔女だとことさらに褒めたたえ、彼女たちの矛先を自分から反らし続けた。

 そうして安全を確保しても、一向に不安は消えない。
 本来非のないオフィーリアを蔑むことでしか、精神の安定が保てない。

 自分の行動が間違っていると分かっていても、キラキラした顔で夢を追うマリアンナを見ているとやめられなかった。

 でも、こうやって引っ込みがつかなくなるくらいなら、マリアンナを狂わせてしまうくらいなら、初めからこんなことすべきではなかったのだ。それに気づかなかった愚かな自分は悔やんでも悔やみきれない。

 だから、たとえ叱る資格がないとしても、同じ轍を踏まないように、愛娘がこれ以上道を踏み外さないように戒めるのが、母親たる務めだと思った。

 そう語るベアトリクスの言葉をきちんと理解したのかどうかは定かではないが、マリアンナは不服そうな顔をしながらも、それ以上駄々をこねることはなかった。

「……あの、マリアンナ様。どうしてそんなに大魔女になりたいのですか?」

 数拍の沈黙ののち、オフィーリアはおもむろに問いかける。

 嫌味ではなく、純粋な疑問だった。
 夢が潰えて自暴自棄になる気持ちは分かるが、そこまでして大魔女という肩書に固執する理由が分からないのだ。

「大魔女になれば、巨万の富が手に入るわ。すべての人間がわたくしを崇拝し、足元に傅くのよ。目指さない理由がないわ」

 予想もしなかった即物的かつ身勝手な理由に、目をしばたかせて固まるオフィーリアの横で、ディルクは呆れたようにため息をついた。

「いっそ清々しいクズだな……いや、人間の本質とは得てしてこういうものか?」
「す、少し……いえ、かなり甘やかしたせいかしらね……どう再教育すべきかしら……」

 頭痛を堪えるようにこめかみを押さえるベアトリクス。
 ひょっとしていらぬ地雷を踏んでしまったのだろうか、とオフィーリアがオロオロしていると、騒ぎを聞きつけた魔女たちが集まってきて、ディルクを見て腰を抜かした。

「ひゃあ! ほ、ホントにドラゴンよ!」
「これってさっき見たあのぬいぐるみ、じゃないわよね? え、そうなの?」
「ていうか、何が起こったの? 全然意味分かんないし!」

 口々に勝手な感想や憶測を漏らす魔女たちに、どう説明しようかと言葉をまとめようとしたところで、急に吐き気と眩暈に襲われ、真っすぐ立っていられなくなる。

「オフィーリアッ」

 傍らのディルクがすぐさま人化し、倒れそうになる主をしっかり支えた。

 はっきりとしない視界に映るのは、精悍な顔立ちの青年だった。
 束ねられた長い銀髪と三白眼の金の瞳が、褐色の肌によく映える。細身ながらも逞しい体つきをしており、まるで異国の戦士だ。

 ディルクがこんなエキゾチックな美青年だとは思わずつい見惚れてしまうが、興奮してドキドキする胸とは裏腹に、潮が引くように意識が遠のいていく。

「ディル、ク……」
「心配ない。急激に魔力が戻って体の調子を崩しただけだ。休めば治る。俺がベッドまで運んでやるから、そのまま寝ていろ」

 その言葉に従うように、オフィーリアはディルクに体を預けたまま、泥のような眠りに沈んでいった。

*****

 パチンッ……と、ひときわ大きく薪が爆ぜる音に、真っ暗だった意識が白んでくる。

「んん……」

 重いまぶたをこじ開け、かすんだ視界の中まばたきを繰り返すと、暖炉の火が照らす薄闇の中に見慣れない……いや、正確には懐かしい天井が見えた。

 この人の顔のように見えるシミは、実家の自分の部屋の天井だ。
 幼い頃はこれがオバケに見え、怖くて目を合わさないよう布団にくるまっていたが、今はじっと見ていても、少し不気味なだけのただのシミにしか見えない。

 過去の自分に苦笑しつつ、だるい体をゆっくりと起こすと、ぽとりと濡れタオルが落ちてきた。額がほんのり湿っているし、そこに乗っていたのだろう。

 タオルを手に取ると、すっかり温くなっている。熱があったのか。
 額に手を当ててみるが、冷やされていたためかすでに下がっているのか、特に発熱は感じない。

 熱で汗をかいたのか、眠っている間に着替えさせられたようで、サイズの合ってない寝間着を着ている。これはマリアンナのものだろうか。リボンとフリルがたっぷりで可愛いが、自分には似合わない気がする。

 一体どれくらい眠っていたのか。薬草園は大丈夫なのか。
 気がかりなことはいろいろ浮かぶが、この暗さだからきっと夜か明け方だろう。
 体の調子もまだ戻っていないようだし、もうひと眠りすべきかと考えた時、静かに戸が開く音がした。

 水の張った桶を持った、小柄な子供が部屋に入ってくる。母の使い魔だろうか。
 でも、炎の光に浮かび上がる姿に、そこはかとない既視感を覚える。

 上半身を起こしたオフィーリアと目が合った子供は、びっくりしたように肩を震わせ、桶をベッド脇のローチェストの上に置くと、オフィーリアの傍に駆け寄った。

「オフィーリア! よかった、起きたのか? 熱は……下がってるみたいだな。ちょっと脈は速いが、まあ許容範囲だろう。他に頭痛や吐き気なんか感じないか?」
「え、えっと、ディルクさん、ですよね?」

 甲斐甲斐しく熱や脈を計る少年に、おずおずと問う。
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