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第11話

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 用意してもらったケーキなんかを食べながらお喋りをするうちに、メイドさんたちの騒ぎも一段落したらしい。扉の外の喧噪はすっかり遠のき、代わりに蝉の鳴き声がそこかしこから聞こえてきた。
「ゆかりちゃんのお爺さんは、今のKPグループ
……昔の倉坂光機っていう会社の創業者なんだよね。それで、現社長はゆかりちゃんのお父さんでしょ?」
「う、うん、まあ……」
 市佳の問いかけにゆかりは曖昧に頷く。その言葉通りならば、ゆかりは正真正銘の「社長令嬢」な訳だ。
 KPグループの名前はテレビCMや広告なんかでもよく見かけるから、世間知らずな私でも聞き馴染みがあった。しかしあまりにも規模感が違い過ぎて、目の前のゆかりにうまく結びつけることができない。
「つまるところお姉ちゃんの立場は、超有名企業の社長令嬢を言葉巧みにたぶらかした不届き者といったところだね」
「う、うん、まあ……」
「いやそこは否定してよ」
 私はすかさず突っ込みを入れる。ゆかりはさっきからすっかり萎縮してしまって、曖昧な返事を何度も繰り返していた。自分の家族にまつわる話には、どうにも乗り気ではないようだった。「お金持ちのお嬢様」として扱われることに、どこか抵抗感を抱いているのかもしれない。
「まあ、家は家、ゆかりはゆかり。実家の事情がどうあれ、私は今まで通りに接するしかないよ」
「おー」
 ぱちぱちぱち。
 私の宣言に、真冬ちゃんは感嘆の声を漏らしながら拍手で応じてくれる。どうもどうも。
「……そうしてくれると、嬉しい」
 頬をほんのりと赤く染めながら、ゆかりは小さく頷いた。
「よし、それじゃあ、丸く収まったところで一つ提案が」「さんせーい」
 市佳が話を進める前に、真冬ちゃんは早くも何かを察していち早く手を挙げる。念話でもできるのか、この二人。
「やっぱり入りたいよねー、真冬ちゃん」
「えへへー」
「おーい」
 このまま放っておくと、二人の超能力者が繰り広げる不思議空間に引きずり込まれそうだった。普通の人間にも分かるレベルで会話して欲しい。
「私とゆかりもいるんだから、勝手に話を進めないでよ」
「えー、お姉ちゃんは反対なの?」
「いや、だから何が」
「何がってそりゃ、プールに決まってるじゃん」
「プール?」
 あまりの展開の早さに全くついていけない。確かに今の季節の代名詞と言えばプールだろうが、それがなぜこのタイミングで話題に上るのか。
 この困惑を共有しようとゆかりに目線をやると、彼女は私とは別の意味で困惑している様子だった。その表情を見るに、市佳の言っていることが分からない訳ではないらしかった。ということはなんだ、話の流れを理解していないのは私だけなのか。
 首を傾げたままの私を見て、人形を抱えた真冬ちゃんがつかつかと歩み寄ってくる。そのまま私の腕をつかみ取り、部屋の窓際まで私を連行した。
「ほら、あそこー」
「……ああ」
 真冬ちゃんが指さす方向に目をやり、私は状況を瞬時に理解する。
 どうして日本の住宅街のど真ん中に、とか、色々思うところはあるが、しかし、あるものはあるのだから、現実として受け止めるより他ない。
「もしかしなくても、私有のプール?」
 一度振り返り、念のためゆかりに尋ねる。
「う、うん……一応」
 家の敷地内にあるのだから聞くまでもなかったのだが、それでもやはり聞かずにはいられなかった。
「あ、でも、月に何度か、一般の人でも利用できるようにしているの。今日は開放日じゃないから、誰もいないみたいだけど……」
「じゃあ、家の人に頼めば使わせてくれるかな?」
「た、たぶんね」
 きらきらと期待を込めた市佳の瞳を見たら、ゆかりも嫌とは言えないだろう。ちょっと押しに弱いところがあるからな、ゆかりは。
 しかし念のため、本人の気持ちも確かめておいた方がいいだろう。
「そういうことなら、私は別に構わないけど。ゆかりはどうするの?」
「私は、その……きょ、恭佳ちゃんが入るなら、一緒に入る」
「そう」
 なんだその、二重の意味でべたべたな返答は。と思うも、ゆかりにそう言われて嬉しくない訳はない。にやけそうになる頬を無理やり引き締める。
「じー」「……じとー」
 市佳と真冬ちゃんの視線が痛いが、今は見て見ぬ振りをした。
「それじゃあ、色々準備が必要になるだろうし、一旦家の人に相談した方が良さそうだね」
「うん、牧村さんに言ってくるね……少し、面倒なことになりそうだけど」
 牧村さんというと、この家、もとい屋敷を訪れたとき、最初に出迎えてくれた綺麗なメイドさんのことだ。確かに彼女はゆかりが友達を連れてきたというだけで感極まっていたし、ましてや一緒にプールで遊ぶなんて聞いたらまたまた家中大騒ぎになりそうだ。あまり大事にならないといいが。


 結論から言うと大した騒ぎにはならず、すんなりと許可が下りた。下りたのだが。
「お嬢さまが、ご学友と水遊びを……」
 私の説明を聞いた牧村さんは、急な目眩に襲われたようにへたへたとその場に座り込んでしまった。
「わ、だ、大丈夫ですかっ」
「も、もうわたくし、なんと申し上げたら良いのか……どうか今後とも末永く、お嬢様のことをよろしくお願い致します。私のしつけが行き届いていれば良いのですが……」
「あの、牧村さん?」
 なんだか、娘を嫁に出す母親みたいな言い草だ。何かを勘違いしているんじゃないだろうか。
「いいの恭佳ちゃん、いつもの軽口みたいなものだから」
 ゆかりはそう素気なく突っぱねる。こんな風につんとしたゆかりは普段見ることが少ないので、なかなか新鮮だった。まあ、事を大きくしないという目的からすると正しい態度なのかもしれない。
「じゃあ、私はみんなの水着を用意してくるから、恭佳ちゃんは部屋に戻ってて」
「りょーかい」
 許可だけ取り付けたらすぐに退散、というところだろう。
 ゆかりを見送ったあと、私も続いて早めに牧村さんと別れることにする。あまり長居すると、色々と面倒なことを聞かれたりしそうだし。
 ところが、牧村さんに軽く会釈をして立ち去ろうとしたとき、「恭佳さま」と呼び止められてしまう。やはり来たか。しかもさま付けって。人生で一度でもそう呼ばれたことが、果たしてあったかどうか。
「……何か?」
 一応、形式的には笑顔と言えるぎりぎりの表情を浮かべる。
 対する牧村さんの表情は、ひどく真剣なものだった。
「お嬢さまをよろしくと言ったのは、半分冗談で半分本当です」
 半分は冗談なのかい、と心の中だけで突っ込みを入れる。
「昔からお嬢さまは人付き合いが苦手でして……恭佳さまほど心をお許しになっているご友人は、お嬢さまにとっても初めてかと。ですからどうか、いつまでもお嬢さまの良きご親友でいて下さい。私からもお願いします」
 牧村さんは深々と頭を下げた。多少大袈裟なところはあるが、ゆかりのことを大切に思う気持ちは十分に伝わってきた。最初は正直、あまり関わりたくないタイプの人だと感じていたが、ちょっと評価を見直すべきかもしれない。
「いえ……私の方こそ感謝しています。友人の中でも、特別仲良くさせてもらっているので」
 私の返答に牧村さんは形のいい唇を左右に引き上げ、意味ありげな微笑を浮かべる。なんとなく嫌な予感がした。
「ええ、そのようですね。なんでも、お嬢さまと毎晩同じベッドでお休みになられているとか」
「なっ……ど、どこでそれを?」
「やはりそうだったのですね。どことなくただならない気配を感じましたが、いや、そこまでのご関係だったとは」
 しまった、と思った時にはもう遅い。鎌を掛けられたのだ。
「ま、まあ……夜寝るとき、隣に人がいると安心できますからね」
「うふふ、確かにそうですね」
 ああ、この反応は完全にからかわれている。幼子を見守る母親のような温かい視線が、かえって辛く感じた。
 やっぱり私はこの人が苦手だな、と確信した。

   ***

 シャワーの音を耳にして、つい先日のやり取りを思い出す。
 ゆかりと一緒にお風呂に入ったことはなかった。なんとなく生活リズムが違うからだと思っていたのだが、確かに、ゆかりと同じ湯船につかるというのはどうにも気恥ずかしい。他の知り合いに対しては、特に何の感情も抱かないのだけれど。やはり、ゆかりの存在は私の中で特別な地位を占めているということだろう。
 それにしても。
「……スタイル、良すぎ」
 意図せず、口から溜め息が漏れてしまう。
 そんな恨み言にも近い私の声は、水の爆ぜる音にかき消されて、ゆかりの耳には届くはずもないだろうが。
 腕、腰、足と全体的に身体のラインはほっそりとしているが、いわゆる「出るとこは出ている」豊かさも合わせ持っている。滑らかで白い肌がしっとりと水分を身にまとい、陽光を反射して眩しく輝く。あまりじっと見つめていると変な気を起こしそう――というかもう起こしているのだが、それでもついその扇情的な光景から目が離せない。
「ほらお姉ちゃん、見惚れてないでシャワー浴びないと」
「あ、ああ、うん」
 反論も口にできないほど一箇所に視線が集中していたので、私は否定せず素直に市佳の言葉に従った。
 なるべくゆかりから離れたシャワーの前に陣取り、温水で全身を洗い流す。しかし目を瞑っていても、先ほど目にした肌色の肢体がぼんやりと浮かんできて落ち着かない。……こういう感情をまさに劣情、と呼ぶのだろう。
「はい真冬ちゃん、髪洗うよー」「やったー」
 市佳と真冬ちゃんは、わざわざ一つのシャワーを共有して一緒に身体を洗い流している。なんて言うんだろう、この二人組がじゃれ合っていても単に微笑ましいだけで、全くいやらしさがないというか。それが当たり前なのかもしれないけれど、私とゆかりだとこうはいかないんだろうなあとも思う。
 あの夏祭り以来、私は日を追うごとにゆかりのことを意識するようになった。もちろん以前からゆかりを好ましくは思っていたが、それはあくまで友達としての「好き」だった。
 今の「好き」は、以前のものとは明白に性質が変わってきている。それは確かだ。少なくとも前は、水着姿の彼女を見てこんな風にもやもやとした気持ちを抱くことはなかった。
 じゃあ、今私は、ゆかりのことをどういう対象として見ているんだろう?
 最近、そんな疑問が繰り返し心の中に浮かんでは消えていく。
 誰かにゆかりは恋人なのか、と聞かれれば、逡巡しながらも私は首を縦に振るはずだ。
 ただ、恋人という言葉は、私の中で「どんぴしゃ」なものではなかった。最も正確に言うならば、人と人の関係性を表す言葉の中で、自分が知る限り私とゆかりの関係性に一番近いもの。
 つまるところ、言葉というのは概念の近似に過ぎない。だから言葉を口にするときはいつでも、切り捨ててしまった細切れの感情に胸が締め付けられる。
 それに気づかない振りをするのが、きっと賢い生き方なのだろうけど。
 私は「恋人」という言葉に何が足りないのか、きっと考えずにはいられないだろうなあと、自分の不器用さに苦笑いを浮かべてしまった。
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