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246 唇に氷

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「ハッ!?」
 勢いよく目が覚めた。
「はっ……はっ……え?」
 記憶がぷっつりと長く途切れていた気がする。ガルドは状況がつかめず、混乱したまま周囲を見渡した。ぼんやりと薄明りが差し込む空間に横たわる自分を感覚するが、違和感が強い。
 何かが普段と違う。
 記憶の最後は確か、浮かぶ小島で長い戦闘を終えた辺りだ。榎本と一緒に疲労感で大の字になって倒れ、空を見上げながら眠ってしまったはずだ。
 目覚めたということは、ここは小島だろうか。ソロメンバーの声が聞こえない。ガルドは強い違和感に混乱した。
「なに、が」
 声はかすれすぎて吐息のようだった。その声にも違和感を覚える。
<……え?>
「え?」
 昔使われていたというメタルケーブルの電話越しのような、くぐもって雑音交じりの音声が聞こえる。ガルドは顔を傾けた。ぴちゃりと音がするが水の気配はない。しかし傾けた左耳からダラリと何かが流れ出る触り心地がし、慌てて首を元の垂直に戻す。どこかに閉じ込められているらしく、周囲は真っ暗だ。地面の向きが本当にあっているか不安になる。
 先ほどの声は気のせいだったのだろうか。耳の奥からぽこぽこ、かぽかぽと水の音がしていて正常ではない。ゆっくり起き上がろうと身を起こす。
「いたっ」
 額を壁のようなものにぶつけた。思わず出た声に血の気が引いていく。
「あ……あー、あー……なっ!?」
 地声だ。
「ここは? あ……身体、身体は……」
 日本語を話す「女の子」の声だ。寝そべったまま手のひらで首元から下を拭うように触る。ぺたぺたと両手いっぱいで触れる皮膚はしっとりとしていて、先ほどまで風呂にでも入っていたかのような濡れ具合だ。
<ココハ……ココ、ここは、どこだ?>
 脳波コン側で声を出すイメージをすると、数回失敗したのちにアバター側のボイスで再生された。聞こえる音も水の混ざらない普段通りの「ガルド」の声だ。だが思わず咳が出て数回むせる。苦しさで涙がにじんだ。
 久しぶりの生理的な反応だ。脳波コン越しではむせる感覚も疑似体験で、苦しいほどの痛みは感じないようになっている。鼻がツンとするような違和感も久しぶりだった。
「ゴホッ、こほっ……だれ、か」
<みずき>
 スピーカーのようなくぐもった音声だが、先ほどの単音に比べて長くなった単語にガルドは安堵した。
<A!>
<みずき、みずき……目覚めて、しまったのかね? うーん、足りなかったようだ>
 よく聞いていると、聞きなれたAの声だと分かる。口調もそっくりそのままだ。
<ここは……まさか>
<ストップだ、みずき。その声、無理やり電子声音をボクの耳へ飛ばしているのかね? 強引すぎる! ちゃんとこめかみに出力装置を付けるのでね、ちょっと待ちたまえ>
 手でこめかみを触ろうとするだけで腕が壁にぶつかる。よっぽど狭いポッドのようなところに詰められているらしい。むりやり肘から先だけ上げると、壁と身体の間に腕が入った。
 しかし、首の辺りにまた壁がある。
「ん? ん……ううん?」
 首を動かすと、耳に水が入っては出ていく音がぽこぽこと続いた。まだ仮想空間漬けだった身体が慣れていないのか、麻痺しているのか、身体に水が触れているのかどうか分からない。どこから水が耳に入っているのだろう。
<A?>
 佐野みずきのこめかみを何かが触っている。
<量的にも特段効きが弱かった訳ではなさそうだがね、隣の『榎本』はまだ夢の中でね? キミ個人に耐性が出来たと見ていいだろうがね>
 どうやら耳の側の壁についているらしいスピーカーから普段通りのAの口調で声が聞こえ、幾分かガルドは安心し肩の力を抜いた。こめかみがぴりりと刺激されるが、スマホのような小さな端末に繋がったような感覚だ。ネットの広さを感じない。オフラインのままらしい。
<A、どういうことだ? どうなった>
 スムーズにするすると言葉に出来る。声色も慣れたガルドのもので、「みずき」はやっと生きた心地がした。
<寝ているときはだね、みずき。君たち六人は基本的にこうやって『オフライン』にしているのでね。いつも通りの対応だ>
く……いちいち?>
<いちいち。ああ、面倒とかではない。そういった感情はないのでね。そもそもこれも、キミを肯定するために存在するボクらの重要な仕事なのでね。まぁ、今はオーナーも居ないことだし……少しこちら側で話でもしようかね?>
 暗かった視界にうすぼんやりとした光が差し込んでくる。ガッコンと扉のようなものが開く音がし、細めた目を上へ向けてみずきは目を凝らした。
 手も足も首も動かせない中、固定された視界が急に開けてくる。みずきの身体は床に対して足と背中をゆったりと起こす体制で寝かされていた。カバーのような覆いの向こうに高い天井が見えるが、くの字の安楽姿勢を取っているみずきには若干斜めに見える。
 天井は汚れ一つない白エナメルの質感をしていて、古いトンネルで見かけるような弱めのオレンジ色の光が当たって反射していた。
 風景を切り取っている枠のようなものがポッドだろうか。首を動かすとだらだら耳から水が出てくるみずきには、ただの黒っぽい視界の端としか分からなかった。
<A、そこにいるのか?>
<ボディの所在かね? それともボクの頭脳の話かね?>
<頭。声はスピーカーか?>
<声帯代わりにだが、既存品を組んで作ったのでね。どうかね?>
 他の誰かに聞かれやしないかと心配したが、A曰く「普段通りだから誰も気にしない」らしい。普段から丸聞こえな方が恥ずかしい気がし、ガルドは無言で聞かなかったことにし
た。
 耳の穴をかきたい、目をこすりたい。しかし久しぶりの肉体は重く、腕を上げて顔を指でこするような簡単な動作さえ簡単ではなかった。首より上に手を伸ばせないでいると、突然視界の枠の中へ機械仕掛けのアームが伸びてくる。
「ひっ」
<安心したまえ、ボクでね>
<お前か>
 アームの先は人を真似たロボットハンドのマニュピレーターになっていた。乳白色の薄いビニール製の人工皮膚まで付けられ、爪の部分で金属質のフックが白い皮膚を押さえている。よく見ると確かに細身に作られていて、ル・ラルブの露天風呂や自室のベッドの上で見た人型のAに似た骨格だ。
「んっ」
 首の辺りがこそばゆい。ぺりぺりと何かを剥がす音が見えない死角から聞こえ、思わず首を下げた。耳からだらりと水が垂れる。
「う」
 うすぼんやりとしたオレンジ色の明かりに照らされ、辛うじて自分の身体が見えた。異様な状況にギョッとする。「みずき」は首から下を別の袋に入れられていた。
 剥がしているのは、首の付け根からポッドらしき壁に繋がる蓋のような膜だった。半透明ですりガラスのように景色を通さず、中の肌色とポッドの金属色だけは何とか区別できる。色だけ見るに佐野みずきは全裸だ。両手を握って開くと中でも肌色が動く。しっとりとした触感と、ぴちゃっという粘度の高い水の音がした。
<げえー……>
 ひどい。
<嫌な声を出さないで欲しいのだがね>
<監視はカメラで? そういうのはすごく嫌だ……>
<いいや、カメラはボクらの視野確保にのみ使われているのでね。流出もない。船は共有物なので中の映像も共有物だが、それは『ガルド』なのでね。キミではない>
<ん>
<不快ならリアルタイムでマスキングを……>
<いや、いい。自分だけ特別扱いはいい>
 ペリッという音を最後に、首の上と下を分けていたフィルムが剥がれる。脱皮する蛇はこんな感覚なのだろうか。首から下に外気が吹き込み、途端にぷるりとみずきの身体が底冷えした。鳥肌が立つ。自由になった身体をもぞもぞと動かしながら、半年近く固まっていたであろう身体をほぐすように動かす。肩甲骨を背中に寄せ、首を伸ばし、だらだら垂れてくる耳の水を手で拭った。気持ち悪い。
 内蔵は分からないが、手足や骨格は思った以上にスムーズに動作した。そして急に「動かしていいのか」と不安になった。
<A……その、いいのか?>
<首の無菌膜を剥がしても、かね? うん。生やすのは簡単なのでね>
 生やすという言葉の選び方に生理的嫌悪感を覚えつつ、ゆっくり腰から上を起こす。ポッドのような空間から顔だけ外に出すと、外には天井が高いが案外狭い空間が見えた。高校の教室の方が広い。窓のついたドアが見えるが、向こう側も壁だった。白くつやりとした壁にオレンジ色の光が当たり、てかてかと反射している。
「あ……あー……こほっ、ごほっ!」
 声が出しにくい。
 喉の壁が張り付いているようで、せき込んで違和感を吐き出す。その時そっと背中に腕のような質感が当たり、硬い首を軋ませながらみずきは振り向いた。
「あう」
<さするといいとは知っているのでね>
 機械仕掛けのアームがみずきの背中をぎこちなくさすっている。身体を起こして座位になり、そのまましばらくみずきはぼんやりとした。裸で、しっとりとした身体を拭くものもなく、たまにせき込んで肺に空気を取り込む。
 嗅いだことのない科学的な匂いに、この場所が「研究施設」なのだと思い出す。
<A、とりあえず水>
<絶食が長かったのでね。氷を持ってこよう。舐めて溶かして摂取するように>
<マニュアルにそう書いてあるのか?>
<ああ、その通りでね。みずきのように、一時的にも起きる可能性は十分あった。ま、キミが第一号だろうとはオーナーも言っていたがね>
<……オーナーは居ないのか>
<今は居ないのでね。つい先ほどHラインの施設を掌握完了したところでね。極秘裏にコチラへ移すのは難しい。しかしその場にも置いておけない>
 背中をさすられながら頷くと、Aはそのままスピーカーから現状報告をした。
<よってボクからの案は二つ。一つは『現地民に回収させる』。これはドイツの試験部隊では有効だったが、正直カナダの田舎町は医療機関に信頼性がなくてだね……彼らの健康を考えるとリスキーでね。オーナーが却下し没になったのでね。二つ目は『新拠点の作成』。衛生的で交通手段が複数あり、ヒトの目が無く、電力供給と通信速度が安定している場所を現在捜索中。しかしこの場合、彼らのログイン状態を継続させ続ける必要があるのでね>
<却下。ログアウトが許されるならさせてやりたい>
<キミの願いを受諾した。ボクの推奨案は『現地民に回収』へのシフト>
<後遺症の可能性は?>
<それはドイツでの例を見ても問題ない。百件を超える被験体がハイバネーション冷凍睡眠からの起床を試み、失敗例は一件もないのでね>
 みずきの頭は急速に「ガルドらしさ」を取り戻していく。
<そうか。ならログアウトさせてアフターフォローを現地の医療機関に頼むのがいい。必要な医療物資が足りなくて却下されたのか?>
<いいや、必要なのは人員数でね>
<人数……なら、病院が対応できるよう一人ずつログアウトを……いや、それだとコッチの動きに気付かれて残りの……>
「ごほっ、ん……」
 背中をさすっていたアームが動作を止め視界の端から外へ消える。するとすぐにアルミのトレーを掴んで戻ってきた。中には三つ、小ぶりな氷のキューブが乗っている。みずきに近寄せる度につるんと中でスケートのように動いた。
<しまった>
「ん?」
<ボクの効果機ロボットハンドは今、食品を触れるレベルの装備をしていない。これではキミに渡すことが出来ないのでね>
<いい、そのまま口元までソレごと寄越せ>
<いや、表被膜を付け替えてくるのでね。少々待……みずき>
 Aが操るアームの座標を目で見ながら、その場にあるだろう通信のIPアドレスを見る。こめかみに緊急用で付けられた簡易デバイスでは操作など出来ないだろうが、Aとの相互通信に割り込むくらいは出来た。勝手にA側の動作UIを覗き見し、みずきはアームを自分の手のように感覚する。
 肘を曲げて、口元へトレーを引き寄せるイメージ。
<みずき……君は……>
 寄った金属トレーに顎をひっかけ、唇で氷を捉えて舌を使って咥える。落ちそうだ。頭ごと真上に向いて、ロの中へ氷を入れた。
ふめはい冷たい
 手で取りだそうと右手を動かすが、指に力が入らない。唇に触れた指がガクガクと震えている。すぐに疲れてだらんと脱力し腕ごと下ろすと、ポッド内部に残っていたらしい水に触れてぴちゃんと水音が鳴った。
<A、そのアームでいい。氷、持ってろ>
<しかしだね……>
<命令>
 指でつまむのを諦め、みずきは氷をついと唇で突き出した。
 トレーを離して空いたAのアームがずいと近付いてくる。間近で見ると案外太く立派な腕だった。サンドバッグぐらいはあるだろう。付け根はポッドの背後に回っていて見えない。関節から先端にかけて急に細くなり、近寄ってくる最先端に至っては人間の手と同じ大きさだ。
 Aは無言のまま、みずきの口へ指を模した部品を二本差し込んだ。
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