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112 かわいくない雪ダルマ
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夜叉彦が「モンブラン級」と形容するだけある山の、急な傾斜になる前段階の麓をソリボートで登る。視界は白い。雪と風が猛烈に吹き荒むが、ガルドの身体は相変わらず適温のままだ。
生身の身体を拉致犯が管理しているはずだが、温度調節も機械的に管理しているらしい。本当に実験のつもりなのだろうな、とフラットな気持ちでガルドは感心した。榎本の言うとおり男は狼だとしても、生身側の極限状態が脳波感受を上回る「エラー感受感覚」が起こらないため、心配するようなことは起こっていないと分かる。
寒すぎる、暑すぎる、強烈な痛み、出血、呼吸の苦しみ。極限まで強い刺激はノイズになって脳のどこかに伝わるらしい。脳波感受のコントローラ持ちゲーマーでも、そのノイズを知っている人間はそうそういなかった。エラーになるほどの刺激は「死」に近い痛みで、興味本位で試すにはハードルが高すぎる。
ガルドがゲーマー専用SNS・ブルーホールで聞いた噂では、それは「かゆみ」になって現れるらしい。今のところ、ガルドはどこもかゆくない。それは、リアルサイドに置いてきた女としての身体の無事を意味していた。
「もう少し行けば小屋だな」
ゴンドラを降りてソリボートを走らせていた一行は、マグナの声に武器を握りなおした。小屋までの道中既に何度か戦闘があったが、全て機上からの攻撃だけで難を逃れていた。
しかしこの先の、小屋の前で待ち構える大型モンスターは避けて通れない。油断すると死に戻る可能性もあり、三人は本気の顔で正面を向いた。榎本はソリから外側に出て、フチに掴まるようにして立ち乗りしている。普段は中にいるマグナも、弓矢を構えてマップを見ていた。
「コレを止める」
ガルドがブレーキ役を名乗り出ると、仲間たちも揃ってすべき事を言った。
「おう。先鋒やっとく」
「よし。俺は支援と回復に専念する。攻撃は任せたぞ。時間をかけてでも安全第一に。避けまくれ!」
「よっしゃ、行くぜ?」
「ああ」
ガルドはボートの天井から外に移り、先頭部分にしゃがみこんだ。ソリをひくサル型モンスターに繋がる紐を握りバランスを取る。正面の雪の向こうに、薄ぼんやりと赤い光点が二つ見えた。ターゲットだ。
その前に、別の黒い影が先に向かってくる。正面より右寄りからまっすぐ直線コース。ソリの上で無理な体制は取れず、ガルドはパリィに出遅れた。
「ちぃ」
やむなく紐の内一本を強く引き、エンジン替わりのサルを左に向けさせる。ソリの進行方向が数センチずれ、遠心力で想像より大きく弧を描いてソリがカーブした。
運良く、迫るモンスターの正面に榎本が向く。狙ったわけではないが、いい流れだった。
「エンゲージ。雑魚掃除!」
榎本が叫ぶ。飛んできたのは氷の塊だった。榎本のハンマーがカン高い衝突音をたて、塊をひるませる。ソリはそのまま止まらず進み、榎本はフチにかけた手を離し飛び降りた。
先制して榎本が雑魚を討伐している間、ガルドはソリ用のサル型モンスターを後ろから斬りつけて殺し、侵入不可ゾーンになる雑木林の手前で停車させた。
しかし、止まったソリが山の傾斜でずりりと下がってきた。
慌てて身体全体で抱えながら、どうにか出来ないかと周りを見る。が、ひっかかるような凹凸はどこにもない。
ゲームのオブジェクトはどこまでも計算通りに移動する。山の傾斜がある限り、どこまでも永遠に滑り落ちるだろう。考えていなかったハプニングにガルドは焦った。
「近いぞ!」
マグナが叫ぶ。いつのまにかソリから降りていて、榎本に補助の弓矢を打ち込んでいた。ガルドはメッセージで助けを呼ぼうとし、現状難しいことを悟る。榎本のスピードが非常に早くなっており、複数のモンスター相手に見切りやパリィで無傷のまま対応できている。マグナの補助スキルだろう。しかしあれは解けるのも早い。
マグナは榎本についていてもらわなければならない。幸い、赤い目の巨体が到着するまで、ほんのわずかだが猶予がある。
おおよその位置を測るため、ガルドは目を探した。白い雪もやの向こうに見えていた赤い光点は、少し大きくなっている。ゆっくりと上下に揺れており、巨体が歩いてくるような印象だ。マグナが「円谷作品は昭和の名作、いや至宝だな」と語っていた怪獣映画のワンシーンのようで、ガルドは自ずと高揚してくる。久しぶりの強敵だ。
しかしボートが邪魔だった。
この手を離すわけにはいかないが、巨体も同時となると、あの二人にも少々荷が重い。
雑魚の塊たちは氷の妖精のようなもので、物理耐久の低いモンスターだ。榎本一人とマグナの補佐で抑えられるだろう。だが。そこにあの巨体がつっこんでいったら。榎本は死に、数キロ下山した先のリスポーン用の祠で再出現する。
「ぐ」
ガルドは苦い顔で巨体の向こうへ目を凝らした。険しい目をいつも以上に細くこらす。
風雪で見えにくいが、少し先に岩がある。その上ならばボートは滑っていかないだろう。巨体の大型モンスターをかいくぐる必要があるが、何故かいける気がした。若さゆえに変な自信で満ちている。
ボートを片手で抱えたままアイテム袋を引き、横レールのアイテムアイコンを表示させた。少し回し目的のものを選択する。小さな玉が寄せ集まったような、黒いブドウのイラストが点滅した。
掴みかかるようにして取り出したそれは、ガルドの分厚く大きな手にすっぽり収まる小さな玉だ。寄せ集まったのは集合体で、取り出すと一粒だけになる。
「っし」
気合をいれ、ボートを担ぎ直して走り出す。スピードは出ない。ガルドはヘビィ型のボディをしている上に、重量のあるボートを運んでいる。足元も積雪でずぼずぼとハマり、走りにくかった。移動速度はその分落ち、リアルでは足が速いガルドをイライラさせた。
「よし次ぃ!」
榎本がまた一体、雑魚をふっとばす。マグナがそんな榎本の背中に補助スキルを矢で撃った。巨体モンスターのヘイトを稼いで目をそらすような、援護の気配は無い。
モンスターからの注目度をヘイトと呼ぶが、フロキリでは稼ぐだけでなく失せさせることもできた。ガルドは手に握る小さな玉を握りなおし、グッと思い切り握りつぶした。
黒い光が弾ける。
アイテムはあまり使いすぎるな、と出発前に話し合っていた。
除外されるのは、無限に使用できる低価値なアイテムだ。ろくな効果が無い投げナイフや投石、プレイヤーの通過で音を鳴らすだけのアラーム装置などは、アイコンに無限マークがついている。いくら使用しても減らない。
手に持っていたブドウの一粒は、無限に使えるが効果の短いヘイトコントロールのアイテムだった。蓄積されていくヘイトを一定パーセント減らす効果がある。継続時間はたったの十秒で、それが切れると元に戻ってしまう。だからこそ無限なのだが、使い道は意外とあった。
連続使用で気付かれないまま所定位置へ移動する、というのはメジャーな使い方だ。元に戻ってもすぐに被害がこない状態でないと厳しいが、今のこの状況はちょうど良かった。榎本をちらりと見る。
榎本が攻撃で稼ぐヘイトを超えなければ、ガルドを追いかけてくることはない。だが「一番近いプレイヤー」というだけで相当ヘイトを稼いでしまう。減らしておかないと、すれ違った時に釣ってしまうかもしれなかった。
雪深いところは跳ねるように、浅いところは蹴飛ばすようにして走る。そして十秒ごとにブドウを潰した。視野を広くもち、雑魚の襲来にも目を配る。やることが多い。
すれ違う。
巨体が足を鳴らす際の振動が心臓に響いた。
「今行く」
岩場にボートを乗せ、ガルドは元来た道を振り返った。
榎本が必死に巨体の足を砕こうとしている。敵の反撃モーション。巨体は少し仰け反り、踏ん張る姿勢になった。冷気の放射が巨体の、ガルドの視界に入らないほど高い場所の鼻から降り注いだ。足元の地面を局地的に襲う。
榎本は数ステップ下がり、スキルの溜めに入った。
ガルドは走り出しながら大型モンスターの顔を見る。相当上を見上げないと見えなかったが、背後にいるため結局鼻は見えないままだ。
巨体はごつごつの古い雪だるまだった。溶けかけの雪を再度固めたような質感で、真っ白だが汚い。地面から四メートルほどの部分で胴が分かれ、足が四本、木の根のように生えている。
そして学校の体育館を見上げて見える照明のような位置に、身体の比率から考えると大きすぎる顔があった。今は見えないが、鷲鼻がにょきりと生えている。
まだこちらには気付いていない。
「アシスト」
「いいぜ、ガルドっ!」
ガルドの声に合わせ、榎本が雑魚をハンマーのフルスイングでふっとばしながら叫んだ。周囲の敵影は巨体と結晶の個体三匹に減らされている。その中でノーダメージのままやりきった榎本は、疲れとは真逆の笑顔だった。
「減るぞ、榎本」
「おう」
マグナが位置取りに動く。榎本とガルドで巨体を挟み込む挟撃スタイルで、マグナはこれから忙しなく行ったり来たりするだろう。真剣な表情で矢を選択し直し、新たに来たガルドに速度強化をかける。
すぐ背後に迫っても気付かない巨体のモンスターをいいことに、ガルドは堂々と足のすぐ脇でチャージを始めた。敵の属性的にガルドの剣と相性が悪く、水を扱うスキルは選ばない。よく使う【落陽】という名前の、単純な物理のものを強く溜めた。
十八の連撃が続くスキルだ。「細かいコンボの継続でパワー稼ぎ狙い」だと、四年来の相棒・榎本はさも当たり前に気付いた。ガルドの攻撃完了に合わせたスキルを選んでおく。
溜めきった大剣の鮮やかな日の光が瞬き、歯を食いしばり、片手で軽々と持った武器を素早く何発も何発も突いた。
右足を強く踏み込む。最後の突き、そして溢れた「シィッ」という漏れ声と、榎本の「行くぜ!」という掛け声が重なった。
マグナは欲しいところに支援を飛ばしてくれる。ガルドと榎本に感謝を示す余裕はなかったが、気持ち良いほどドンピシャなタイミングに感動していた。
ガルドが「もう一歩パワーがあれば」と思うときに飛ぶ攻撃強化、榎本が「あとちょっと早けりゃ無茶できる」と見切った瞬間の速度加速。できる男だ、と思いつつ二人は武器を振るった。
ガルドが猛攻でコンボを稼ぐ間に榎本はチャージを溜め、溜め切った瞬間ガルドがチャージに入る。巨体が鼻を膨らませれば、コンボを途切れないようマグナが遠距離攻撃しつつ二人が回避。
呼吸と記憶した動きがマッチし、欲しいところに仲間が駆けつける。ベストタイミングな支援が仲間のピンチを救う。
ガルドは夢中で戦った。
榎本が氷の柱の向こう側で声をあげた。同時に聞こえた巨大な破壊音で掻き消えたが、喜んでいることは分かる。致命的なヒビが入り、そのまま上下左右四方に向かってヒビが広がっている。ゲームならではの、部位の「破壊完了」を知らせる合図だ。
まだ足は残っているが、巨体を支えきれず崩れ落ちる。これで少し身長が削れ、思い切り見上げなくても全容が見えるようになった。顔の向きもおおよそ固定され、攻撃のパターンが変化する。
「っと」
ガルドのすぐ脇を爪のようなものがかすった。
見上げながら走って背中側に移動する。巨体の、鷲鼻をつけた能面のような横顔がガルドの視界に入った。遠すぎて見えなかった上半身のシルエットがはっきり見えるようになり、その一部がウエハースの割れるような軽い音を立て、腕になる様子を観察できた。
巨体からは想像できないほど小さな腕だ。雪だるまに差した小枝のようにアンバランスで、しかし先端は鋭利な氷のナイフになっている。
ヌンチャクを振り回すように巨体の雪ダルマ型モンスターが近接攻撃をしかけてくる。鼻も同様に膨らんでおり、正面側にいるとただではすまない。ガルドは既に位置取りへと動いていた。
ガルドが完全に背後側へ回り込んだ頃、榎本はやっと側面にいた。移動速度的にしょうがない、とガルドはヘイト稼ぎの大技を連発する。
しかしターゲットが榎本から移らない。
煌びやかな赤いマントに爪がかするのを、榎本が青白く光りながらジャンプして避ける。見切りスキルだ。しかしもう一撃、榎本の上空から来る。ガルドは「ダイブ!」と叫び、見えない死角からの攻撃を伝えた。
「でぇやあっ!」
榎本はガルドの視線と声に合わせ、思い切り身体ごと前方に飛んだ。その上空スレスレを勢いよく爪が襲い、鼻息の冷気が誰も居ないエリアにしゅわしゅわと降り注ぐ。
「やべ」
ダイブ、と言えばフロキリユーザー間では「かなぐり捨てて緊急回避」という意味になる。そして、一度寝転ぶ程の回避姿勢をとると、すぐには立ち上がれない。榎本はハンマーを使って上半身を急いで起こすが、腰をひねって横を見た巨体の視線に焦りを隠しきれなかった。
爪が攻撃予備動作のために振り上げられる。
ガルドはすかさず、大剣と腕のアーマーをシンバルのように打ち鳴らした。
生身の身体を拉致犯が管理しているはずだが、温度調節も機械的に管理しているらしい。本当に実験のつもりなのだろうな、とフラットな気持ちでガルドは感心した。榎本の言うとおり男は狼だとしても、生身側の極限状態が脳波感受を上回る「エラー感受感覚」が起こらないため、心配するようなことは起こっていないと分かる。
寒すぎる、暑すぎる、強烈な痛み、出血、呼吸の苦しみ。極限まで強い刺激はノイズになって脳のどこかに伝わるらしい。脳波感受のコントローラ持ちゲーマーでも、そのノイズを知っている人間はそうそういなかった。エラーになるほどの刺激は「死」に近い痛みで、興味本位で試すにはハードルが高すぎる。
ガルドがゲーマー専用SNS・ブルーホールで聞いた噂では、それは「かゆみ」になって現れるらしい。今のところ、ガルドはどこもかゆくない。それは、リアルサイドに置いてきた女としての身体の無事を意味していた。
「もう少し行けば小屋だな」
ゴンドラを降りてソリボートを走らせていた一行は、マグナの声に武器を握りなおした。小屋までの道中既に何度か戦闘があったが、全て機上からの攻撃だけで難を逃れていた。
しかしこの先の、小屋の前で待ち構える大型モンスターは避けて通れない。油断すると死に戻る可能性もあり、三人は本気の顔で正面を向いた。榎本はソリから外側に出て、フチに掴まるようにして立ち乗りしている。普段は中にいるマグナも、弓矢を構えてマップを見ていた。
「コレを止める」
ガルドがブレーキ役を名乗り出ると、仲間たちも揃ってすべき事を言った。
「おう。先鋒やっとく」
「よし。俺は支援と回復に専念する。攻撃は任せたぞ。時間をかけてでも安全第一に。避けまくれ!」
「よっしゃ、行くぜ?」
「ああ」
ガルドはボートの天井から外に移り、先頭部分にしゃがみこんだ。ソリをひくサル型モンスターに繋がる紐を握りバランスを取る。正面の雪の向こうに、薄ぼんやりと赤い光点が二つ見えた。ターゲットだ。
その前に、別の黒い影が先に向かってくる。正面より右寄りからまっすぐ直線コース。ソリの上で無理な体制は取れず、ガルドはパリィに出遅れた。
「ちぃ」
やむなく紐の内一本を強く引き、エンジン替わりのサルを左に向けさせる。ソリの進行方向が数センチずれ、遠心力で想像より大きく弧を描いてソリがカーブした。
運良く、迫るモンスターの正面に榎本が向く。狙ったわけではないが、いい流れだった。
「エンゲージ。雑魚掃除!」
榎本が叫ぶ。飛んできたのは氷の塊だった。榎本のハンマーがカン高い衝突音をたて、塊をひるませる。ソリはそのまま止まらず進み、榎本はフチにかけた手を離し飛び降りた。
先制して榎本が雑魚を討伐している間、ガルドはソリ用のサル型モンスターを後ろから斬りつけて殺し、侵入不可ゾーンになる雑木林の手前で停車させた。
しかし、止まったソリが山の傾斜でずりりと下がってきた。
慌てて身体全体で抱えながら、どうにか出来ないかと周りを見る。が、ひっかかるような凹凸はどこにもない。
ゲームのオブジェクトはどこまでも計算通りに移動する。山の傾斜がある限り、どこまでも永遠に滑り落ちるだろう。考えていなかったハプニングにガルドは焦った。
「近いぞ!」
マグナが叫ぶ。いつのまにかソリから降りていて、榎本に補助の弓矢を打ち込んでいた。ガルドはメッセージで助けを呼ぼうとし、現状難しいことを悟る。榎本のスピードが非常に早くなっており、複数のモンスター相手に見切りやパリィで無傷のまま対応できている。マグナの補助スキルだろう。しかしあれは解けるのも早い。
マグナは榎本についていてもらわなければならない。幸い、赤い目の巨体が到着するまで、ほんのわずかだが猶予がある。
おおよその位置を測るため、ガルドは目を探した。白い雪もやの向こうに見えていた赤い光点は、少し大きくなっている。ゆっくりと上下に揺れており、巨体が歩いてくるような印象だ。マグナが「円谷作品は昭和の名作、いや至宝だな」と語っていた怪獣映画のワンシーンのようで、ガルドは自ずと高揚してくる。久しぶりの強敵だ。
しかしボートが邪魔だった。
この手を離すわけにはいかないが、巨体も同時となると、あの二人にも少々荷が重い。
雑魚の塊たちは氷の妖精のようなもので、物理耐久の低いモンスターだ。榎本一人とマグナの補佐で抑えられるだろう。だが。そこにあの巨体がつっこんでいったら。榎本は死に、数キロ下山した先のリスポーン用の祠で再出現する。
「ぐ」
ガルドは苦い顔で巨体の向こうへ目を凝らした。険しい目をいつも以上に細くこらす。
風雪で見えにくいが、少し先に岩がある。その上ならばボートは滑っていかないだろう。巨体の大型モンスターをかいくぐる必要があるが、何故かいける気がした。若さゆえに変な自信で満ちている。
ボートを片手で抱えたままアイテム袋を引き、横レールのアイテムアイコンを表示させた。少し回し目的のものを選択する。小さな玉が寄せ集まったような、黒いブドウのイラストが点滅した。
掴みかかるようにして取り出したそれは、ガルドの分厚く大きな手にすっぽり収まる小さな玉だ。寄せ集まったのは集合体で、取り出すと一粒だけになる。
「っし」
気合をいれ、ボートを担ぎ直して走り出す。スピードは出ない。ガルドはヘビィ型のボディをしている上に、重量のあるボートを運んでいる。足元も積雪でずぼずぼとハマり、走りにくかった。移動速度はその分落ち、リアルでは足が速いガルドをイライラさせた。
「よし次ぃ!」
榎本がまた一体、雑魚をふっとばす。マグナがそんな榎本の背中に補助スキルを矢で撃った。巨体モンスターのヘイトを稼いで目をそらすような、援護の気配は無い。
モンスターからの注目度をヘイトと呼ぶが、フロキリでは稼ぐだけでなく失せさせることもできた。ガルドは手に握る小さな玉を握りなおし、グッと思い切り握りつぶした。
黒い光が弾ける。
アイテムはあまり使いすぎるな、と出発前に話し合っていた。
除外されるのは、無限に使用できる低価値なアイテムだ。ろくな効果が無い投げナイフや投石、プレイヤーの通過で音を鳴らすだけのアラーム装置などは、アイコンに無限マークがついている。いくら使用しても減らない。
手に持っていたブドウの一粒は、無限に使えるが効果の短いヘイトコントロールのアイテムだった。蓄積されていくヘイトを一定パーセント減らす効果がある。継続時間はたったの十秒で、それが切れると元に戻ってしまう。だからこそ無限なのだが、使い道は意外とあった。
連続使用で気付かれないまま所定位置へ移動する、というのはメジャーな使い方だ。元に戻ってもすぐに被害がこない状態でないと厳しいが、今のこの状況はちょうど良かった。榎本をちらりと見る。
榎本が攻撃で稼ぐヘイトを超えなければ、ガルドを追いかけてくることはない。だが「一番近いプレイヤー」というだけで相当ヘイトを稼いでしまう。減らしておかないと、すれ違った時に釣ってしまうかもしれなかった。
雪深いところは跳ねるように、浅いところは蹴飛ばすようにして走る。そして十秒ごとにブドウを潰した。視野を広くもち、雑魚の襲来にも目を配る。やることが多い。
すれ違う。
巨体が足を鳴らす際の振動が心臓に響いた。
「今行く」
岩場にボートを乗せ、ガルドは元来た道を振り返った。
榎本が必死に巨体の足を砕こうとしている。敵の反撃モーション。巨体は少し仰け反り、踏ん張る姿勢になった。冷気の放射が巨体の、ガルドの視界に入らないほど高い場所の鼻から降り注いだ。足元の地面を局地的に襲う。
榎本は数ステップ下がり、スキルの溜めに入った。
ガルドは走り出しながら大型モンスターの顔を見る。相当上を見上げないと見えなかったが、背後にいるため結局鼻は見えないままだ。
巨体はごつごつの古い雪だるまだった。溶けかけの雪を再度固めたような質感で、真っ白だが汚い。地面から四メートルほどの部分で胴が分かれ、足が四本、木の根のように生えている。
そして学校の体育館を見上げて見える照明のような位置に、身体の比率から考えると大きすぎる顔があった。今は見えないが、鷲鼻がにょきりと生えている。
まだこちらには気付いていない。
「アシスト」
「いいぜ、ガルドっ!」
ガルドの声に合わせ、榎本が雑魚をハンマーのフルスイングでふっとばしながら叫んだ。周囲の敵影は巨体と結晶の個体三匹に減らされている。その中でノーダメージのままやりきった榎本は、疲れとは真逆の笑顔だった。
「減るぞ、榎本」
「おう」
マグナが位置取りに動く。榎本とガルドで巨体を挟み込む挟撃スタイルで、マグナはこれから忙しなく行ったり来たりするだろう。真剣な表情で矢を選択し直し、新たに来たガルドに速度強化をかける。
すぐ背後に迫っても気付かない巨体のモンスターをいいことに、ガルドは堂々と足のすぐ脇でチャージを始めた。敵の属性的にガルドの剣と相性が悪く、水を扱うスキルは選ばない。よく使う【落陽】という名前の、単純な物理のものを強く溜めた。
十八の連撃が続くスキルだ。「細かいコンボの継続でパワー稼ぎ狙い」だと、四年来の相棒・榎本はさも当たり前に気付いた。ガルドの攻撃完了に合わせたスキルを選んでおく。
溜めきった大剣の鮮やかな日の光が瞬き、歯を食いしばり、片手で軽々と持った武器を素早く何発も何発も突いた。
右足を強く踏み込む。最後の突き、そして溢れた「シィッ」という漏れ声と、榎本の「行くぜ!」という掛け声が重なった。
マグナは欲しいところに支援を飛ばしてくれる。ガルドと榎本に感謝を示す余裕はなかったが、気持ち良いほどドンピシャなタイミングに感動していた。
ガルドが「もう一歩パワーがあれば」と思うときに飛ぶ攻撃強化、榎本が「あとちょっと早けりゃ無茶できる」と見切った瞬間の速度加速。できる男だ、と思いつつ二人は武器を振るった。
ガルドが猛攻でコンボを稼ぐ間に榎本はチャージを溜め、溜め切った瞬間ガルドがチャージに入る。巨体が鼻を膨らませれば、コンボを途切れないようマグナが遠距離攻撃しつつ二人が回避。
呼吸と記憶した動きがマッチし、欲しいところに仲間が駆けつける。ベストタイミングな支援が仲間のピンチを救う。
ガルドは夢中で戦った。
榎本が氷の柱の向こう側で声をあげた。同時に聞こえた巨大な破壊音で掻き消えたが、喜んでいることは分かる。致命的なヒビが入り、そのまま上下左右四方に向かってヒビが広がっている。ゲームならではの、部位の「破壊完了」を知らせる合図だ。
まだ足は残っているが、巨体を支えきれず崩れ落ちる。これで少し身長が削れ、思い切り見上げなくても全容が見えるようになった。顔の向きもおおよそ固定され、攻撃のパターンが変化する。
「っと」
ガルドのすぐ脇を爪のようなものがかすった。
見上げながら走って背中側に移動する。巨体の、鷲鼻をつけた能面のような横顔がガルドの視界に入った。遠すぎて見えなかった上半身のシルエットがはっきり見えるようになり、その一部がウエハースの割れるような軽い音を立て、腕になる様子を観察できた。
巨体からは想像できないほど小さな腕だ。雪だるまに差した小枝のようにアンバランスで、しかし先端は鋭利な氷のナイフになっている。
ヌンチャクを振り回すように巨体の雪ダルマ型モンスターが近接攻撃をしかけてくる。鼻も同様に膨らんでおり、正面側にいるとただではすまない。ガルドは既に位置取りへと動いていた。
ガルドが完全に背後側へ回り込んだ頃、榎本はやっと側面にいた。移動速度的にしょうがない、とガルドはヘイト稼ぎの大技を連発する。
しかしターゲットが榎本から移らない。
煌びやかな赤いマントに爪がかするのを、榎本が青白く光りながらジャンプして避ける。見切りスキルだ。しかしもう一撃、榎本の上空から来る。ガルドは「ダイブ!」と叫び、見えない死角からの攻撃を伝えた。
「でぇやあっ!」
榎本はガルドの視線と声に合わせ、思い切り身体ごと前方に飛んだ。その上空スレスレを勢いよく爪が襲い、鼻息の冷気が誰も居ないエリアにしゅわしゅわと降り注ぐ。
「やべ」
ダイブ、と言えばフロキリユーザー間では「かなぐり捨てて緊急回避」という意味になる。そして、一度寝転ぶ程の回避姿勢をとると、すぐには立ち上がれない。榎本はハンマーを使って上半身を急いで起こすが、腰をひねって横を見た巨体の視線に焦りを隠しきれなかった。
爪が攻撃予備動作のために振り上げられる。
ガルドはすかさず、大剣と腕のアーマーをシンバルのように打ち鳴らした。
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だけどボクだけ知らずにそのままチュートリアルをやっていた。
チュートリアルが終わってさぁ冒険の始まり。と思ったらもう一度チュートリアルから開始。
2度目のチュートリアルでも同じようにクリアしたら隠し要素を発見。
そこから怒涛の快進撃で最強になりました。
鍛冶、錬金で主人公がまったり最強になるお話です。
※この作品は「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過した【第1章完結】デスペナのないVRMMOで〜をブラッシュアップして、続きの物語を描いた作品です。
その事を理解していただきお読みいただければ幸いです。
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