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終章

意外と子供っぽい獣人皇帝と素直じゃない男装騎士が共に眠るまで

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 ベッドの上の住人は不自然なほどにこにことしていた。

 三角巾で右腕を首から吊るし、痛くて不自由な思いをしているというのに、機嫌良くいられる理由がビリーにはさっぱりわからなかった。

「……本当に私がやるんですか?」

 できることならやりたくないです、という本心を表情と声音に色濃く滲ませ、ビリーは確認した。

「他に誰がいるというのだ。看護をかって出たのは君だろう。これもその一環だ」

 アズールは懸命に真面目な表情を作ろうとしているようだが口元が緩んでしまっている。
 ベッドの上で上体を起こしているため、ぶんぶんとはしゃいで揺れる尻尾がよく見えた。

「……わかりました。では、今から食物を運ぶので、適切な大きさに口を開き、むせないように注意して嚥下してください」

 ビリーは器に入ったスープをスプーンですくい、アズールの口元まで運ぶ。
 急にアズールの表情が沈み、長い耳がへたっと力なく垂れた。
 
「アズール様?」
「違う……そういうことじゃない……」

 アズールは深くうなだれ、ぶつぶつと呟く。

「何が違うんですか。肉魚野菜果物、きちんとバランス良く食べなければ怪我の治りが遅くなりますよ」

 アズールが怪我をしたのは元はといえば自分のせいだが、ビリーは心を鬼にして諭す。

 フリン家別邸のバルコニーから落ちたビリーを受け止めたことにより、右腕の骨を折ってしまった。その他にも、骨折まではいかないが足や腰を痛めたらしかった。
 ビリーは平均的な女性よりも身長が高く、それなりに筋肉もあるため体重も重い。片腕だけで済んで幸いだったのかもしれない。

 ビリーは気を失っていたため後から聞いた話だが、フィオナとジーンの二人も命に別状はないという。多少の外傷や火傷、煙を吸ったことによる衰弱が見られるため、現在は治療を受けているそうだ。ある程度体力が回復し次第、牢屋に移され、事情聴取が執り行われるらしい。どのような量刑になるかは、報告してくれた法務官の態度からあきらかだった。
 事実関係の解明に先だってジーンの父であるフリン執政官が辞任したこともあり、城内は慌ただしくなっている。
 
「食事内容ではなくて、俺が問題にしているのは食べさせ方だ! そんな事務的にやられて嬉しいわけないだろう! 『あーん』ってして欲しい!」

「怪我の療養のため面会謝絶」という看板を掲げて厄介事から逃れたアズールは、知能が著しく退化してしまったかのようなことを言い出した。

「私の知らない間に頭でも打ったんですか? それとも何か罹患しているのですか?」

 ビリーは失礼しますと断ってから、アズールの額に手を当てる。熱はなさそうだ。
 頭を触ってみても痛がる素振りがないため、打撲の線も薄い。しかし頭を打って数日後に脳に影響が出るケースもあるという。素人判断が原因で見落としがあっては大変だ。

「念のために侍医じいか薬師を呼びましょうか。先に申し伝えておきますので、自覚できる症状があれば教えてください」
「ちょっとした要望を大事おおごとにしないでくれ……」

 尻尾がしょげたようにしぼみ、アズールの身体に巻き付いた。

「すみません、看護に慣れていないもので」

 ビリーは困惑しつつ頭を下げた。何か間違ったことをしてしまったらしいが、どこがいけないのかわからない。

「いやいい。君のほうこそ体調が回復したばかりだというのに、妙なことをさせて悪かった」

 アズールは少しだけ残念そうに笑った。

「私の方はたいしたことありません。受け止めた時にアズール様が治してくださったのでしょう、ありがとうございます。私にも何かお返しできる力があれば良かったのですが」

 いつかアズールがしてくれたように、ビリーは祈りの形でアズールの手を包んだ。手を額に押し当て、どうか早く治りますように、と願う。

「たまに人の想像を超えることをするな、ウィルマは」

 アズールはしきりにまばたきをし、目線を下げた。うっすらと頬が赤い。

「……やっぱりビリーのままにしません? なんていうか、そわそわします」

 つられたようにビリーの頬も赤くなった。ちゃんとアズールの顔を見られない。

「そわそわって?」

 アズールは含み笑いをし、身を乗り出してビリーの肩に顎を乗せた。
 耳の柔らかな毛がビリーの首筋をくすぐる。怪我人を押しのけるのははばかられた。

「っ、こういうこともです! アズール様だって耳とか触られたら落ち着かないでしょう!」
「そうだな。だが俺はやり返される覚悟でやっている」
「おかしな覚悟しないでください! 私もやりますよ、じゃあ!」

 ビリーは宣言した直後に後悔した。
 勢いで挑発でも何でもない言葉に乗っかってしまった。次にどうするか何も考えていない。獣人の耳を触るのは性行為同然。むこうにやり返される覚悟があっても、こちらにはそんな覚悟毛頭ない。

「どうぞ。具体的に何をしてくれるんだ?」

 アズールは後戻りさせる気はないようだ。もしくは、どうせ何もできないと高を括っているのかもしれない。
 腹が立ったビリーはアズールの胸倉を掴み上げた。怪我人だろうと関係ない。

「いや暴力はさすがにちょっと……!」
「覚悟して歯を食いしばってくださいアズール様。怪我人はおとなしく寝ているものですよ」

 ビリーは据わった目で睨みつけ、拳を振り上げた。ぎゅっと目を瞑ったアズールの額をこんっ、と軽く小突き、一瞬触れるだけのキスをする。
 すぐさま自分のしたことが無性に恥ずかしくなり、ビリーはこの場から立ち去ろうとした――が、叶わなかった。

「こんなことされて、独りでは眠れないな」

 怪我をしていない方の手が、ビリーの首の根元を押さえつけえる。

「責任取ってくれ、ウィルマ」

 懇願するように囁かれ、ビリー――ウィルマは少し戸惑った後、躊躇いがちにアズールの耳に触れ、目蓋を閉じた。


〈了〉
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