上 下
57 / 63
第6章 懐かしき館で待つものは

6-8 焦熱

しおりを挟む
 まるで煙草でもふかすように、キッチンへと続く通路から灰色の煙が吐きだされている。
 ジーンの救出へと向かったアズールはまだ戻ってこない。

 ビリーはぎりっと音がするほど歯噛みし、駆け出す。
 裏があるのはわかっていたのに、フィオナが何も手出しをせず見送った時にもっと怪しむべきだった。

 足が何かにつまづいた。受け身を取るのが遅れ、ビリーは顔から地面に倒れ込む。擦るように頬を打ちつけ、目の前がちかっと白く瞬いた。
 心なしか身体の反応が鈍くなっている気がする。

「姿勢を低く保ったほうが良いですよお姉様。煙は水平方向よりも垂直方向への広がりが早いですから。吹き抜けを広く取ってあるこの家はあっという間に煙が充満してしまいますね」

 ビリーがつまづいたのはフィオナの足だった。目隠しをされているというのによくやる。姉譲りの足癖の悪さだ。

「邪魔するなフィオナ!」
「大声を出すとたくさん煙を吸ってしまいますよ。火事で人を殺すのは、炎よりも煙です」
「ご講釈痛み入る。このままだとあんたも無事じゃあ済まないのに余裕あるね」
「本当はお姉様の目の前で陛下には死んでいただきたかったのですが、難しそうですし。いっそお姉様と一緒に炎に包まれるのもまた一興かな、と」
「……あんたとは一生分かり合える気がしない」

 フィオナの足が蛇のように絡んでくる。筋肉も脂肪も少ないか細い足なのに、なかなかほどくことができない。
 室温が上がったのか、ビリーの身体から汗が流れ始めた。目に汗が入り、視界が滲む。意識せず呼吸が浅くなり、はっ、はっ、と口から短く息を吸ってしまう。

(なんか、やばい気がする……)

 ビリーは外套の裾で鼻と口を押さえた。
 目が回った時のように視界が揺れ、吐き気がする。無視できないほど頬と頭がずきずきと痛む。

 手段は選んでいられない。
 ビリーはフィオナの足からハイヒールをもぎとり、ヒール部分を脛に叩きつけた。フィオナの絶叫が聞こえ、力が緩んだ。その隙に転がるようにして逃れ、手すりに縋りついてどうにか立ち上がる。

 階段が燃えていた。絨毯を敷いたように赤い。
 階段だけではない。玄関ホールの至る場所から火の手が上がっていた。ソファやテーブルが炎に呑まれ、じりじりと色と形を変えられていく。

(火の回りが早すぎる……! 玄関ホールからも出火していたのか? ……ああ、違う! そんなことより、今はどう逃げるかを考えないと)

 ビリーは髪をかき上げるように握りしめ、吹き抜けから一階を見下ろした。

 階段は一段目から最上部まで綺麗に燃え上がっている。何者かの悪意を感じずにはいられない。通るには何秒か火に炙られる覚悟が必要だ。フィオナを担いで行かなければならないため、途中で踏み板が抜ける可能性もある。

 次に有効そうな手段としては、吹き抜けから一階まで飛び降りる方法だ。煙のせいで床が見えにくくなっているが、高くてもせいぜい三、四メートル。頭から落ちなければ死にはしない。が、人を抱えて飛び降りて、その後外まで脱出できるかは疑問が残る。

「ウィルマ! まだ中にいるのか!」

 玄関扉が開き、ビリーの聞きたかった声がホールに響く。

「何をやっている! 早く下りてこい!」

 ビリーの姿を見咎めると、アズールは炎も煙も構わず吹き抜けの下まで駆け寄ってきた。

「アズール様、ご無事だったんですね。良かったです」
「ジーン・フリンを治しつつ盾になってもらいながら勝手口から外に出た」
「結構な拷問じゃないですか、それ」
「そんなの話は後でいい、そこから飛べ! 俺がちゃんと受け止めるから」

 アズールは両手を広げてみせる。
 その瞬間、炎が勢いよく燃え盛った。白い煙が立ち込める。

「ドアなんか開けて空気を引き込むからですよ。燃焼が加速します」
「うるさいフィオナ」

 厭味ったらしく言うフィオナを小突き、ビリーはフィオナの身体を抱きあげた。

「不肖の妹を、どうかよろしくお願いいたします」

 ビリーは一礼し、アズールのいる所に向かってフィオナを放り投げる。
 アズールならばきっとフィオナを受け止め、外へと連れ出してくれるだろう。

「おねえさま?」
「ウィルマ!」

 フィオナとアズールの声が重なる。

 ビリーはそれらを無視し、二階の一番奥の部屋へと向かった。
 煙を吸い込んだせいなのか、壁に寄りかかりながらでなければちゃんと歩けない。

 フィオナはグレイ家の屋敷を模して作らせたと言っていた。
 二階の一番奥はかつて自分の部屋があったのと同じ場所だ。

 まだ諦めたわけではない。
 四年前に生き残れた場所に賭けてみようと、柄にもなく思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

今宵、薔薇の園で

天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。 しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。 彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。 キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。 そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。 彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。

人身御供の乙女は、放り込まれた鬼の世界で、超絶美形の鬼の長に溺愛されて人生が変わりました

たからかた
恋愛
日々罵倒されながら、無給で無休の下働きの毎日を送るクローディア。疲労に神経を削られながら、家族の安全のために我慢の日々を送る彼女は、残忍なテス王によって鬼の世界に人身御供として放り込まれる。食い殺されるか、慰み者になることを覚悟していたが、美しき鬼の長・シュラは彼女を庇護下に置いて大切に扱った。やがて戸惑う彼女を溺愛するようになっていく。クローディアも彼の率直な愛を受け入れ、これからという時に、最大の困難が待ち受けていた。種族の壁を越えた二人の愛は、困難を乗り越えて成就させることができるのか……?

溺愛の始まりは魔眼でした。騎士団事務員の貧乏令嬢、片想いの騎士団長と婚約?!

恋愛
 男爵令嬢ミナは実家が貧乏で騎士団の事務員と騎士団寮の炊事洗濯を掛け持ちして働いていた。ミナは騎士団長オレンに片想いしている。バレないようにしつつ長年真面目に働きオレンの信頼も得、休憩のお茶まで一緒にするようになった。  ある日、謎の香料を口にしてミナは魔法が宿る眼、魔眼に目覚める。魔眼のスキルは、筋肉のステータスが見え、良い筋肉が目の前にあると相手の服が破けてしまうものだった。ミナは無類の筋肉好きで、筋肉が近くで見られる騎士団は彼女にとっては天職だ。魔眼のせいでクビにされるわけにはいかない。なのにオレンの服をびりびりに破いてしまい魔眼のスキルを話さなければいけない状況になった。  全てを話すと、オレンはミナと協力して魔眼を治そうと提案する。対処法で筋肉を見たり触ったりすることから始まった。ミナが長い間封印していた絵描きの趣味も魔眼対策で復活し、よりオレンとの時間が増えていく。片想いがバレないようにするも何故か魔眼がバレてからオレンが好意的で距離も近くなり甘やかされてばかりでミナは戸惑う。別の日には我慢しすぎて自分の服を魔眼で破り真っ裸になった所をオレンに見られ彼は責任を取るとまで言いだして?! ※結構ふざけたラブコメです。 恋愛が苦手な女性シリーズ、前作と同じ世界線で描かれた2作品目です(続きものではなく単品で読めます)。今回は無自覚系恋愛苦手女性。 ヒロインによる一人称視点。全56話、一話あたり概ね1000~2000字程度で公開。 前々作「訳あり女装夫は契約結婚した副業男装妻の推し」前作「身体強化魔法で拳交える外交令嬢の拗らせ恋愛~隣国の悪役令嬢を妻にと連れてきた王子に本来の婚約者がいないとでも?~」と同じ時代・世界です。 ※小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しています。※R15は保険です。

公爵閣下の契約妻

秋津冴
恋愛
 呪文を唱えるよりも、魔法の力を封じ込めた『魔石』を活用することが多くなった、そんな時代。  伯爵家の次女、オフィーリナは十六歳の誕生日、いきなり親によって婚約相手を決められてしまう。  実家を継ぐのは姉だからと生涯独身を考えていたオフィーリナにとっては、寝耳に水の大事件だった。  しかし、オフィーリナには結婚よりもやりたいことがあった。  オフィーリナには魔石を加工する才能があり、幼い頃に高名な職人に弟子入りした彼女は、自分の工房を開店する許可が下りたところだったのだ。 「公爵様、大変失礼ですが……」 「側室に入ってくれたら、資金援助は惜しまないよ?」 「しかし、結婚は考えられない」 「じゃあ、契約結婚にしよう。俺も正妻がうるさいから。この婚約も公爵家と伯爵家の同士の契約のようなものだし」    なんと、婚約者になったダミアノ公爵ブライトは、国内でも指折りの富豪だったのだ。  彼はオフィーリナのやりたいことが工房の経営なら、資金援助は惜しまないという。   「結婚……資金援助!? まじで? でも、正妻……」 「うまくやる自信がない?」 「ある女性なんてそうそういないと思います……」  そうなのだ。  愛人のようなものになるのに、本妻に気に入られることがどれだけ難しいことか。  二の足を踏むオフィーリナにブライトは「まあ、任せろ。どうにかする」と言い残して、契約結婚は成立してしまう。  平日は魔石を加工する、魔石彫金師として。  週末は契約妻として。  オフィーリナは週末の二日間だけ、工房兼自宅に彼を迎え入れることになる。  他の投稿サイトでも掲載しています。

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

崖っぷち令嬢は冷血皇帝のお世話係〜侍女のはずが皇帝妃になるみたいです〜

束原ミヤコ
恋愛
ティディス・クリスティスは、没落寸前の貧乏な伯爵家の令嬢である。 家のために王宮で働く侍女に仕官したは良いけれど、緊張のせいでまともに話せず、面接で落とされそうになってしまう。 「家族のため、なんでもするからどうか働かせてください」と泣きついて、手に入れた仕事は――冷血皇帝と巷で噂されている、冷酷冷血名前を呼んだだけで子供が泣くと言われているレイシールド・ガルディアス皇帝陛下のお世話係だった。 皇帝レイシールドは気難しく、人を傍に置きたがらない。 今まで何人もの侍女が、レイシールドが恐ろしくて泣きながら辞めていったのだという。 ティディスは決意する。なんとしてでも、お仕事をやりとげて、没落から家を救わなければ……! 心根の優しいお世話係の令嬢と、無口で不器用な皇帝陛下の話です。

処理中です...