空から落ちてきた皇帝を助けたら、偽装恋人＆近衛騎士に任命されました-風使いの男装騎士が女嫌いの獣人皇帝に溺愛されるまで-

第1章 風使いの不忠騎士と癒しの手を持つ獣人皇帝

1-3 馬と鹿の見分けがつかない

「まずは改めて礼を言おう。よく俺の命を救ってくれた」

　ビリーが戸惑いつつ隣室に用意された食卓に着くと、皇帝は好意的な笑みを浮かべた。
　先ほどの状況と比べるとなんてこともない気がしてしまうが、料理から立ち上る湯気をはさんで差し向かいに皇帝がいるなど異常なことだ。

「そのようなお言葉を賜り、恐縮至極にございます。しかし大変申し訳ないのですが、私の理解力が乏しいせいで事態が把握できていないのですが……」

　ビリーはきりきりと締め付けられるように痛む頭に手を当て、使い慣れない敬語で尋ねる。
　目の前に並んでいるのが最後の晩餐になるのだろうか。それとも、落下する皇帝を助けたことで恩赦を与えてもらえたりなどするのだろうか。

（晩餐……？）

　ビリーは何か違和感を覚え、その正体を探るために室内に視線を巡らせた。
　今いるのは執務室や事務室、といった感のある部屋だった。大きな窓を背に、重厚な作りの執務机が置かれ、壁際に沿っていくつもの本棚が並んでいる。

　窓から差し込むオレンジ色の西日を見て、ようやく違和感の正体に気付く。
　ビリーが城内の巡視をしていたのは昼前だった。それから数時間以上意識を失っていた、ということになる。

「おい、その堅苦しい喋り方もよせ。ここには俺と、そこのルヌルムしかいない」
「るぬるぬる……？」
「よく間違われまーす。『ルル』でいいでーす」

　さっきの有翼種の子供がビリーの顔を覗き込んできた。顎のあたりで切り揃えられた白い髪がふわりと揺れる。柔らかそうな髪や小さくとがった唇といい、雛鳥のようで可愛らしい。

　ビリーが会釈をすると、ルヌルムは翼の腕を差し出してきた。握手の代わり、だろうか。
　羽を潰さないようにそっと翼の端を握ると、ルヌルムはにっこりと笑ってくれた。
　その笑顔を見て、ビリーはふと四歳年下の妹のことを思い出す。おかげで少しだけ肩の力を抜くことができた。

「腕の怪我は問題なく治っているようだな」

　皇帝は目を細め、羊肉の串焼きに手を付けた。獣人族の手の構造上、フォークやスプーンといった食器を扱うのに向かないため、この国では直接手でつまんで食べられる料理が多い。

「俺の力は対象との接触面積が多いほど効果が出る。ゆえにああいった体勢での治療になった。許せ。しかし、骨折ごときで夕刻までかかるとは。癒し手といっても、そう便利なものでもないな」

　肉の脂で濡れた手を見つめ、皇帝は顔をしかめた。意外に表情が豊かで、親しみやすさすら覚える。

「あ、ありがとうございます。私ごときに御手をお使いくださるなど……」

　と言いかけて、皇帝の尻尾が目に入った。身体に沿うように垂れ下がっていた尻尾が持ち上がり、小刻みに揺れている。眉間に寄った皴からも、機嫌を損ねたことはあきらかだった。

（皇帝相手にどう喋れと？　タメ口？　いや絶対ムリでしょ）

「若は単純なのでー、フレンドリーに接するとすぐ尻尾振りまーす」

　ルヌルムは口元に翼を当て、こそっとビリーに耳打ちをしてくれる。そうは言われても不敬罪が怖い。

「ルヌルム、聞こえている！」

　長い垂れ耳が重たげに動く。ぱっと見では髪と区別がつかないが、注意深く眺めると耳を覆う被毛だけやや藍色が濃く、緩く波打っている。

「若、そんなことよりビリーさんにちゃんと頼みましたー？　ずっと困ったようなお顔をされてますよー」

　ルヌルムの察しの良さにビリーは感謝したくなった。
　怪我を治してもらったことはありがたいがそれはそれとして、出来ることなら一刻も早くこの場から立ち去りたい。皇帝が自分について何か察しているのかどうかは判断しかねるが、この雰囲気から即処断、とはならないだろう。

「当たり前だ。言ってやった」

　皇帝は両手を腰に当てて胸を張る。フリンジのような飾り毛のついた尻尾が大きく揺れてぶんぶんと風を切った。
　だんだんと皇帝の性格が見えてきた気がする。

「皇帝直属の近衛騎士兼恋人にしてやる。だから俺を手伝え、とな」

（……どうしよう。この人、馬と鹿の見分けがつかないアレなのかもしれない）

　同じセリフを三度言われ、ようやくビリーに真相の断片が見えてきた。

　ルヌルムの言ったことも併せて考えるに、皇帝は何か頼みごとをしたいようだ。皇帝という立場のせいか、それとも本人の性格のせいなのか、「頼む＝命令する」になっているのだろう。
「皇帝直属の近衛騎士」というのはその頼みに対する報酬、あるいはその身分につかなければ出来ないことをさせられるのかもしれない。
　恋人という変なワードの謎はまだ解けないが、あまり重く考える必要はない気がする。
　なぜなら、次のルヌルムの凶行によってビリーの予想が裏付けられたからだ。

「わーかばーか！　ばーかわーか！」

　大声で悪態をつきながら、ルヌルムは翼腕で皇帝の頭を滅茶苦茶にはたくという大胆な不敬行為に及んだ。白い羽根が雪のように舞う。

「なんだ急にやめろ！　若と馬鹿を混ぜるな！　何が悪いんだ！」
「そんなんだから学生時代友達が一人しかできなかったんですよーだ！」
「それは今関係ないだろう！」

（友達一人は本当なんだ）

　ビリーは目の前に降ってきた羽根を捕まえ、成り行きを静観する。

「だいたい恋人ってなんですかー。いくら結婚が嫌だからって本当に男色に走るつもりですかー！　別に若の性的嗜好なんてどーでもいーですけどー。話がややこしくなるから混ぜないで別途勝手に交渉なり口説くなりしてくださーい！」

「女は嫌いだが男も好きじゃない。恋人というのはついでだ。寝転がってて思いついた」
「若の思いつきはほぼ100％ロクでもないでーす」

「今回はそんなことない。あの女どもを避けられるし、もしかすると囮にならないこともないかもしれない。一石二鳥というやつだ」
「二兎追う犬は兎に蹴られますよーだ！」

（男じゃないってことはバレてはなさそうだけれど、なんかとても面倒な事に巻き込まれそう。すごく逃げたい）

　クベリア辺境伯の子息という素性さえ知られていなければ逃げていた。厳密にいえば、四年前にクベリア辺境伯は父方の叔父が継いだため、今は「元」クベリア辺境伯の子息なのだが。

　目立つのはとにかく困る。自分は絶対に「ビリー・グレイ」として平穏無事に生をまっとうしなければならない。
　母が天に召されるその日まで。

「あのー、そろそろ騎士団詰所に戻ってもよろしいでしょうか。定例報告をしないと団長からお叱りを受けてしまうのですが」

　このままこの場に留まっていても埒があかなそうなので、ビリーはダメ元で手を挙げて提案した。
　すぐさま、つかみ合っていた二人の動きがぴたりと止まる。

「必要ない」

　鋭く言い放ったのはもちろん皇帝だった。　

「ビリー・グレイ、お前の所属はすでに俺の一存で皇帝直属の近衛騎士に転属している」
「はい？」
「お前が是とするまで、俺は同じ言葉を繰り返すだけだ――と言ったろう」

「若！　それじゃダメだってさっきから言ってるじゃないですかー！　ちゃんと説明しないと――」
「わかっている。だから今度は、繰り返す言葉を変える」

　口を挟もうとするルヌルムを遮り、皇帝はビリーの手を取った。壊れ物を扱うように、両の手でそっと包み込む。

「どうか共に、俺を空中庭園から突き落とした者を捕まえるのを手伝ってほしい」

　それは命令ではなく切実な願いだった。
　皇帝は、本来決して何ものにも垂れることのない頭を下げ、続ける。

「頼む。お前の他に信用できる者がいないのだ」