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「いや、あの、人間と獣人とで、もしかしたら何か違いがあるのではないかと不安になり、文献を取り寄せてだな。異種族間の行為について取り扱ったものがなかなか見つからなくて、手元に届くまでこんなにも時間がかかるとは思っていなかった。本来であれば初夜の前に学ぶべきことだったのだが、勢いでどうにかなるだろうという過信というか慢心があって――」

 ラーファは口元を隠したまま、早口で喋りまくる。手で覆われているせいで見づらいが、頬が赤くなっていた。耳は自信なくぺたんと伏せられ、尻尾も力なく垂れている。

「手も怪我をしたわけではなく――まぁ、怪我と言えば怪我か。どこまで爪にヤスリをかければいいかわからず、血が出てしまって。爪が黒いせいで血管がよく見えなかったんだ。手引書には爪を短くするだけでなく、手袋をつけることも推奨されていたが、私個人としては布越しよりも直接触れたくて」

 イズはラーファの手を口元から引きはがした。白い毛皮に覆われた指の先には、先の丸まった円柱状の黒い爪がちょこんと生えている。以前の、三分の二から半分程度の長さしかないように見えた。

「どうしてそんなことを」
「あの日、触れた時、痛がっていただろう。それで私はひどい失敗をしたと思い、頭が真っ白になった」
「! あれは、単に恥ずかしかっただけで……」

 イズは自分の頬を両手で押さえ、うつむいた。

(痛がっているように見えるほど、ひどい顔をしていた……ってこと?)

 イズにとって地味にショックだった。衝撃度としてはさほどではないが、じわじわと効いてくる。

「恥ずかしい? 何故だ」

 意地悪や悪気があってではなく、本当に理由がわからないといった様子でラーファは尋ねた。

「……く、くちづけも、何もかも……は、初めてだったんです……。恥ずかしいに決まっているじゃありませんか……!」

 イズはラーファの胸板に額を押し付け、震える声で答える。
 首から上が馬鹿みたいに熱い。どうしてこんなことを言わされているのか、イズは泣きたくなった。

「あ……んんっ、察しが悪くて、すまない」

 ラーファもつられたように顔を赤くし、それをごまかすためなのか、わざとらしく咳払いをする。

「先ほど、従者になさっていたことは……?」

 これも自分の誤解なのだろうなと思いつつ、イズは聞かずにいられなかった。どんな経緯があったら、「夫が屋外で従者の胸をまさぐる」という状況に行きつくのか、イズには想像もつかない。

「あの場にいた二人は、配偶者が獣人でな。色々と相談に乗ってもらっていたんだ。あんなことをしていたのは爪の当たり具合を確かめるためで、その実験台として彼が名乗りをあげてくれた。妻以外の女性に触れるわけにはいかないしな」
「だからって、あんな所であんな風に……」
「手引書を読んでいることを知られたかと思って恥ずかしくなり、気が動転していた。苦しい言い訳に聞こえるかもしれない。だがあの夜からずっと、どうしていいか、わからなかったんだ」

 ラーファは額を押さえるように前髪をかき上げた。眉尻は下がり、視線は落ち着きなくさまよっている。

「すべては私の言葉足らずが原因だろう。本当にすまない」

 今のラーファは、普段の凛々しい辺境伯の姿とはかけ離れていた。だが、思わず抱きしめたくなるくらいイズにはそれが愛おしかった。

「いえ、わたくしの方こそ、ただただ内に溜め込むだけで……。そもそもこの婚姻は偽装だったのではないかと、浅はかな妄想で勝手に不安になっていました。ごめんなさい」

 イズは遠慮がちにラーファの背に腕をまわした。服越しに伝わってくる体温と鼓動が心地良い。

「偽装など、そんな器用なことは私にはできないさ。耳と尻尾に出てしまうからな。長い間、不安にさせて悪かった」

 ラーファの手が、イズの背中をゆっくりとさする。

「ラーファ様」

 イズは衝動的に、ラーファにくちづけた。一瞬触れるだけの短いキス。経験のないイズにとっては大それた行為だった。

「触れて、くださいませんか」

 イズは吐息のような声でお願いする。うつむかずにいるのが精いっぱいだった。目を合わせてはとても言えない。

「それともこんな、はしたないわたくしはお嫌いですか?」
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