上 下
28 / 28
第3話

策略(10)

しおりを挟む
 自警隊事務所の地下。暗く冷たい牢屋が地響きで揺れる。一度大きな揺れが発生して以降断続的に起こっていて、そのたびに天井からパラパラと砂の粒が降る。

 外で何か非常事態が起きているのは間違いない。それにも関わらず、ラゴースはアーチ達が去ったときから一歩も動かないままで、まるで時間が止まっているかのように微動だにしていなかった。

 そんな停止した世界に小さな影が舞い降りた。

「助けて!」

 パラァが切羽詰まった様子で鉄格子の前に飛んでくる。余程急いで飛んできたのか、額には汗が滲み息も上がっていた。

「地上が大変たことになってるの!」

「そのようだな。音だけでもわかる」

「だったら協力して! 大きな魔獣が暴れてるの!」

「無理だ」

「どうしてよ! 変身すればこんな牢屋くらい簡単に出られるでしょ! ほら早く!」

 体の小さなパラァは鉄格子の隙間をすり抜け牢屋の中に入る。ラゴースの服を引っ張って立たせようとするが、当然びくともしない。それでもパラァは急かすように引っ張り続ける。

 ラゴースが無機質な石の床を見詰めながら告げる。

「……俺には関係ない」

 雫が零れるような小さな呟きだった。

「関係ないって……この国がなくなったらあなただって困るでしょ!?」

「俺がこの国にいるのは金になる依頼が多く集まるからだ。ここが駄目になったらまた別の国に行くだけのこと」

「でもこのままじゃたくさんの人が死んじゃうかもしれないのよ!?」

「それは自警隊がどうにかするべきことだろう。俺が協力してやる義理はない。それに……どうせ俺は鼻つまみ者だからな」

 淡々と話していたラゴースだったが、最後の言葉には僅かに陰りが落ちていた。パラァが服を引っ張る手を止める。

「何よ、さっき言われたこと気にしてるの?」

「……そうではない。とにかく、ほかを当たってくれ。俺は然るべき処罰を受けるまでここから動くつもりはない」

 そう言った切りラゴースは沈黙してしまった。外界から自身の存在を遮断するように瞑目し、大男は不動の岩石と化した。

 こうしている間にも揺れが起こり続け、外の逼迫した状況を知らせている。地上の街は、そしてアーチ達は無事でいるだろうか。

 パラァは両方の手をぐっと握りしめる。その小さな両こぶしは微かに震えていた。

「……お兄ちゃんと会ったの」

「なんの話だ?」

 あまりに脈絡のない発言に、対話を断ち切ったはずのラゴースが思わず反応した。

 パラァは俯いている。暗くてはっきりとは見えないが、少女の目元には僅かな明かりを反射する何かが滲んでいた。

「わたしはいなくなったお兄ちゃんを探すために旅してきたの。でもお兄ちゃんは……ピポイは、魔族の味方になってた」

 未だに話の意図が読めないラゴースはただ黙って聞いているしかない。

「本当はピポイを止めたかった。でも今のピポイに私の言葉は届かないみたいだったから……。だからピポイのことはアーチに任せて、わたしはこうしてあなたに協力をお願いしに来たの。それが今わたしにできることだと思ったから。だから……」

 ラゴースを真っ直ぐ見据えるパラァ。その顔は泣いているような怒っているような、様々な感情でぐしゃぐしゃになっていた。

「ちょっと嫌味なこと言われたからって拗ねてんじゃないわよ! あなたも今あなたができることをやりなさいよ!」

 ──できたはずなのにやらなかったことを後悔したくない。

 アーチが以前言っていたことだ。パラァは自分なりに力になれることを必死に考えた結果の行動だったが、その根底には無意識のうちに感化されたアーチの言葉があった。

 だからこそ強大な力を持っていながら現状から目を逸らすラゴースが許せなかった。

「俺ができること……」

 小さき少女から向けられた言葉を反芻するラゴース。

 パラァは自分が涙を流していたことに気付き手で顔を拭う。深呼吸をして昂った感情を鎮める。

「わたし、さっきのあなたの話を聞いてひとつだけわからないことがあったの。どうしてあなたは女の人のお願いを引き受けたの?」

 アーチ一行に家族を殺されたと語った旅芸人の女のことだ。

「依頼されたからだ」

「報酬は? お金で雇われたならわかるけど、何か渡されたの?」

「それは……」

 何も受け取っていない。思い返せば、なんの見返りもなく他人のために他人を殺すのはリスクがあまりに大きい。今更ながらラゴース自身も不可解に思った。

「怒っていたんじゃないの? 女の人の家族を殺した誰かに対して」

「怒っていた? 俺が……?」

「お金のためとかじゃなくて、純粋に力になってあげたいと思ったんじゃないの? 

そうじゃなきゃ復讐の代行なんてできっこないもの。だからって、人を殺すのは良くないことだけど」

 ラゴース旅芸人に助けを求められたときのことを思い出す。

 無残な姿で転がる三つの死体。泣きながら縋りつく女。あのときラゴースの胸の奥に渦巻いていた煮えたぎるような感情。

 ──許せない。

 そう思った。あれはたしかに怒りだったのかもしれない。

「でも他人のために怒れる人は立派な人間よ。だからつまらない言葉に惑わされないで。わたしたちに力を貸して!」

 パラァの力強い声が無機質な牢屋に響いた。

 ラゴースはその残響を噛みしめるように目を閉じると、小さく笑った。

「たしかに拗ねていたのかもしれないな。お前の言う通りだ」

「お前じゃなくてパラァよ」

「そうか。パラァ、少し下がっていろ。ここから出る」

「じゃあ……!」

「ああ。それが俺のやるべきことならば──」

 パラァは格子の隙間から牢屋の外へ出る。

 おもむろに立ち上がるラゴース。後ろに回されている腕に力を込めると、金属の拘束具はあっさり壊れた。

 ラゴースを捕らえていたのは牢屋ではなかった。他人から向けられる言葉、視線、行動。差別と迫害の意思をぶつけられる日々が、いつしかラゴースの心を失意の檻に閉じ込めていた。

 しかし今、小さな少女の大いなる行動によってそれがこじ開けられようとしていた。

 自由になった両手で鉄格子を掴む。左右に引っ張ると、頑強な格子が飴細工かのように容易くひしゃげた。

「──この力、存分に振るおう」
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢の攻略本

丸晴いむ
恋愛
物心ついたときから、恋をして(強制)失恋する(確定)ようにと母に言われ続けてきたセルディア。そういうものなのかと受け入れ「私の初恋は実らせません!」と宣言し、彼女の学園生活は幕を開ける。…母親が異世界転生者で、実はある乙女ゲームの悪役令嬢ポジションな主人公が頑張る話。正規ヒロインと仲良くなったけど、周りからは苛めていると勘違いされ嫌われることもあるけれど。幼馴染の攻略対象キャラを参謀につけ、今日も彼女はつんと澄まして空回る。 なろうでも投稿してます

ひとまず一回ヤりましょう、公爵様4

木野 キノ子
ファンタジー
21世紀日本で、ヘドネという源氏名で娼婦業を営み、46歳で昇天…したと思ったら!! なんと中世風異世界の、借金だらけ名ばかり貴族の貴族令嬢に転生した!! 第二の人生、フィリーという名を付けられた、実年齢16歳、精神年齢還暦越えのおばはん元娼婦は、せっかくなので異世界無双…なんて面倒くさいことはいたしません。 小金持ちのイイ男捕まえて、エッチスローライフを満喫するぞ~…と思っていたら!! なぜか「救国の英雄」と呼ばれる公爵様に見初められ、求婚される…。 ハッキリ言って、イ・ヤ・だ!! なんでかって? だって嫉妬に狂った女どもが、わんさか湧いてくるんだもん!! そんな女の相手なんざ、前世だけで十分だっての。 とは言え、この公爵様…顔と体が私・フィリーの好みとドンピシャ!! 一体どうしたら、いいの~。 一人で勝手にどうでもいい悩みを抱えながらも、とりあえずヤると決意したフィリー。 独りよがりな妬み嫉みで、フィリーに噛みつこうとする人間達を、前世の経験と還暦越え故、身につけた図太さで乗り切りつつ、取り巻く人々の問題を解決していく。 しかし、解決すればまた別の問題が浮上するのが人生といふもの。 嫉妬に狂った女だけでもメンドくせぇのに、次から次へと、公爵家にまつわる珍事件?及びしがらみに巻き込まれることとなる…。

地球防衛第八十八班異常なし

天羽 尤
キャラ文芸
近未来。さまざまな外敵(敵国、地球外生命体など)が現れて日本国も軍備を充実させ、対抗する事となり部隊を結成。  そして、その部隊を各地に配置。  八十八班は軍学校の同い年達が集められ結成した班である。 ⭐︎不定期更新 ⭐︎会話文のみかも?

わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますの。

みこと。
恋愛
義妹レジーナの策略によって顔に大火傷を負い、王太子との婚約が成らなかったクリスティナの元に、一匹の黒ヘビが訪れる。 「オレと契約したら、アンタの姿を元に戻してやる。その代わり、アンタの魂はオレのものだ」 クリスティナはヘビの言葉に頷いた。 いま、王太子の婚約相手は義妹のレジーナ。しかしクリスティナには、どうしても王太子妃になりたい理由があった。 ヘビとの契約で肌が治ったクリスティナは、義妹の婚約相手を誘惑するため、完璧に装いを整えて夜会に乗り込む。 「わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますわ!!」 クリスティナの思惑は成功するのか。凡愚と噂の王太子は、一体誰に味方するのか。レジーナの罪は裁かれるのか。 そしてクリスティナの魂は、どうなるの? 全7話完結、ちょっぴりダークなファンタジーをお楽しみください。 ※同タイトルを他サイトにも掲載しています。

真実の愛に婚約破棄を叫ぶ王太子より更に凄い事を言い出した真実の愛の相手

ラララキヲ
ファンタジー
 卒業式が終わると突然王太子が婚約破棄を叫んだ。  反論する婚約者の侯爵令嬢。  そんな侯爵令嬢から王太子を守ろうと、自分が悪いと言い出す王太子の真実の愛のお相手の男爵令嬢は、さらにとんでもない事を口にする。 そこへ……… ◇テンプレ婚約破棄モノ。 ◇ふんわり世界観。 ◇なろうにも上げてます。

殿下、私は貴方のものではありません!

ヴィク
恋愛
――私は絶対に悪役令嬢の運命を生き抜いて、幸せになってやる!! 高貴な血筋と高潔な家柄に生まれた公爵令嬢フィリリアは、生まれながらに、王太子である第一王子の婚約者という名誉ある地位まで将来を約束されていた。 順風満帆に人生を歩んでいくことが疑いようのなかったフィリリアだったが、実は誰にも言えない秘密を抱えており――なんとフィリリアは日本のOLだった前世の記憶を保持していたのだ! 突然、前世の記憶を思い出した事からフィリリアの運命は大きく歪んでいく。 なぜならフィリリアが転生したのは、前世で読んだ小説の中で!? 小説の中でフィリリアは、小説の主人公ヒロインである男爵令嬢シトアと自分の婚約者で小説のヒーローである第一王子の為の当て馬の悪役令嬢をやっていた! しかも嫉妬に駆られてヒロインを虐めた罪で婚約破棄され、挙句公爵家からは破門され追い出されるのだ! 悪役令嬢の役割を受け入れるフィリリアだが、敵であるヒロインのハーレム候補たちは義弟も含まれたチート級の奴等ばかり!! 義弟や婚約者、幼馴染や伯爵子息に発明家等--フィリリアは全ての敵から逃れることができるのか……? ―――― 悪役令嬢ものは初めて書きました! 楽しんで頂けたら幸いです

勝手に期待しておいて「裏切られた」なんて言わないでください。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるイルフェリアは、優秀な姉を持っていたが故に両親から期待されていた。 二人は、彼女が姉と同じようにできるとそう考えていたのだ。 しかしながら、イルフェリアは姉程に優秀な能力を持っていなかった。彼女は平凡ではなかったが、天才ではなかったのである。 それを知った時、両親は「裏切られた気分だ」とイルフェリアに言ってきた。その身勝手な主張に、彼女はずっと苦しんでいたのである。 不慮の事故によって姉が亡くなってから、両親はイルフェリアを今までよりももっと罵倒するようになっていた。 姉を失った行き場のない怒りを、両親は彼女ににぶつけていたのである。 そんなイルフェリアは、姉との婚約を引き継ぐことになった。 しかしその婚約者も、また彼女を姉と比べるような人物であった。 「……勝手に期待しておいて、裏切られたなんて言わないでください」 「……なんだと?」 「別に私は、あなたを裏切ってなんかいません。あなたが勝手に期待しただけではありませんか。その責任を私に求めないでください」 ある時、イルフェリアは積もりに積もった不満を爆発させた。 それを機に、彼女は両親や婚約者といった人々の元から飛び立つことを決めたのである。 こうして、イルフェリアは侯爵家を去ったのだった。

私の人生聞いてくれません?

七転び十起き
エッセイ・ノンフィクション
1989年7月30日33歳無職女 シングルマザー。 これが2022年8月1日時点での私だ。 特に特技もない。お金もない。 ものすごい美人でもない。 汚部屋に暮らすぐぅたらな生活を送っている。 そんな私がなんで小説を書こうと思ったかってそういえば私の人生やりたかった事やってきてないなって思ったから。 だから小説というよりは自叙伝。 昔から波瀾万丈に生きてきたこの人生を 書き留めておきたくなった。 生きる事にただ必死だ。 そんな七転び十起き以上はしてると思う33年間の人生をそのまま思い出す限り書こうと思う。

処理中です...