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「死神のタナトーシス」#08「彼岸花の開花が遅れる頃に」

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9月中旬、僕は久しぶりに棺の中にいた。
閉所恐怖症の人には申し訳ないくらい、僕は棺の中が好きだった。もっと狭くてもいいとすら思う。病院のMRI検査の機械みたいに、鼻が天井につきそうなくらい狭くてもいいと思っていた。
僕のような人間はともかく、生前閉所恐怖症だった人を、死んだからといって狭く暗い棺に閉じ込めてしまうのはいかがなものだろうか。まさに死人に口なしだ。僕がもし閉所恐怖症なら断固拒否したいと思う。その葬儀場や葬儀会社の地縛霊になって、最終的には祟り神になる自信がある。

9月は不思議な時期だ。暦の上では秋なのに、気温も湿度も8月とほとんど変わらない。そのくせ日が落ちるのは日に日に早くなっていく。一か月前は夜の七時はまだ明るかったが、今はもう六時半には外は真っ暗になってしまう。特に今年は残暑が暑すぎて、彼岸花の開花が遅れていると聞いた。

今回の仕事は珍しく破魔矢さんと現場がいっしょだった。もちろん棺は別々だけどね。
依頼人は三十代の夫婦で、ふたりとも自宅のクローゼットの中で首吊り自殺をした、という設定だった。
僕は依頼人の顔そっくりの特殊メイクと、首に縄が深く食い込んだように見えるメイクをして死んだふりをしていた。

毎回思うのだけどKITセレモニーのメイクさんの技術は異常だ。ニンベン師の人たちの公文書偽造の技術も相当すごいけれど、メイクさんたちは本当に僕や破魔矢さんを依頼人の死体に見せるのが上手だった。
鬼頭さんから聞いた話では、以前はドラマや映画で特殊メイクを担当していた人たちらしい。フィクションの中の死体のメイクは視聴者が視聴に耐えられるレベルに抑えてあるらしいが、僕たちのメイクはテレビで見るものとは明らかに違うリアルさがあった。本物の死体を研究しつくしているとしか思えなかった。
破魔矢さんが僕の妹の代わりのタナトーシスをしてくれた時も、顔も体もブヨブヨに膨れ上がった溺死体になっていた。ドラマや映画のきれいな溺死体とは明らかに違っていた。

クローゼットの中での首吊り自殺という設定は、パンデミックの頃を思い出させた。何人もの芸能人が立て続けに自殺していたが、なぜか皆クローゼットの中で自殺していた。
そのほんの少し前までは、クローゼットと言えば自宅に連れ込んだ不倫相手といっしょに隠れる場所のイメージだったのに、なぜクローゼットで自殺をと不思議に思った人がきっとたくさんいたはずだ。
それ以外にもこの三年半の間に何人もの芸能人が自殺している。
いまだにその死を受け入れられない人たちに僕は伝えたいことがある。

あれらはすべて僕や破魔矢さんが引き受けたタナトーシスだ。

自殺したことになっている芸能人たちは、今は名前や顔を変えて別人として生きている。
だから、どうか安心してほしい。

今回の依頼人も芸能人の夫婦だった。
特撮の主演俳優から着実にキャリアを積み、日本を代表する若手人気俳優のひとりとなっていた男性と、テレビで観ない日はないというくらい人気のフリーアナウンサーの女性の夫婦だった。
「結婚してたって知ってた……?」
並んで特殊メイクをされているとき、ふたりの結婚を知らなかった僕は、破魔矢さんに訊ねてみた。正直ショックだった。
「結婚の発表はしてなかったはず……ただインスタで匂わせはしていた……」
彼女は決して僕の顔は見ようとせず、むしろ顔をそむけるようにして、でも一応小声で答えてくれた。うん、平常運転だ。
「そうなんだ……」
「ババパン、天馬くんのファンに、すごく叩かれてたから」
僕はふたりが匂わせをしていたことすら知らなかった。
「田中くんは、ババパンのファンだったの?」
ババパンとは、今回の依頼人の妻の方、フリーアナウンサーの馬場まなみが局アナ時代につけられていたあだ名だ。
「やっぱり、男の人は、ああいう、いつも、あざとい女が好きなの?」
なかなか辛辣なご意見だった。
「ブシテレビの女子アナって、みんな、名前にパンをつけて呼ばれてるの、どうしてか、知ってる?」
「いや、知らないけど。パンつけたらかわいいから? あそこ、かわいい子しか取らないし」
「パンパン女から、来てるんだって。都市伝説YouTuberが言ってた」
「パンパン女って何?」
「娼婦のこと」
聞かなきゃよかったと僕は思った。ひどい風評被害があったものだ。ラッスンゴレライを潰したネット民くらいたちが悪かった。

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