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#27(#07b2)

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「夏目メイさんは、当時小学生だった私にとって、畏怖の対象であると同時に憧れの人だったんです」
目を輝かせて加藤さんは言った。
夏目メイというのが僕の妹の名前だ。夏目は今の両親に引き取られる前の僕の姓でもある。
『先輩はどうしてこんな仕事をしてるんですか?』
行きの電車の中で彼女にされた質問は、夏目メイのような猟奇犯罪者を妹に持つ僕が何故、という意味だったのだ。

僕は彼女のことを見誤っていた。過大評価していた。犯罪者を神格化するような犯罪者予備軍だと知っていたら、彼女と行動を共にしたりはしなかった。僕のような加害者家族が一番関わってはいけないのは、おそらく彼女のような存在だろう。どんな分野でも度を超えたファンやオタクが一番厄介な存在だ。
加藤さんの本性を知って、僕は途端に彼女とどう接したらいいのかわからなくなった。突然態度を変えたりすれば、彼女がどう転ぶかわからない。これまで通り現場で顔を合わせる程度の適度な関係を保ちつつ、気付かれないように徐々にその回数を減らしていくべきだろうか。いっそ、会社をやめてしまうのはどうか。
いや、すでに連絡先をアプリだけとはいえ知られている。住所までは知られていないはずだが、どの辺りに住んでいるかは話したことがあった。彼女が本性を現すまでのこれまでの時間、完璧に計算しつくされた行動を取られてしまっていた。もう僕に出来ることなどなかった。
「この仕事を始めて、初めて先輩と同じ現場になった時は驚きました。先輩のような人が、メイさんを妹に持つ人が、メイさんが一番殺したかった人が、なんでこんなところにいるんだろうって。こんな仕事をしているんだろうって」
その気になれば先輩は国や世界を変えられる人なのに、と加藤さんは力説した。
人殺しが歴史を変えてきたのだと。日本史の教科書にも、蘇我入鹿を殺し大化の改新を成し遂げたのは後に天皇になる人物と藤原氏の始祖となる人物だとはっきりと書かれていると。
「人殺しは妹であって僕ではないよ」
妹の最終目標であった僕は、実験台にされた子どもたちと同じで殺される側の人間だ。手足を切り落とされ、内臓を抉り出されるためだけに生まれてきたようなものだった。加藤さんの言葉通り、国や世界を変えるのが今の時代でも人殺しだとしたら、殺される僕は古い体制の象徴でしかない。
それに妹は、国や世界を変えようなどとは全く思っていなかっただろう。妹は当時まだ中学生だった。おそらく家庭内で唯一の味方だった僕に歪んだ愛情を持つようになり、永遠に自分のものにしたかったのだと思う。ストーカー殺人の犯人の心理と同じだ。そんなことすら考えていなかったかもしれない。もしかしたら妹はただ、僕を殺すことで家庭が壊れるのを見たかっただけかもしれなかった。
「それに、妹が変えたのは、被害者遺族の人生と、僕や僕の家族の人生だけだよ」
「そんなことないです。メイさんは私の絶望しかなかった人生を素晴らしいものに変えてくださいました。メイさんは私にとってキリストやブッダにも等しい存在です」
何を言ったところで、加藤さんには響かないだろうことはわかっていた。彼女にとって妹は文字通り神のような存在であり、自分もそうなりたいと願う理想像なのだろう。
「どうしてこんな仕事をしてるのかって、加藤さんは行きの電車で僕に聞いたね」
加藤さんは名古屋駅に着いても帰ろうとはしなかった。僕と同じ地下鉄に乗り、まるで仲の良い兄妹のように僕の隣に座った。
「妹が医療少年院を出たら、一緒に暮らそうと思ってたからだよ」
僕の一生をかけて、妹の面倒を看るつもりでいた。そのためにはとにかく金が必要だった。読書以外に趣味のない僕は、この仕事を始めてからずっと大学の図書館で本を借りるようにしていて、家賃と光熱費、必要最低限の生活費を除いてすべて貯金していた。僕の通帳にはすでに一千万以上の貯金があった。
一緒に暮らし始めた途端殺されるかもしれないというのに、我ながら馬鹿げた話だと思う。妹が医療少年院で更正したかもしれないなどと期待しているわけではなかった。僕はただ昔のまま妹の味方でいたかった。
「僕ですら内定取り消しばかりだったのに、妹がまともな仕事につけるわけがない。でも、この仕事なら一緒にできる。やるかどうかを決めるのは妹だけど、一応もう先輩、いや、社長か、社長にも妹の話は通してある」
先輩には本当に話を通してあった。
けれど、僕は本当は妹に殺されたいだけなのかもしれない。それで妹に目的を達成させ、司法が成人した妹に対して今度こそ罪に見合った罰を受けさせてくれるというなら、僕の死にも意味が生まれる。唯一生き残っている加害者家族の僕が死に、妹が死刑になれば被害者遺族もさすがに納得してくれる。納得できなくても、もう怒りや喪失感をぶつける対象はどこにもいなくなる。
僕の通夜と葬儀で死を笑ってもらうのは嘲ル者の全従業員でと、先輩に依頼もしてあった。

加藤さんは僕のアパートまでついてくるつもりなのだろうか。
彼女には最寄駅になる地下鉄の駅の名前や卒業した大学近くのアパートに住んでいることくらいしか話してはいなかったが、さすがに別のアパートに住んでいることにはできないだろう。彼女はそこの住人に迷惑をかけかねなかった。
地下鉄の暗い車窓に光が飛び込んできた。
地下鉄東山線は、終点の駅の二つ前くらいの駅から地下鉄のくせに地上を走る。
「先輩は、神を超えたいと考えたことはありますか?」
加藤さんは席を立ち、太陽の光を背中に浴びながら僕に訊ねた。逆光は後光のように見え、その光を浴びた彼女は神々しく、どんな絵画や彫刻の女性たちよりも美しかった。
「僕は神の存在を信じてない。だからそんなことを考えたことはないよ」
加藤さんが神を超えたいと考えているのなら、彼女にとっての神である僕の妹を超える方法はひとつだけだ。
それはとても簡単な方法で、妹が殺せなかった僕を殺せばいい。ただそれだけだった。
「先輩はきっと、こう考えてるんじゃないかな。私がメイさんを超えたいなら、メイさんが殺せなかった先輩を殺せばいいって」
「違うのか?」
予想外の返答に困惑する僕に、
「違うよ?」
屈託のない、子どものような笑顔で、
「私がメイさんを殺して、先輩を私のものにすればいいんだよ」
加藤さんは言った。



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