26 / 123
#26(#07b1)
しおりを挟む
時はおよそ四ヶ月前、八月二七日まで遡る。
加藤さんと最期に仕事をした日だ。
帰りのタクシー代ももちろん僕持ちだった。加藤さんは往復で三千円以上得したことになる。
嘲ル者の日給は二、三万円。日給と言っても実働二、三時間、通退勤の時間を含めてもせいぜい四、五時間だ。時給に換算すればかなり良い。三千円などはした金だが、塵も積もればという言葉もある。それをしっかり回収する彼女のような人がきっと将来金持ちになるのだろう。
「また次の現場も先輩と一緒がいいです」
加藤さんはあざとい顔でそう言って、紙袋を片手に駅のトイレに着替えに行った。きっと相手が男なら誰にでも言っているのだろう。
同性に嫌われるタイプの女の子に見えたが、彼女はたぶんとても頭が良い。学力のことは知らないが、頭の回転の早さやコミュニケーション能力の高さは少し話せばすぐにわかった。
彼女はきっと面倒事になることはうまく避けて生きている。同性の前ではこういう素振りは見せないかもしれないし、僕のような相手にだけこうしているのかもしれない。彼女を決して好きになることがない男が相手なら、どんなあざとい言動も許されるからだ。
トイレから帰ってきた加藤さんは中学生のような子どもっぽい私服を着ていた。大学生どころか高校生にも見えなかった。妹のことを僕はふと思い出した。妹とはもう10年近く会っていない。
「先輩の妹さん、医療少年院を退院したそうですね」
名古屋行きの電車の中で加藤さんは僕に言った。
僕は特に驚かなかった。
「驚かないんですね」
むしろ彼女の方が驚いた様子だった。
「ネットで少し調べれば、僕や僕の家族の情報はいくらでも出てくるからね」
実の妹が人殺しだなんて重い話はそうそう人に出来ることじゃなかったが、ちょうど良い機会かもしれない。
僕が高校生になったばかりの頃、その事件は起きた。
中学生になったばかりの妹は、近所に住むまだ幼い子どもばかりを狙って言葉巧みに連れ出し、廃屋となった民家で実験と称して生きたまま手足を切断したり、臓器を取り出したりし、田舎町を騒然とさせた。
妹にとって子どもたちは本当に実験対象でしかなく、最終目標が僕だったと知ったとき、僕は一度死んだのだと思う。妹に殺されたのだと思う。
殺されるほど兄妹仲は悪くなかったはずだった。むしろ妹は両親や姉と仲が悪く、僕とは仲が良い方だと思っていた。僕は妹が家族の中で孤立してしまうと思い、いつも味方してやっていた。可愛がりすぎたのかもしれない。甘やかしすぎたのがいけなかったのかもしれない。妹に歪んだ愛情を植え付けてしまったのは僕かもしれなかった。
妹が逮捕されると、僕たち家族の住所や氏名、電話番号はすぐにネットに晒された。両親は僕と姉を連れて逃げるようにその街を出た。だが、どこへ逃げてもネットに住所や電話番号が晒された。
何度目かの引っ越しの後、両親はついに離婚し、僕は父に引き取られることになったが、姉は母についていった。父はある日僕を残して姿を消し、僕はその日二度目の死を迎えた。僕を殺したのは父ではなく、やはり妹だった。
母と姉がいつの間にか心中自殺していたのを知ったのは、僕が遠縁の親戚に引き取られた後のことだった。父も母も姉も、僕のように妹に殺されたのだ。苗字を変え、ようやく人並みの生活を手に入れたが、僕の顔写真や旧姓はデジタルタトゥーとして今もネットに残り続けている。
内定をもらっても、誰かがその会社に密告し内定が取り消される。僕の就職活動はその繰り返しだった。僕は妹に何度殺されるのだろう。妹は僕をあと何度殺せば気が済んでくれるのだろうか。
だが、妹についての加藤さんの情報は初耳だった。僕は自分からわざわざ誹謗中傷を調べに行き、勝手に傷ついては自殺を考えるような次元にはもういなかったからだ。そういうことは母と姉が心中したことを知った時に卒業した。僕はSNSもやらないし、エゴサーチもしない。しても僕にとって都合の良い事など何もないからだ。
僕が驚かなかったのは、事件からすでに10年が経過していたからだった。妹が出てきていても何らおかしくはなかった。
「最近、どの都道府県でも、うちの県に出所した少女Aが、顔と名前を変えて潜伏してるって噂になっているみたいです。都市伝説ってやつですかね。陰謀論じみた話だと、政府が秘密裏に妹さんのクローンを四六人も作ったとかそんな話もありました」
「僕の妹が、そんなアイドルグループみたいに四十何人もいたら、この国はもう終わりだよ」
加藤さんはなるほどと感心した様子で、
「この服、ネットに上がってた写真で見た、妹さんが着てたものを通販で探してみたんです。どうですか?似合いますか?」
突然そんなことを言った。
「十年近く前の服なのに、よくまだ売ってたね」
道理で中学生にしか見えなかったわけだ。
彼女が何を考えて、何故そんな姿を見せたのか、僕には全く理解ができなかった。
嘲ル者の会社を起こした時、お前とは長い付き合いになりそうだと言った先輩も、妹が人殺しだということを知っていた。僕の就職活動がうまくいかないだろうことを先輩は見越していたのだ。
内定をもらった企業に密告しているのは先輩ではないかと疑ったこともあったが、彼にそれをするメリットはない。メリットなどなくともする者はするのだが、先輩にとって僕を自社にスカウトするのはデメリットしかなった。いつでも僕を切れるよう、契約社員という立場を選んだ僕に、先輩は正社員雇用を勧めてくれたりもした。だから先輩ではない。
先輩のことは今でも苦手だが、恩義を忘れたことはなかった。
加藤さんと最期に仕事をした日だ。
帰りのタクシー代ももちろん僕持ちだった。加藤さんは往復で三千円以上得したことになる。
嘲ル者の日給は二、三万円。日給と言っても実働二、三時間、通退勤の時間を含めてもせいぜい四、五時間だ。時給に換算すればかなり良い。三千円などはした金だが、塵も積もればという言葉もある。それをしっかり回収する彼女のような人がきっと将来金持ちになるのだろう。
「また次の現場も先輩と一緒がいいです」
加藤さんはあざとい顔でそう言って、紙袋を片手に駅のトイレに着替えに行った。きっと相手が男なら誰にでも言っているのだろう。
同性に嫌われるタイプの女の子に見えたが、彼女はたぶんとても頭が良い。学力のことは知らないが、頭の回転の早さやコミュニケーション能力の高さは少し話せばすぐにわかった。
彼女はきっと面倒事になることはうまく避けて生きている。同性の前ではこういう素振りは見せないかもしれないし、僕のような相手にだけこうしているのかもしれない。彼女を決して好きになることがない男が相手なら、どんなあざとい言動も許されるからだ。
トイレから帰ってきた加藤さんは中学生のような子どもっぽい私服を着ていた。大学生どころか高校生にも見えなかった。妹のことを僕はふと思い出した。妹とはもう10年近く会っていない。
「先輩の妹さん、医療少年院を退院したそうですね」
名古屋行きの電車の中で加藤さんは僕に言った。
僕は特に驚かなかった。
「驚かないんですね」
むしろ彼女の方が驚いた様子だった。
「ネットで少し調べれば、僕や僕の家族の情報はいくらでも出てくるからね」
実の妹が人殺しだなんて重い話はそうそう人に出来ることじゃなかったが、ちょうど良い機会かもしれない。
僕が高校生になったばかりの頃、その事件は起きた。
中学生になったばかりの妹は、近所に住むまだ幼い子どもばかりを狙って言葉巧みに連れ出し、廃屋となった民家で実験と称して生きたまま手足を切断したり、臓器を取り出したりし、田舎町を騒然とさせた。
妹にとって子どもたちは本当に実験対象でしかなく、最終目標が僕だったと知ったとき、僕は一度死んだのだと思う。妹に殺されたのだと思う。
殺されるほど兄妹仲は悪くなかったはずだった。むしろ妹は両親や姉と仲が悪く、僕とは仲が良い方だと思っていた。僕は妹が家族の中で孤立してしまうと思い、いつも味方してやっていた。可愛がりすぎたのかもしれない。甘やかしすぎたのがいけなかったのかもしれない。妹に歪んだ愛情を植え付けてしまったのは僕かもしれなかった。
妹が逮捕されると、僕たち家族の住所や氏名、電話番号はすぐにネットに晒された。両親は僕と姉を連れて逃げるようにその街を出た。だが、どこへ逃げてもネットに住所や電話番号が晒された。
何度目かの引っ越しの後、両親はついに離婚し、僕は父に引き取られることになったが、姉は母についていった。父はある日僕を残して姿を消し、僕はその日二度目の死を迎えた。僕を殺したのは父ではなく、やはり妹だった。
母と姉がいつの間にか心中自殺していたのを知ったのは、僕が遠縁の親戚に引き取られた後のことだった。父も母も姉も、僕のように妹に殺されたのだ。苗字を変え、ようやく人並みの生活を手に入れたが、僕の顔写真や旧姓はデジタルタトゥーとして今もネットに残り続けている。
内定をもらっても、誰かがその会社に密告し内定が取り消される。僕の就職活動はその繰り返しだった。僕は妹に何度殺されるのだろう。妹は僕をあと何度殺せば気が済んでくれるのだろうか。
だが、妹についての加藤さんの情報は初耳だった。僕は自分からわざわざ誹謗中傷を調べに行き、勝手に傷ついては自殺を考えるような次元にはもういなかったからだ。そういうことは母と姉が心中したことを知った時に卒業した。僕はSNSもやらないし、エゴサーチもしない。しても僕にとって都合の良い事など何もないからだ。
僕が驚かなかったのは、事件からすでに10年が経過していたからだった。妹が出てきていても何らおかしくはなかった。
「最近、どの都道府県でも、うちの県に出所した少女Aが、顔と名前を変えて潜伏してるって噂になっているみたいです。都市伝説ってやつですかね。陰謀論じみた話だと、政府が秘密裏に妹さんのクローンを四六人も作ったとかそんな話もありました」
「僕の妹が、そんなアイドルグループみたいに四十何人もいたら、この国はもう終わりだよ」
加藤さんはなるほどと感心した様子で、
「この服、ネットに上がってた写真で見た、妹さんが着てたものを通販で探してみたんです。どうですか?似合いますか?」
突然そんなことを言った。
「十年近く前の服なのに、よくまだ売ってたね」
道理で中学生にしか見えなかったわけだ。
彼女が何を考えて、何故そんな姿を見せたのか、僕には全く理解ができなかった。
嘲ル者の会社を起こした時、お前とは長い付き合いになりそうだと言った先輩も、妹が人殺しだということを知っていた。僕の就職活動がうまくいかないだろうことを先輩は見越していたのだ。
内定をもらった企業に密告しているのは先輩ではないかと疑ったこともあったが、彼にそれをするメリットはない。メリットなどなくともする者はするのだが、先輩にとって僕を自社にスカウトするのはデメリットしかなった。いつでも僕を切れるよう、契約社員という立場を選んだ僕に、先輩は正社員雇用を勧めてくれたりもした。だから先輩ではない。
先輩のことは今でも苦手だが、恩義を忘れたことはなかった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
片翅の火蝶 ▽半端者と蔑まれていた蝶が、蝋燭頭の旦那様に溺愛されるようです▽
偽月
キャラ文芸
「――きっと、姉様の代わりにお役目を果たします」
大火々本帝国《だいかがほんていこく》。通称、火ノ本。
八千年の歴史を誇る、この国では火山を神として崇め、火を祀っている。国に伝わる火の神の伝承では、神の怒り……噴火を鎮めるため一人の女が火口に身を投じたと言う。
人々は蝶の痣を背負った一族の女を【火蝶《かちょう》】と呼び、火の神の巫女になった女の功績を讃え、祀る事にした。再び火山が噴火する日に備えて。
火縄八重《ひなわ やえ》は片翅分の痣しか持たない半端者。日々、お蚕様の世話に心血を注ぎ、絹糸を紡いできた十八歳の生娘。全ては自身に向けられる差別的な視線に耐える為に。
八重は火蝶の本家である火焚家の長男・火焚太蝋《ほたき たろう》に嫁ぐ日を迎えた。
火蝶の巫女となった姉・千重の代わりに。
蝶の翅の痣を背負う女と蝋燭頭の軍人が織りなす大正ロマンスファンタジー。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚
山岸マロニィ
キャラ文芸
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
第伍話 連載中
【持病悪化のため休載】
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
モダンガールを目指して上京した椎葉桜子が勤めだした仕事先は、奇妙な探偵社。
浮世離れした美貌の探偵・犬神零と、式神を使う生意気な居候・ハルアキと共に、不可解な事件の解決に奔走する。
◤ 大正 × 妖 × ミステリー ◢
大正ロマン溢れる帝都・東京の裏通りを舞台に、冒険活劇が幕を開ける!
【シリーズ詳細】
第壱話――扉(書籍・レンタルに収録)
第弐話――鴉揚羽(書籍・レンタルに収録)
第参話――九十九ノ段(完結・公開中)
第肆話――壺(完結・公開中)
第伍話――箪笥(連載準備中)
番外編・百合御殿ノ三姉妹(完結・別ページにて公開中)
※各話とも、単独でお楽しみ頂ける内容となっております。
【第4回 キャラ文芸大賞】
旧タイトル『犬神心霊探偵社 第壱話【扉】』が、奨励賞に選ばれました。
【備考(第壱話――扉)】
初稿 2010年 ブログ及びHPにて別名義で掲載
改稿① 2015年 小説家になろうにて別名義で掲載
改稿② 2020年 ノベルデイズ、ノベルアップ+にて掲載
※以上、現在は公開しておりません。
改稿③ 2021年 第4回 キャラ文芸大賞 奨励賞に選出
改稿④ 2021年
改稿⑤ 2022年 書籍化
下宿屋 東風荘 6
浅井 ことは
キャラ文芸
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*°☆.。.:*・°☆*:..
楽しい旅行のあと、陰陽師を名乗る男から奇襲を受けた下宿屋 東風荘。
それぞれの社のお狐達が守ってくれる中、幼馴染航平もお狐様の養子となり、新たに新学期を迎えるが______
雪翔に平穏な日々はいつ訪れるのか……
☆.。.:*°☆.。.:*°☆.。.:*°☆.。.:*☆.。.:*゚☆
表紙の無断使用は固くお断りさせて頂いております。
神様に愛されてる巫女のわたしはずっと悪神に恋してる。 ー 隠れ子と鬼と神隠しの巫女 ー
雨野 美哉(あめの みかな)
キャラ文芸
M県Y市にある西日野神社の巫女、西日野珠莉は、烏鷺慈雨由良波斯射大神という神の寵愛を受けていた。
そんな彼女の前に、初恋の相手であるウロジューユ・ラハ・スィーイという少年が現れ、巫女と神、そして悪神の、手に汗握り血で血を洗う三角関係が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる