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依頼人の弟と妹もまた彼と同じ挫折から人生が始まっていたにも関わらず、要領よく生きる術を見つけたのか、それぞれすでに実家を離れており、結婚こそしていなかったが、それなりの社会的地位についていた。
そのため、同じ境遇で育ったはずのふたりは彼の味方にはなってくれなかったようだ。ふたりにとっては、彼はこうなってはいけないという反面教師でしかなく、たまに実家に帰ってきても母親同様父親の機嫌を損ねないよう、母親同様言いなりになるだけだったのだろう。
彼にとって家族はすべて敵だったが、その家族が彼が一生引きこもりを続けられるだけの金を残したのは、なんとも皮肉な話だった。
「殺しの依頼は受け付けてないんですか?1000万でも2000万でも払いますよ」
と、彼は依頼受付担当に言ったという。どうやら彼は僕らを違法な仕事を請け負う反社会的組織だと勘違いしていたらしい。
「どうしても殺してほしい相手がいるんですよ。まぁ、おたくで駄目だって言うならダークウェブか何かで適当に殺し屋を探すだけですけどね。映画みたいに簡単に依頼できる殺し屋協会とか女子高生の殺し屋とか本当にいたらいいのになぁ。いないんだろな、そんなのは」
彼が殺したいのは、彼のことを一番気にかけていたという従姉妹だった。彼女がハワイで結婚式をあげようとしたのは、非日常の象徴のようなハワイなら招待すれば彼が来るんじゃないかと考えたかららしい。
「嫌ですよ、ハワイなんて。俺、つい最近ゲームでハワイ行ってるんですよ。ヤクザくずれの日本人はいるし、向こうのマフィアだかギャングだかに命を狙われるし、財布やパスポートはすられるし、ホント災難でしたよ。ハワイが本当にいいところだとしても、この部屋の窓の外まで迎えが来るならいいですよ。でもセントラル空港まであいつらといっしょに電車やら何やらで行かなきゃいけないじゃないですか。無理に決まってるじゃないですか。そもそも俺はあいつが結婚とか寝耳に水でしたからね。たまにうちに来ても、ドア越しに話したりしたけど、あいつは一言も俺に彼氏の話とかしなかった。あいつは裏切り者です。生かしておいちゃだめでしょ」
男は従姉妹と幼い頃結婚を約束したことがあったそうだ。だが、その約束は半径数メートルがこの世界のすべてのような何も知らない子どもがしたものだ。三十年近い月日が過ぎてもいた。当然彼女の方はそんな約束のことはすっかり忘れており、結果彼から逆恨みとしか言いようのない恨みを買うことになった。
だが、彼女にも非はあった。あまりにも引きこもりやニートというもののことを知らなすぎた。親身になるのであれば最低限の勉強をするべきだったろうし、それをしないのなら親身になってはいけなかった。放っておけばよかったのだ。
その彼女も葬儀の場にいた。結婚式が中止になっただけではなく、まだ婚姻届を出していなかったため、相手方の両親や親戚から強い反対もあって結婚そのものが破談になっていた。すべては彼女が彼を部屋から連れ出すきっかけを作ろうとしたために起きた悲劇だった。得をしたのはたったひとり。依頼人の男だけだった。
「俺がお前をもらってやるよ。お前のおかげで一生遊んで暮らせる金が手に入ったからな。中古の処女をもらってやるんだから、ありがたいと思って一生俺に尽くせよ」
男は葬儀の場で大声でそう言った。耳を疑うような暴言だったが、彼は夫というものを父親しか知らなかったのだから、そういう発言が出てしまうのは仕方のないことかもしれなかった。DVは親から子へと受け継がれると相場が決まっている。モラハラもきっとそうなのだろう。遺伝子がそうさせているのかもしれない。
坊さんが唱えるお経の中、平手打ちの音が大きく響いた。
僕も名古屋さんも、その平手打ちは従姉妹の女性によるものだと思った。だが、そうではなかった。彼女はあまりの暴言に言葉を失い、呆然としていただけだった。
名古屋さんの隣に座っていたはずの大塚さんの姿がないことに気づいた僕は、依頼人に平手打ちをしてしまった彼女を羽交い締めにし、名古屋さんの手を借りて彼女を葬儀場から引きずり出した。
大塚さんは荒い息をしながら大粒の涙を流し、名古屋さんは大きくため息をついた。
「だから言ったでしょ。感情移入しすぎちゃだめって」
大塚さんは僕が差し出したハンカチで涙を拭いながら、
「それは依頼人にって話でしょ!?」
名古屋さんに食ってかかった。
「私が感情移入したのは依頼人じゃない!式も結婚すらなくなって、式に招待した人がたくさん死んじゃったあの人!どうしてあの人があんな男にあそこまで言われなきゃいけないの!?」
名古屋さんはもう一度ため息をつき、
「お子さまには付き合っていられないわ」
スマホでタクシーを二台呼んだ。
僕に今回の依頼は失敗したこと、事の経緯を会社に説明するように言うと、
「その子のお守りは任せたわ」
さっさとタクシーに乗り込み、その場を去っていってしまった。
僕は泣きじゃくる大塚さんを慰めながら、遅れてやってきたもう一台のタクシーに乗り込んだ。
「三年前、この街で殺人事件があったでしょう?ほら、中学生が同級生を学校で殺した事件ですよ」
見覚えのある運転手が空気も読まず三度つまらない話をし始め、僕は黙れと一喝した。
「大塚さんは人としては間違ったことはしてないよ」
僕は彼女にそう声をかけた。相手が依頼人じゃなかったら、とは言わなかった。彼女がしたことは社会人として失格だった。彼女が嘲ル者だということが依頼人に知られれば、あの男は会社にクレームを入れるだろう。さすがにクビにはなることはないだろうが、それなりの処罰が下るだろう。だがそれは今、僕が彼女に伝えることではなかった。僕が今すべきことは、彼女に寄り添うことだ。そう思った。
大塚さんは僕の手をぎゅっと握り、
「佐野さんは優しいですね」
泣き腫らした目で僕を見上げた。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳や小ぶりな鼻や唇、赤く染まった頬、僕はそのとき初めて彼女の顔をちゃんと見たことに気づいた。
「佐野さんと二人きりで話がしたいです」
彼女は僕の耳元で呟いた。
「ホテルに行きませんか?」
そんな風に女の子から誘われるのは、初めてのことだった。

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