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本当に欲しいもの 〜火星に行くのは拗ねたからじゃない

自覚症状

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2112年 1月


 紅を差したわけでもないのに色鮮やかな口唇が、核心をつくように寄せられる。唇に触れ、分け入る舌先が同じそれを捕らえて絡み、離れる間際に柔らかな香りを残し、頬を、耳朶を滑り落ちる。

「……っ…」

 自然とこぼれる声は喉奥で更なる感覚を求め、左首筋から肩へと移る口付けに、身もだえる。

「……ん………」

 口付けより先に触れているのは、その涼やかな金茶の髪。滑らかな指先。

「アーネスト……」

 思わずその名を呼ぶと、肩口を軽く甘噛みされ、ぞくりと震えるような快楽に、しかし、ショーティ・アナザーは目を覚ました。

 途端、耳に響いていた葉音が、風がぴたりと止む。目に飛び込んだのは狭い1ルームの天井。至ってシンプルな作りの窓から差し込んでいた夕日はいつの間にか沈み、今、室内は作られた闇に覆われていた。

「っ!」

 咄嗟に枕を手にとり、それを目いっぱいの力で壁へと投げつける。

【バン!】

 大きな音を立てて床へと落ちるその様さえも苛立ちは募る。

 軽いうたた寝の代償は8月の甘い記憶。人の群れから離れてひっそりと暮らした夏のコテージ。
 そして恋しい人に抱かれた、いや、恋しいと自覚してから初めて抱かれた、ただ唯一の記憶。

「9、10、11、…12、1月……」

 その記憶からこちら、指折り数えて5ヶ月。————珍しいばかりの禁欲生活だった。

『それに、そういう相手は僕じゃなくても、いるだろう?』

 どこか淡々とした表情で告げる言葉が、事実なだけに苛立ちを募らせる。

 いるよ、まぁそれなりには。仕方がないじゃないか。

 そうつぶやくも、ため息がこぼれる。アーネストが淡泊すぎるんだ、と悪態さえこぼれ出る。とはいえ、多分、ショーティよりもアーネストの方が手馴れているのだろう、とも思う。

 キス一つで篭絡された十代のあの日。あんなにきれいな人に抱かれてしまったら、そうそう満足なんてできやしない。だから、だろうか。アーネストはそういう相手を作らない。ショーティの知らないところでいるのかもしれないが、多分、いない。今現在、サリレヴァントの代表取締役にして注目の的。ただでさえ取り入ろうとする人が多いのに、特定の誰かをつくるメリットそして遊ぶデメリットを考えると、簡単に想像はつく。

「じゃ、やっぱり僕がいたほうがいいじゃないか」

 思わずつぶやいたが、同時に思い出したのは、

『大切な友人…だから』

 抱かない、と結論付けた答え。

「やばい、また腹が立ってきた」

 多分、大切に思ってくれていることを喜ぶべきなのだろう。……そうなのだろうが、今まで友人だと思っていた自分の立場が、足元が、不安定で落ち着かなくて、悲しくて……。

「ああ、そうか」

 ショーティはつぶやいた。

 悲しいのか。自分は。

『ここ半年はいないよ!』

 思わず叫んだ言葉。そんな言葉、アーネストには何の意味もなさないのだろう。……もちろんわかってはいる。わかっているけれど感情は別のもの。

 ずっと、年明けからずっと、考えては怒り、悲しむの悪循環を繰り返している。

 透にはあんなに大見得を張ったのに、これじゃ不甲斐ないばかりだ。

 けれど……動けない。仕事をしていても友人たちと酒を飲んでいても、軽く誘われても、ほかの人では何かが足りなかった。それが何かはわからない。それでも、欲しいのは彼だけで。

 夢に見る程……。

 子供じゃないんだから、と言い聞かせてみても、そうそう大人だと言える年でもなく、年齢以上に行き場のない想いに翻弄される。

 滑らかな指先で、頬を腕を胸元を、確認するように滑らせる。けれど、やはり感覚は自分自身のそれでしかなく、空しさが心を支配する。

「やばいな…」

 自覚はあった。

 肉食獣とて、これ程えり好みをするだろうか。

 しないだろうな。

 苦笑を浮かべると、やや伸びた栗色の髪の隙間で、茶色の瞳が怪しげな光を放つ。鏡など見なくとも自分がどれ程浅ましい顔をしているかなど、充分に知りえていた。

 消せるとは思えない。むろん、消そうとは、早、思ってもいない。

 ショーティ・アナザーは身につけていた服を無造作に脱ぎ捨て、シャワールームへと消えた。そしてきっちり5分後、バスローブを纏い出てくる。

 更に5分後、新しい服に腕を通す彼は、軽く髪をかきあげ、仕事の都合上借りているホテルの部屋を後にするのだった。




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