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第1章 転生令嬢たちは決意する。
【幕間】悪役令嬢と婚約者
しおりを挟むアーテルは落ち着かない様子で窓の外の景色を眺めた。
流れる景色に、ガタゴトと体に響く振動。
クレヴィング侯爵家へと向かう馬車の中だった。
(あまりに真意が読めなさすぎて思わず承諾してしまったけれど⋯⋯直接謝罪もしたかったし)
彼女の婚約者アドルファスの、一対一でのお茶会のお誘いのことだ。それへの疑念はまだ消えていない。
それでもこうして繰り出してきたのは、さすがに前回のお茶会の去り方が無礼極まりなかったからだ。
(でも今回は大丈夫よ。ルチアは家だし、ドレスも新調したし!)
今アーテルが身にまとっているのは、柔らかな素材の淡いピンクパープルのドレスだ。昼間のお茶会でも合う雰囲気のものである。
家令に頼んで新調してもらったのだが、散財だと難色を示されるかという予想に反し、あっさりと応じてくれた。
『この先も必要となるものですし、問題ないでしょう。私としては、もっと早くにご用意していただきたかったのですが』
実母の代から伯爵家に仕える家令はそう言った。
耳に痛いことも平気で言う彼のことを以前は苦手だったのだが、今ではむしろ頼もしく思うほどだ。
お父様とお義母様にはくれぐれも内密に、と付け加えれば、彼は仏頂面を返した。
『何もせずとも、奥様の他の請求書に紛れて不審にも思われませんよ』
なんて、苦々しげに言っていた。
そんなこんなで未婚の貴族令嬢らしいドレスを数着新調したのだ。
あわせて、侍女には化粧を控え目にしてもらった。
もともとの白い肌を活かすために白粉は控えめに、ドレスの色の淡さに合わせて目の回りに指す色や口紅の色を選び、頬紅は血色を出す程度に淡くふんわりと乗せる。
今まではドレスの色の強さに張り合うためにきつい化粧にせざるを得なかったが、やっと、いわゆるナチュラルメイクにできたのだ。
『お、お美しいですわ、アーテル様⋯⋯!』
なんて、アーテル付きの侍女は感嘆していたが。
確かに、もともと目鼻立ちのはっきりした強めの美人顔のアーテルは、化粧が控えめでも充分に映えた。
むしろ、今までは化粧が濃すぎて相手を威圧するような迫力しかなかったのが、直視できる程度に落ち着いた。
それで尚更、もとの顔の良さが引き立っているのだ。
(自分でも以前の化粧をした顔は、鏡を直視できなかったのだもの。周りにしてみれば恐怖だったわよね⋯⋯)
などと現実逃避の物思いにふけっている内に、とうとう馬車は侯爵邸にたどり着いてしまった。
どんよりと重い気持ちのまま、使用人の手を取って馬車を降りる──と、お屋敷前にもう一台馬車が停まっていることに気づいた。
クレヴィング侯爵家の紋章があしらわれている。
「おや、これはこれは⋯⋯」
ちょうどその馬車に乗り込もうとしていた金髪の人物が、アーテルに気づいて振り向いた。
アドルファスよりも明るい金髪に、青い瞳。年齢は少し上だろう。
「その馬車の紋章⋯⋯もしや、ヴェインローゼ伯爵家のご令嬢でしょうか?」
「はい。アーテル・ヴェインローゼと申します」
淑女の礼を取るアーテルに、相手は笑った。
「噂通りお美しい。⋯⋯あいつにはもったいない」
礼から顔を上げたアーテルは相手の顔を見て──内心、顔をしかめた。
そのくらい、見ていてぞっとするほどに憎々しげな表情をしていたのだ。
だが、アーテルはその動揺を表に出さず、控えめに、いかにもご令嬢らしく微笑んでみせた。
「もったいないお言葉ですわ」
「アーテル嬢!」
名を呼ばれて振り向くと、珍しくも焦った様子のアドルファスだった。
だが彼は、アーテルと目が合うとその青い目を見張った。
「アーテル、嬢?」
「はい」
「ああ、いや、⋯⋯失礼」
返事をすれば、アドルファスは呆気に取られた風だった表情を据えた。
彼が視線を向けた先、アーテルに声をかけた御仁がいる。
彼はひどく不機嫌そうな顔をしていた。
「先に彼女と話していたのは私だというのに。横から割り込んでくるとは、本当に生意気なやつだ」
「⋯⋯失礼しました、兄上。ですが、本日彼女は私のお客人ですので」
アドルファスの言葉にアーテルははっとした。
兄上ということは、二人いるらしい兄の一人なのだろう。
「兄上などと呼ぶな。薄汚い身分の分際で」
「⋯⋯アーテル嬢の前です。申し訳ありませんが」
「ふん。⋯⋯またお会いしましょう、アーテル嬢。次はこの身の程知らずのおらぬときに」
アーテルは咄嗟に何も言い返せなかった。それでも、辛うじて頭を下げる。
アドルファスの兄はそのまま馬車に乗り込み、やがて馬の軽快な足音と車輪の音を響かせながら遠ざかっていった。
「⋯⋯申し訳ありませんでした、アーテル嬢。兄が失礼を」
「いえ⋯⋯どうか、アドルファス様はお気になさらず」
弟らしいアドルファスに対して、まったく友好的でない態度ももちろんだが──それ以上に先程の言葉がアーテルを動揺させていた。
初対面の令嬢の名を勝手に呼び、それどころか婚約者の目の前で親密になろうというような発言までしたのだ。
はっきり言って、非常識極まりないにも程がある。
(格上の侯爵家とはいえ、とんでもないお義兄様というわけね⋯⋯)
非常識はうちの両親だけで充分なのだが、と。
アーテルは内心でため息をついた。
◇
アドルファスは動揺していた。
原因は、彼の前で優雅にお茶を飲む一人の令嬢だ。
(これは⋯⋯もはや詐欺だろう)
満開の薔薇の色を閉じ込めた瞳を伏せれば、白い肌に長い睫毛が影を落とす。
アドルファスの貧相な語彙力では、絶世の美女としか表現できない女性。
いつものように毒々しい色のドレスを着ず、けばけばしい化粧を止めれば、こんなにも可憐な女性に化けるなど知らなかった。
以前までの彼女が手塩にかけて咲かせた大輪の薔薇であったなら、今の彼女は野に咲く素朴な野薔薇だ。
どちらが好みは人によるのだろうが、間違いなく、今の彼女はアドルファスの好みだった。
そもそも自分の好みの女性のタイプなど、今初めて意識したのだが。
しかも、いつものように刺々しい態度ではなく、常に柔らかな微笑を浮かべ、物腰柔らかに言葉を返す姿は、その可憐な姿に見合うものの、はっきり言って見た目同様に別人だ。
そのとんでもない差に、どうもアドルファスの頭がついていけていないようだ。
(⋯⋯まずい。気の利いたことがまったくできない)
普段は外面を気にして好青年ぶっているものの、実際は朴念仁もいいところのアドルファスは、美しい少女との接し方に困り果てていた。
(⋯⋯⋯⋯気まずい)
アーテルは目を伏せて、そっと紅茶を飲んだ。
何とも言えない沈黙が漂う。
アドルファスの案内で車止めから移動したのだが、通されたのは本邸ではなく、それよりも少し小さな別邸らしき建物の応接室だった。
アーテルは毎回のことながら、その対応に今回も内心で首を傾げた。
(⋯⋯私のことを本邸に通したくないから、ということなのかしら)
アドルファスに誘われて侯爵邸に伺うときは、いつも本邸ではなく別邸に通されているのだ。
だからこそ以前のアーテルは、馬鹿にされていると尚更足が遠のいていたのだが。
(だけど、この方がそんな遠回しな嫌がらせをするとは思えないのよね)
向かいに座る青年をちらりとうかがった。
顔のつくりは荒削りながらも整っており、いかにも精悍という言葉が似合う。
第二王子から侍従に選ばれただけあり、かなり有能な人物だということと、変わり者と評される王子殿下によく尽くす忠義に厚い人物という評判を聞いていた。
彼と接したごく少ない記憶からも、いくら婚約者が気に入らないとはいえ、そのような幼稚な嫌がらせをするとは思えない。
だから、理由に想像がつかないのだ。
本邸に何かあるのだろうかとも思うのだが、彼との関係性を思うとどうにも訊きづらい。
(しかも、今日はかなり不機嫌なご様子だし)
普段は微笑を絶やさずあれこれ話題を振ってくれるのに、今日に関してはいやに口数が少ない。
しかも表情が硬い──という言い方は好意的過ぎるか。完全に仏頂面なのだ。
なぜだろうと理由を考えれば、どうしても先程の長男だと聞いた人物との遭遇だと思わざるをえない。
お互いにいかにも何かありますという態度だったのだ。無関係だとは思えない。
(そういえば、アドルファス様のお父君である侯爵様について、いろいろ噂があったわね)
奥様との間になかなか御子を授かれず、妾のような女性を侍らせたとか、色んな女性に手を出したとか。
兄弟の確執が垣間見えたのにもその辺りが関わっているのだろうか。
(⋯⋯それでも、いつものどこか薄っぺらいような笑顔を張り付けているよりは、多少無愛想でもこちらの方がいいかも)
アーテルは内心そんなことを思いながら、当たり障りのない話題を振る。
アドルファスも、いつもよりどこかぎこちないながらも話に乗る。
──お茶会は、互いの想いが少しだけすれ違いながらも、淡々と進んだのだった。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
いつもお読みいただきありがとうございます!
これで第1章はおしまいで、次は学院生活編の第2章になります。
書きだめがあまりないため、申し訳ないですが2章の開始まで少々お時間をいただくかもしれませんが、お待ちください。
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