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【過去話①】稀代の悪女となる少女
しおりを挟む娘から、半年弱の間同じ屋敷で過ごした少女の行く末を聞いた後も、心の内に浮かぶのは別の少女の姿だった。
メリルと同じ髪と瞳の色をした少女──彼女の面影は、20年近くが経った今も鮮明だ。
シンシアは、微かに眉を顰めながら目を細め、今は亡きその姿に語りかける。
──貴女にとって、あの娘はどんな存在だったの?
今の姿をどう思っているのかしら?
記憶の中の少女──マリアナは、当然ながら何も答えず、ただあざとく可愛らしい笑みを浮かべていた。
シンシアが彼女に初めて会ったのは、ヴァリシュ魔法学院の中庭だった。
彼女は男子学生と共にいて、最初はそのあまりの距離の近さに思わずまじまじと見てしまったのだ。
貴族令嬢にあるまじき距離感と、はしたないと叱責されそうな行動の数々に、呆然と見つめてしまったのを憶えている。
そしてすぐに、そのはしたない少女はマリアナといって、20数年ぶりに魔法学院に入学した平民の少女であると知った。
それであのような言動なのかと納得した。──淑女らしくないと言うまでもなく、そのような教育を受けてすらいなかったからなのだと。
彼女に関する噂は多く、以前に見かけたような、奔放としか言いようのない言動の数々も耳に入った。
その一方で、彼女が接する男子学生は皆、その無礼さに眉を顰めるでもなく、眦を下げ鼻の下を伸ばすことを不思議に思った。
「まったく、わたくしという婚約者がありながら、あのようにだらしのない顔をなさって、恥ずかしいですわ」
「本当に。マリアナさん、だったかしら?彼女も彼女よ。分不相応ではしたない方だこと。さすがに平民ね、淑女としての教育がまったくなっていないわ」
そんな風に、彼女の虜になった貴族子息を嘆き、惑わす彼女に対する陰口もたくさん聞いた。
それでも、そんな風に彼女が軽薄に接するのは一部の子息だけで、それ以外にはぎこちないながらも貴族社会の礼節を払うようにしているようだった。
特に、同性の令嬢に対しては、きちんと礼儀を弁えて接しているように、シンシアには見えた。
だから、彼女が悪いというよりは、平民は貴族令嬢よりも気楽に気安く接することができるだろうと、そんな下心をもって近づいているような子息たちが悪いのではないか──などと、彼女を擁護するような考えすらもつほどだった。
そんな風にどこか遠くの出来事のように思え、そのような話にも当たり障りのない相槌を打てていたのは、彼女とはクラスも違うし、接する機会がなかったからだったのだろう。
しかしその無関心さも──自分の婚約者であるトビアス・フィングレイ侯爵子息が、彼女に骨抜きにされるまでだった。
一部の男性との接し方のせいで、学院の女子学生と仲良くなることのできなかった彼女は、いくつかの貴族子息の仲良しグループを、花を渡り歩く蝶のように点々としていた。
やがて、彼女は当時の王太子とその覚えめでたき4人の令息たちのグループに留まったのだ。
そしてそこには、自分の兄と、自分の婚約者とが含まれていた。
「──マリアナさんと仲がよろしいのですか?」
違う学年であるために、学院内ではあまり接点をもつことができないため、シンシアは定期的に婚約者と二人きり─もちろん給仕等のための使用人はいるが─でのお茶の席をもっていた。
数週間ぶりのその時間にも上の空な婚約者に思わずそう尋ねれば、彼はそれまでの様子が嘘のように、眦を釣り上げてシンシアを見た。
「お前もかシンシア!まさか、かのプライセル公爵家の令嬢ともあろう者までそのようなことを申すとは!」
そのように突然怒気をぶつけられても、なんとか話題を探そうとしただけだったシンシアは、面食らうばかりだった。
「何故そのように突然お怒りになるのですか?私はただ、この間トビアス様たちと一緒にマリアナさんがいらっしゃったのをお見かけしたので、お尋ねしただけですわ」
「⋯⋯マリアナが、誰かと仲良くしようとすると、必ずやっかむ者がいると言っていた。可哀想に、最近は嫌がらせまでされているそうだ。──まさか、お前も」
親の仇のように睨むトビアスに、シンシアは慌てて否定した。
「そのようなこと、誓って致しておりませんし、この先も致しませんわ!」
「ふん、どうだか。女の嫉妬は醜いと言うからな」
憎々しげに彼は言うが──相手が婚約者とはいえ公爵家の令嬢だと分かっているのだろうか?
彼の家は侯爵家。崇め奉れとまでは言わないが、格下の家の者がとる態度でもないだろう。
──多少愚かな方がいい。亭主関白になるよりは、尻に敷く方がお前もやりやすいはずだ。
この婚約を取り決める際に、そんなことを言っていた父を思い出す。
それにしても愚かすぎる気がしますと、その面影に文句を言っておいた。
そんな出来事があり、多少と言わず愚かな婚約者に危惧をもったからこそ──あのマリアナという少女を調べようと思ったのだ。
そしてその結果、シンシアは危惧を強めることとなった。
婚約者にはやんわりと優しくぼかして、マリアナに気を付けるよう、遠回しに婉曲に伝えた。
しかし、普段は壊滅的に察しの悪いくせに、こんなときだけは無駄に察しがよくて。
「嫉妬に狂いおって!マリアナを貶して私から引き離そうという魂胆だな。やはりお前もマリアナを疎んじているではないか!」
などと、心外な台詞を吐き捨てられた。
前回の茶会で、すでに変なスイッチが入ってしまっていたのだろう。こうなった彼は、何を言おうとまともに取り合ってくれない。
だからそれ以上は何も言わず、要らぬことを申しましたと早々に引き下がった。
どうせ、自分の予想を言ったところで、この婚約者は顔を真っ赤にして否定しただろう。
マリアナという少女がおそらく──
反王太子派が送り込んだ間者であるということなど。
マリアナは、王都の片隅にある酒場を切り盛りする女のもとに産まれたという。
父親は不明で、物心がつく頃には、母親の営む酒場で接客をしていたようだ。──おそらく、彼女の男性を転がす手練手管は、そうした日々の中で身に付けたのだろう。
そんな彼女が、どうして名門と名高いヴァリシュ魔法学院に入学できたのか。
調べさせたところ、彼女はさる貴族家の落胤であったらしい。
それ故に、平民として育ちながらも高い魔法の素養をもっていた。
そしてそのことに、とある高位貴族が目をつけたのだ。
反王太子派の一人だった彼は、マリアナの母に多額の金品を渡し、マリアナの身柄を引き受けた。
そして、彼女に短期間で貴族の礼儀作法と貴族家の情報を叩き込み──魔法学院へと送り込んだ。
王太子と、その有力な取り巻きたちの弱味を引き出させるために──いわゆる、ハニートラップだった。
彼女は優秀な生徒ではなかったが─裏口入学が疑われるほどだ─男を手玉に取ることは上手かった。
しかも相手は、学院に入って初めて、血縁者以外の同年代の異性とまともに接するお坊っちゃまどもだ。多種多様な人が集まる酒場で愛想を振りまいていた彼女にしてみれば、他愛もなかっただろう。
彼女は、成功後に自分が手にできる地位と財産目当てに、後見人の貴族が望む通りに貴族令息から王太子に至るまでを転がし続けた。
すべてが順調だったことだろう。
ただ一つ、彼女らに誤算があったとすれば──
貴公子たちが、予想以上に、救いようもなく、
──愚かであったことだろう。
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